三途の川底に住まうもの
「ど、どうなってるんですかこれ!?」
「きゅうい〜」
慌てつつも鞄の口を開け、リンが手のひらの上に乗る。それからぎゅっと握って赤竜刀に変化したそれを油断なく構えた。フキの葉は隣の紅子さんに渡したので問題はない。魂を喰らうアレと対峙するなら、紅子さんには下がっていてもらわないといけない。
大声を出しているし、足音が反響しているのでシャコは既にこちらに気がついている。戦闘は避けられないのである。
しかし真宵さんはのんびりとした口調で、ただ笑ってみせていた。
「シャコというのは、川底に穴を掘って餌を待ち構える性質を持っているのですわ。つまり、この三途の川底にある洞窟はたくさんのシャコ達が掘り進めてできたものだということです」
「つまり?」
紅子さんが話を促す。
「この洞窟全体が、あのシャコの住処なのです」
「自分から餌になりに来たようなものじゃないか!?」
結論、やっぱりこのヒトは胡散臭いし簡単に信用しちゃダメだと思った。
「っち」
舌を打って飛び出していく。先手必勝、いつぞやのシャコと同様なら普通に倒せるはずだからだ。
「あらあら、神様に向かって舌打ちだなんて酷い子ですこと」
わざとらしく溜め息を吐く音が聞こえたが、ひとまず無視して化け物退治だ。確かに真宵さんには感謝もしているし、同盟の神様としてある程度の信用は置いているが、人となりのほうはあんまり信用できていない。それに、そういう言い方をされるとどこぞの邪神を思い出してしまってどうにも落ち着かない。
ごめんなさい、心の中でだけ謝った。
「リン、行くぞ」
「きゅっ、きゅい」
リンとの同調を開始。動体視力を上げてシャコの動きを見る。
引き絞られるように腕が構えられるのを視認してから余裕を持って回避。スレスレの地面を叩いた腕を横目に、ステップを踏むように助走をつける。
……なんとなく以前に対峙したときよりもやりやすい気がするな。もしかして神中村の件で正真正銘のヤバイ神様を相手取ったからか?
戦闘センスのほうもなんとか実戦内で鍛えられていっているのかもしれない。
赤竜刀が俺の〝勇気ある無謀〟に反応する以上、訓練をしたとしてもなかなか成長できないというのは難儀だが、こうして同じような奴を相手取ったときに前と違うのが分かると嬉しいな。
そうして地面にめり込んだ腕に登ろうと足をかけたとき、反射的に後ろへと飛び退っていた。
洞窟の天井から降ってくる水がシャコの腕に思いっきりバシャバシャと流れてきていたのだ。あのままでは多分、ずぶ濡れになっていただろう。
さっきの衝撃で天井にヒビでも入ったのか? そんな思考に冷や汗が流れる。
「ま、真宵さん!」
「あら……大変ですわね。仕方がありません」
焦って真宵さんに振り返ると、彼女は朗らかに笑って扇子を振った。すると、天井の割れ目の真下にぐわりと鱗状の空間が広がり、流れてくる水はどこかへと消えて行く。
「一時的な応急処置ですわ。あとで専門の者を派遣しましょうね」
呑気に言いながら彼女はスマホをいじる……って持ってるのかよ! 神様とは一体。まあいいや、連絡してくれるならそれはそれでいいんだ。俺はこいつをどうにかするほうを頑張ろう。
「ありがとうございます!」
礼を言って、天井を見上げる。相変わらず洞窟の天井からは断続的にポツリとポツリと水滴が降ってきていた。フキの葉から出たせいか服が少し濡れ、重たく感じる。けれど身体能力自体はリンのお陰で上がっているせいか、そこまで極端に不便には感じない。
だがこうも洞窟が脆いと非常にやりずらいな。
洞窟を壊されないように立ち回らないといけない。シャコのほうは水棲生物だから別に構わないんだろうが、俺達はこの洞窟内が水で満たされるなんてことになったら非常にまずい。動きも鈍くなるし、逃げづらくもなる。そもそも水に沈んだあと、洞窟から出られなければ普通に死ぬ。
「言っておきますけれど……三途の川は落ちたら最後、この川で生まれ、適応している生き物以外は絶対に浮かび上がれません。生きとし生けるものは少なからず罪を持つもの。僅かな罪の重さでもあれば、この水の中では浮かび上がらないのです。泳ぐことも不可能ですわ。お気をつけてくださいな」
などという物騒な説明を後から投げかけてくる蛇神様がいるらしい。
「は!?」
最初に思っていたよりも状況はずっとずっとヤバイ。
シャコってあれだろ? あのあと調べたが、カニとか貝の殻を余裕で割り砕いたり、分厚いガラスの水槽をぶち抜くくらい腕力が強いんだろ?
小さいサイズでそれができるシャコが、この自動車サイズ。避けなければ大怪我どころか血煙になって全部消えてなくなりそうだ。想像だけでもゾッとする。
なのに避ければ洞窟はどんどん崩壊していって、真宵さんの鏡界操作で水の処理が間に合わなければ溺れて死ぬ……と。状況が最悪すぎないか?
あと、シャコの特徴といえば背中の殻が硬いってことくらい。
赤竜刀ははたしてあれを防げるのだろうか。折れたり……しないよな?
「くっそ、リン耐えてくれ!」
シャコが拳を振り抜くタイミングに合わせ、受け流すように赤竜刀を滑らせる。ギャリギャリと硬いもの同士が擦れ合う嫌な音を立てながら、しかし両者共に傷がつくことなく、受け流しに成功する。
受け流しただけじゃあやっぱりシャコの殻に傷をつけることはできないか。
幸い後ろの紅子さんや、見守っている真宵さんへは矛先が向いていない。
しかし、真宵さんは洞窟の応急処置には参加してくれるようだが、俺に力を貸す気はさらさらないようだ。多分自分でどうにかしろということなんだろう。
ここに連れて来たのも、実は近道云々よりもこれが目的だったんじゃないか……? そう思ってしまうほどの偶然の一致だった。
相手は一体の化け物シャコ。
それは紫鏡のときに相手取ったやつと同じ種類の化け物。
けれど、環境は圧倒的に不利だ。
……さて、どうする?




