黄泉中有の道
真白さん達と別れて、俺達は再び鏡界を巡る旅に出ていた。
「さて、お次はあやかし夜市ですわ」
「助かります」
真宵さんの言葉にちょうどいいなと思いつつ、返事をする。
過去のこととはいえ、鈴里さんに会って文句のひとつやふたつつけてやらないと気がすまないのだ。
「その前に、あやかし夜市へと向かうために雨垂れ小道へと向かいますわ。そこを通るのが一番の近道なのです」
「雨垂れ……」
いかにも雨が降っていますと言いたげな道の名前だ。
大丈夫だろうか? 傘なんて持っていないが。
「こちらです。この山の中腹に『繋ぎ目』があるのよ」
真宵さんは軽装なのにどんどんと道を進んでいく。
俺達は顔を見合わせてから慌ててそのあとを追い始めた。
「繋ぎ目ですか?」
「ええ、あの世とこの世の」
「えっ」
さすがにその答えは予想していなかった。
「あら、あやかし夜市は限りなくあの世に近い場所にあるのよ。その境界で開催されている縁日は永遠に続く……あそこに迷い込むのは本来、暗い気持ちを持った人間や、わたくしどもに呼ばれた人間だけなのですわ。そう、死に近い、わたくしどもに求められる人間が迷い込む場所なのです」
「それって」
真宵さんの黄色い眼が蛇のように細められる。横顔に影のようにかかる、禍々しい巻き角が恐ろしい蛇のような様相を醸し出していた。
いや、実際にこのヒトは蛇神なのだった。それも新米のおしら神である詩子ちゃんよりもずっとずっと年季の入った祟り神なのである。そりゃ恐ろしくて当然だ。
「……故に、あやかし夜市は『黄泉中有の旅の道程』であり、『再び生きることを思い出させる道』であり、『再会の道』でもあるのですわ」
「どういうことかな?」
「難しかったかしら?」
質問を質問で返された紅子さんが複雑そうな顔をする。
オカルトなことを随分と知っている彼女でも、元々はそう考えることが得意じゃないんだと思う。分からないから訊いているんだと言いたげな表情だった。
俺にもさっぱりだから詳しい説明はほしい。一年前はそんな大それた場所だとは思っていなかったわけだし……ああ、でも、あやかし夜市で作られる特定の食べ物が黄泉竈食に当たるなら、確かにあの世の一種なのか?
「中有とは、死してから次の生へと至るまでの期間を指しますわ。そして、黄泉中有の旅とは、霊魂が中有を彷徨うことを……つまり、冥土への旅を表します。あやかし夜市はその旅の道すがらにある最後の縁日。そこで誰かを待つのも良し、ほんの少し留まって人生を振り返るもよしな所謂……中間地点と言えば良いのでしょうか」
その説明を聞いていて、少し疑問に思った。
確か青凪さんは三途の川のほとりで留まり、俺を見ていたはずだ。あやかし夜市が最後っていうのはなんとなく違和感がある。
それを問えば、真宵さんは驚いたように「あら」と言葉を漏らした。
紅子さんも初めて聞いたからか責めるように俺をその紅い瞳で見つめてくる。結局、生死の境を彷徨っているときにあったことを誰にも言っていなかったからだ。
「三途の川という大きな大きな境目。そこに続く道がひとつしかないと思いますか?」
「なるほど」
つまりあやかし夜市はそのひとつにしか過ぎないと。
しかし最後の縁日というのは……?
「言いましたように、あやかし夜市には死に近い人間も迷い込みます。そこが他の道と違うところですわね。行きはよいよい、縁日を過ぎてあの世に一歩踏み込めば余程のことがない限り戻ることは叶わない……そういうことですわ」
その言葉でやっと理解する。
縁日で引き返せば死ぬことはなく、そのまま進み続ければ生死を彷徨った人間は本当に死ぬということだろう。
「故に、『再び生きることを思い出させる道』なのですわ。お祭りの楽しい雰囲気で沈んだ心が浮かび上がればそれで良し、そうでないなら、死出の旅路へと誘われるだけですのよ」
そこまで来て、俺って結構危ない橋を渡されていたんじゃないかと気づいてしまった。あの野郎……!
「あなたのような生き生きとした人間は万が一にもあの世側へ踏み出すことはないから安心してちょうだいな。それに、ちゃんとわたくしが案内してさしあげたでしょう?」
そういえばそうだ。
俺はあの夜市で、真宵さんについていった。その結果変なものを食わされそうになったが、今の話を聴くと一応俺が変な道に行かないようにしてくれていたのだと知る。あのとき抱いた印象とはまるで真逆な心の変化に戸惑う。まさかあれも親切の一環だったとは。
「余程のことがない限りはしらべが巡回して元の世界に返していますが、それでも強く死を願っているものはその先へと進んでしまうものです。しかし、わたくしどもがあの道を見張るようになってからは魂を食べる怪異の類や生きている人間を誘い込み食い物にしてしまう……そんな悪意のある者達が寄り付かなくなったので平和が保たれているのですわ」
「それで、再会の道っていうのはなにかな? そこで待っていた霊と、後からやってきた待ち人との再会?」
紅子さんが尋ねると、真宵さんは優雅に扇子で口元を隠して「それもありますが」と言葉を紡ぐ。
「あそこには『九十九のお宿』があります。打ち捨てられ、あるいは持ち主に忘れ去られて集った未熟な付喪神達の住まいです。そこに迷い込んだ人間はお宿側から一人、お付きの子が充てがわれその夜を過ごすこととなりますの。といっても、お喋りをしながら夜を明かすだけですが……」
真宵さんの視線が俺を向く。
いやいやいや、別に変なことは考えてませんよ。なんで意味深に笑うんですか!? 俺のことをなんだと思ってるんだ!
「そして、夜が明けて帰る際、お宿に泊まった人間にひとつだけお土産が渡されます。ただそれだけの場所ですが……」
「再会……ってことは、その渡されるお土産っていうのが付喪神入りの品物なのかな?」
紅子さんの回答に満足気な表情で真宵さんが頷く。
どうやら正解らしい。
「お宿に泊まった人間には、縁のある道具しか視えません。本来はおびただしいほどの品物がそこら中にあるのですが、その人間に縁ある品物しか目に映らないようになっているのですわ」
「……ということは、そのお付きの子っていうのが」
「その、付喪神ですわ」
なるほど。確かにそれは『再会』の名前を冠するだけはある内容だ。
「あやかし夜市の元締めはしらべですが、創設者としてはわたくしの管轄ですの。場所こそ狐に借りていますが」
言われてみれば、なんで夜刀神社でやらないんだ?
道がその場所にしかなかったというのならまだ分かるが、この口ぶりだと別にそんなことはないよな。
「真白ちゃんが、賑やかなのを嫌うのよ」
ただの親バカ……いや、祭神バカ? だったみたいだ。
「元は縛縁の夜市と呼んでいたのですわ。今は、分かりやすくあやかし夜市と呼んでおりますが」
縛縁。それは真宵さんの苗字になっていたと記憶している。つまり、彼女が主となったあの世とこの世の境目。境界。夜刀神は境界の神様だったな。
「八とは完全を意味し、九は永遠を意味する数字なのです。故に八九縁。あの世に縁が繋げられ、縛られることとなる前の、最後の道。故に縛縁の名前を冠するのですわ」
全てが繋がって、感嘆の息が漏れる。名前とはそんなに重要なものだったかと改めて認識したからだ。
「此岸も彼岸も、名で全ては縛られているのです。上位の力ある存在は己に名付けをして、他方に縛られることを防ぎますが……それができるのは一握りの神や大妖怪のみ。名付けとは、その者の魂や命を握るようなものです。この世では、名前というものはそれほどに重要な情報なのですよ」
意味深に紅子さんと俺とを交互に流し見た彼女はピタリと足を止めて、閉じた扇子をスッと肩よりも上へ掲げる。
それからとある方向を扇子で指し示して「あれが、目指していた『雨垂れ小道』ですわ」と言う。
しかし俺達は唖然とそれを見ることしかできなかった。
「滝じゃないか」
ざあざあと遥か頭上から降り注ぐ水、水、水。そしてその下を通れば体がバラバラになるんじゃないかというくらいの轟音。
ああ、マイナスイオンが出てそうな気持ちのいい場所だなあ……なんて言えるか!? 雨垂れと言える規模じゃないんだけれども!
「真宵さん、雨垂れの意味をちょっと検索してみてくださいよ」
「アタシもあれはちょっと……」
「ちょっと派手なだけですわ」
あなたのちょっとは俺達にとっては大分です。
「大丈夫ですわよ? ほら、そこにある傘を手にとってご覧なさい」
彼女が再び扇子で指し示した方向を見る。
巨大なフキの葉みたいなものがあった。その下に木の板でなにか書いてある。
「おひとつ、お使いください」
いやいやいや。
「フキの葉で滝が防げるのか!?」
俺の全力の叫び声は山間に響き渡って行くのであった。