宵護の扇子
「ちょっと真宵さん!」
「わたくしは、紅子ちゃんに訊いているのよ」
切れ長なその瞳で流し見られ、俺は背筋にゾクリとしたものが駆け上がった。
相変わらず真宵さんは手先に持った扇子で飛び込んでくるサメを受け流し続けているが、その横目は蛇の祟り神らしいそれだ。
紅子さんになにかをしようとしている……というより、本当に言葉通り気に入っているんだろう。そして、俺にとってのリンのようにということは、きっと紅子さんの力になるような物を渡すだけだ。
分かってはいても、この怖いヒトに彼女を任せるのがなんとなく恐ろしいような気がしてしまって仕方がない。本能的なものだろうか。
「アタシの武器はコレだけ。武器ならいらない。でも、アタシはお兄さんに心配されて守られるのも嫌だ。そのための力は、ほしい」
躊躇うように、しかし言葉を選ぶようにして彼女が言う。
すると真宵さんは薄く笑みを浮かべたまま「わがままな子ですこと」と優しく言った。小馬鹿にするようでもなく、本当に優しく。紅子さんのことを気に入っているのは本当のようだ。
「いいでしょう。紅子ちゃん、あなたにはこちらを」
真宵さんはそう言いながら扇子を振るう。
すると紅子さんの目の前に切れ込みが入り、いつものように空間に鱗が広がっていった。そして、その奥にギョロリと黄色い蛇の目玉が現れ彼女を見つめると空間に張り巡らされた鱗が一枚、ポロリと剥がれ落ちる。
「わっ」
紅子さんが慌ててそれを手のひらで受け取ろうとすると、鱗の姿が揺らぎ……次の瞬間には鮮やかな藍色に橙の色合いが重なり合った美しい扇子となっていた。
「こ、これは?」
疑問気にする紅子さんの頭に、真宵さんの手が添えられる。
それから真宵さんは、普段とは真逆の荘厳な……神様らしい雰囲気で言葉をゆっくりと紡ぎ出した。
不思議と静かになった空間で、その神聖ささえ感じられる声があげられる。
「……げに美しきは昼と夜の境にあり。それ即ちは〝宵〟の刻。怪異蠢き闊歩する刻なりや。我、夜に身を置きて谷地を守護する者。民をば守らんとす盟約により、お前に力を貸し与えましょう」
「え、え?」
真宵さんはそこで言葉を区切ると、「赤いちゃんちゃんこ」と彼女の名前を口にした。
「はい」
「あなたが人を害さない限り、わたくしはあなたに力を貸します。これは盟約です。これを破ればあなたはわたくしの祟りを受けるでしょう」
紅子さんは真剣な様子でその言葉に頷いた。
不殺を誓っている彼女には願ってもいない条件なのだろう。誰かを害してしまうくらいなら消滅の道を選ぶと断言しているくらいなのだから。
「そしてその代わり、日に三度、あなたが自由に鏡界移動をする権利を差し上げます。妖力をその〝宵護の扇子〟に込め入れば扱いかたは自然と分かるはずです。懐に入れているだけでも効果はありますので、上手く扱いなさい」
鱗……恐らく真宵さん自身のものだろう。アルフォードさんの鱗と遜色ないくらいの巨大な鱗は見目麗しい扇子に生まれ変わり、紅子さんの手元に収まっている。なるほど、確かにこれは武器ではない。彼女の条件を聴いた上での効果なのだろう。
「なるほど、これなら緊急回避にも使えるし、アタシの戦いかたにも合ってるわけだ」
紅子さんの戦いかたは隠れたり忍んだりして相手に近づき、弱点を一気に突く暗殺者みたいなやり方だ。この扇子なら、〝忍んで近づかないといけない〟弱点をどうにかカバーできる。緊急回避にも扱えるなら、あの化け物相手にも立ち向かえる。そういうことだった。
「ありがとう、夜刀神さま」
「構いませんわ。大いに喜んでくださいな。好きな子に投資したくなっちゃうのは、ちょっと俗世に染まっている証になってしまいますけれど、それが同盟ですものね」
お茶目に笑いながら、真宵さんは彼女の背中を押す。
「さ、結界は解いちゃいますから、お二人で頑張ってくださいな」
「いつのまに……?」
「儀式をする際に必要でしたから」
そういえば、静かだなと思ったら……そういうことだったのか。
ということは、本格的に俺達の試練のためにあのシャコやサメが出てくる場を用意されただけってことになる。ただ通り抜けるだけなら常に結界を張りながら行けばいいだけなのだし。
「さて、お兄さん。ちょっとアタシ、やりたいことがあるんだよね」
「なんだ?」
「そのためには、サメのほうだけ先に対処してもらわないといけないんだけど」
「いいよ、やるから作戦を話してくれ」
紅子さんは協力してことに当たれるようになったからか、ほんの少しテンションが高い。そんな姿に、こんなときなのに可愛いと思ってしまう自分もいて、心の中で反省する。
「キミがサメさえ倒してくれれば、後はシャコだけ。でも一匹は弱点が地面の中。それに普通のやつも腹は見せない。でも、もう一つ柔らかいところがあるよね?」
ああ、なるほど。
つまり彼女はこう言いたいのか。
「目玉、か」
「そう、目玉。あれが潰れればパンチは迂闊に出せなくなるんじゃないかな」
「無差別に振り回す可能性は?」
「パニックになる可能性はあるよ。でもお兄さんを狙っているときみたいに天井とか地面に直接当たる確率は減るんじゃないかな」
なるほど。まあ本当にそうなるかどうかは分からないが、やってみる価値はあるか。それに、紅子さんからの提案なんだ。絶対に蹴りたくない。
「せっかくなら鏡界移動を使って驚かせてやりたいよねぇ。生き物の弱点をひと刺ししてやるんだ」
「分かった。じゃあそうしよう。まずはサメから。それからシャコ……それでいんだな?」
「うん、やろうやろう!」
はしゃいでいる紅子さんが可愛い。
そんな俺達の様子を見て、真宵さんが手をパチンと打ち鳴らす。
「作戦会議は終わったわね。それじゃあ行ってらっしゃい。御武運を」
そしてようやく、ちゃんとした意味でのはじめての共闘が実現したのだった。




