決意と意地
意識が浮上する。
そして、目の前の紅子さんと目が合った。
「おはよう、お兄さん」
「あ、うん、おはよう」
挨拶をされて反射的に返す。
周囲に目を向けると真白さんや破月さんは未だに蜜柑を食べていて、その場にはいつのまにか羊羹の皿が増えていた。どうやら、少しだけ時間が経っているらしい。
「誓い、か」
「うん、誓い。アタシはあれから二年、ずっとキーワードを言われても人は見逃し続けているんだよね」
二年、二年か。それは、とんでもないことだ。
一ヶ月の飢えであんなにもボロボロですぐにでも消えてしまいそうだった紅子さんが、二年も耐え続けている。
「あのあとは、しらべさんに夢の中で疑似的に畏れを得るためのやり方を教えてもらって、それで今のアタシのやり方があるんだよ。畏れは手に入るようになったから、一応今のところ問題はないよ」
「え、でもあんた」
真白さんの言葉に紅子さんが視線を向ける。
やめろと、そういう視線だった。
けれども、それでもなお真白さんは容赦なく続けた。
「誤魔化しきれなくなっているのは自分でも分かっているんじゃないかしら? あなた、そのままなんの対策もせずに同じことを繰り返していると、そのうち本当に消滅しちゃうわよ。もう既に、結構危ないところまで来ているでしょう?」
その言葉に、俺は言葉を失った。
「紅子、さん?」
「……大丈夫だよ、まだ。でも、お兄さん。覚えていてほしいんだ。アタシはアタシが選んだ結果からは逃げも隠れもするつもりはないってことを」
それはつまり、足掻いた結果消滅するとしても、受け入れるということだ。俺を置いて行くことになっても、いいということだった。
……そんなの。
「嫌だよ、俺。嫌だ」
「これはアタシの矜持。それを曲げることはありえない」
「それは分かってるけど……」
「お兄さんだって、アタシに人殺しはしてほしくないでしょ」
「そうだけど、紅子さんがいなくなるのは嫌だ」
「まだそうと決まったわけじゃないよ」
「でも」
俺がなおも食い下がろうとすると、紅子さんは睨むようにしておれを見上げる。
「これはアタシの意地だ」
「……」
ほんの少しだけ目を瞑り、考える。
それでもやっぱり、俺は首を振った。
「それなら、俺が君を守ろうと決意するのも、俺の意地だよ」
「……あのねぇ、たとえお兄さんでもアタシの矜持を曲げさせようとするなら許さないかな」
分かっている。そんなことは分かっている。彼女が頑固で意地っ張りなのは今に始まったことじゃないんだから。
「なら」
言葉を紡ぐ。
「なら、紅子さんの矜持を曲げずに、どうにかする方法を探すよ」
「……今まで、アタシが散々探して見つからなかったのに?」
「人それぞれ視点が違うんだ。俺も探してみれば、なにか見つかるかもしれない。一人より、二人だよ」
そこで彼女が大きくため息を吐く。
それは、彼女がなにを言っても無駄だと判断して諦めた証拠だった。
「大事な話し合いはできたかしら?」
「ええ、ちゃんと」
優雅に微笑む真宵さんに、そう答えた。
このために、このヒトはきっと俺達をこの神社に誘ったのだろう。まったく本当に食えない祟り神様だ。
「意地の張り合いとはまさにこのことよなあ。はっはっはっ」
「ひとまず、私はその子が危ないことを伝えられたからそれでいいわ。ここに来なければ、そっちの人はまず間違い無く、その子が消滅の危機にあることに気がつかなかったでしょうし」
「不甲斐ない……」
「ま、それだけその子が隠すのが上手ってことだもの。知れたんだから、あとは頑張んなさいな」
真白さんからの激励を受けて頷く。
「さて、お昼の時間だけれど、ここで食べて行く? どうするのかしら?」
真白さんの言葉を受けて縁側のほうを向けば、すっかり太陽が頂点に達しているのが分かった。
「次はあやかし夜市に行こうと思っているのよ。軽食だけ済まして行きましょう」
「えっ、あそこの食べ物は食べちゃいけないんじゃ……」
昔、あやかし夜市に行ったときの光景を思い出す。
そう、確か鈴里さんに黄泉竈食になるから食べてはいけないと咎められたのだった。
「食べちゃいけないものと、大丈夫なものがあるのですわ。あの世のもので作られた食材は黄泉竈食にあたりますが、現世で作られた食材を使った料理なら、なんの問題もありませんの」
なるほど。
つまりあの触手のようなイカ焼きはそういう食べちゃダメな類だったと。
一年越しにやっと理解できた。
「軽いものねぇ……素麺が余っていたかしら……ちょっと待っていてくださいね。ほら破月、行くわよ」
「我もか?」
「お客様にお出しするんだからあんたも手伝いなさいよ! 手早く作るわ」
「ふむ、あい分かった」
そうして部屋から出て行く真白さんに破月さん。それから「ててて」とついて行く座敷童とウサギ耳の少女。多分あの子達も手伝いだろう。
俺はそれを見送って、息を吐く。
なんだか色々と話してすっきりした感じがするな。それと同時にほんの少しだけ疲れた。
「きゅう」
鞄の中で寝ていたリンが「お昼」の単語に反応したのか、ふわりと飛んで俺の肩に乗る。
……そういえば、記憶の中でアルフォードさんがこっちを向いたことは伝え忘れていたな。紅子さんも多分気づいていないことだろうし、どうしよう。
「今度、訊けばいいか」
「どうしたの? お兄さん」
「いや、ちょっとアルフォードさんに訊きたいことができただけだよ」
「そっか」
チリーンと、縁側の風鈴が揺れ涼やかな音が鳴る。
こうして、鏡界で迎えるお昼は過ぎて行くのであった。




