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「不殺」の誓い

「ねえ、憎いのは自分でも分かってるよね。どうしてアタシに任せてくれないのかな?」

「アタシは、自分で決めた。人は殺さない。アタシは、まだ人間でありたいから」


 それはまるで自問自答の具現化。

 瞳から光をなくしたもう一人の紅子さんが、問いかけ続ける。


「アタシも、またキミ。キミの中に憎しみがなければ、アタシはここに存在しない。それは分かっているかな? それでも?」

「それでもだよ。アタシは、アタシの矜持のために、自分の我儘のために殺したくないって言っているんだ」

「へえ、アタシを拒絶するんだ。それじゃあ苦しいだけなのに」

「違う」


 背中に覆い被さるもう一人の紅子さんに、彼女は断言する。

 すると、もう一人の紅子さん……いや、影紅子さんって言えばいいのかな。影紅子さんは驚いたように目を丸くした。


「アタシは別に、キミを否定したいわけじゃない」

「でも、殺したくはないんでしょう? どうして? 否定はしないのに、アタシのやりたいことに口出しするの? アタシはキミなんだよ、選択肢を奪われるのは大っ嫌い」


 不満そうに影紅子さんが言う。

 それに対して、紅子さんは自嘲気味に笑った。


「アタシだって、嫌だって言っているのにやらされるのは嫌だよ。アタシも選択肢を奪われるのが大っ嫌い」

「心の中で正反対のことを思っているだなんて、変だねぇ」

「そうだね、変だよ。でもそれが人ってものじゃないかな?」

「そうなの?」

「そうだよ」


 子供のように首をかしげる影紅子さんに、彼女は優しい声色で諭していく。

 恐らく本能の具現化と思われるその影紅子さんは、理性で押し留められることに不満があるんだろう。


「アタシは憎い。殺したいほど、憎い。確かにそうだよ。でもね、いつかはアタシを殺そうとしたあの子達も、幽霊になったアタシよりも先に地獄へ堕ちる。そのとき思う存分に笑ってやればいいんじゃないかな? そう思っているんだよ」

「うわー、性格悪ーい」

「……アタシと同じ声で随分とまあ、幼い」

「だって生まれたてだからね。そっか、ふうん、そっか。アタシを拒絶したいわけじゃあ、ないんだ。変なの」

「この負の感情も、全部、全部受け入れた上で、アタシは殺さない道を選ぶ。ただそれだけだよ。キミもアタシ、受け入れないわけが、ないよね」

「……受け入れた上で、ねぇ」

「最初はアタシだって、この気持ちを認めたくなかった。でも、ここに来てから、人間、なにかを憎まずに清廉潔白なままで生きることはできないって思い知ったよ」


 自嘲するように紅子さんが笑う。


「死んでるのに?」

「死んでるのに、かな」

「そう」

「認めた上で、受け入れた上で、選ぶ。アタシは意地でも人殺しなんてしてやるものか。そんなことをするくらいなら、このまま消滅してしまったっていい。この矜持を曲げるくらいなら、死んだほうがマシだよ」

「死んでるのに?」

「死んでるけど!」


 からかうような口調の影紅子さんも笑う。からからと、鈴を転がすように大笑いしている。まるで笑いのツボに入った子供のように。


「あれを聞いていても、まだそう思えるだなんて、我ながらすごいねぇ」


 鏡の外では、いじめの主犯がなおも叫び続けていたが、やがて飽きたのか、トイレから出て行く。紅子さんは、怪異としての本能に耐え切ったのだ。


「アタシは殺さない。怪異として生きても、誰も殺さない。アタシは人として、ここに存在()りたい。怪異失格でもいい。アタシはそれだけは絶対に曲げない」

「……分かったよ。拒絶されたらどうしようと思っていたけれど、そうやって受け入れた上で誓うっていうのなら、仕方がないよねぇ。キミがその誓いを守る限りは、アタシは眠っていてあげる」


 影紅子さんが目を瞑り、紅子さんを抱きしめる。

 そして、ゆっくりと溶けるようにしてその中へ消えていった。


「……これで、いいのかな?」


 紅子さんが振り返る。その瞳には、もう迷いや戸惑いは見られなかった。

 それから俺も彼女に倣って振り返ると、そこには鈴里さんがいた。

 鈴里さんはパチパチと拍手をしながら、こちらへ歩み寄ってくる。


「すごい、すごいです。私の『試験』に耐え切ったのは、あなたが始めてですよ。本当は、『本能に抗えずに堕ちていくあなたの絶望』を食べるつもりでしたが、これはこれで重畳です。文句なしの合格ですね」


 鈴里さんの言葉に思わず握り拳を作る。

 いや、いやいや、これはただの記憶だ。殴れるはずがない。

 そもそも、いくら凶悪でも女の子の姿をした鈴里さんを殴るのは憚られた。

 でも絶対次に会ったら文句を言う。絶対にだ。

 神内も大概だが、このさとり妖怪性格が悪すぎる。


「一ヶ月の飢餓に加え、怪異としてのやり方を学んだ上で一週間、あなたは耐え切りました」


 まさか一週間も経っていたとは。体感はそれほど経っていないのだが、もしかして時間の流れでも違ったんだろうか? 

 本能をわざと刺激して試すとか、これが同盟の試験だと考えると鬼畜すぎる。

 確か、鈴里さんの試験に合格できたヒトは紅子さんだけなんだったか……ということは、正式な試験ではないよな。こんなのが正式な試験だったら畜生すぎるし。


「そうですね……気分がいいので特別に、あなたは私が教育することにしましょう」

「……チェンジで」

「えっ」


 ここで初めて鈴里さんが焦りを見せた。


「酷いことをしたのは確かですが」

「チェンジで」

「紅子」

「気安く名前を呼ばないでくれるかな?」


 剣呑な表情でやりとりをする紅子さんに、若干焦っている鈴里さん。

 紅子さんの対応は至極当然だと思う。だってそれだけのことをされたんだから。鈴里さんをそう簡単に信用するわけがないし、こんなことをされた相手に教育してもらうとか恐ろしすぎる。


「ごめんなさい、許してくださいよ」

「やだね」


 そう簡単に許されることじゃないと思います。


「ほ、ほら、今度こそ同盟の本部に連れて行きますから」

「……」

「なんですかその疑いの目は!」


 当たり前だと思います。


 ジト目で鈴里さんを猫のように威嚇する紅子さんと、頑張って距離を縮めようとする鈴里さん。まるで警戒する野良猫に近寄って行こうとするようなその光景に、思わず笑いが漏れた。


 ――と、そこに鱗のような紋様が空間いっぱいに広がった。


「ちょっとしらべちゃん! 新入りを連れてくるって言って一週間経ってるよ! どういうこ……なにこの状況?」


 真宵さんの鏡界移動で蛇の瞳のような裂け目から出てきたのは、薔薇色の髪をたなびかせるアルフォードさんだった。

 困惑したように首を傾げている。そりゃそうだ、鈴里さんは無表情のまま手をわきわきして紅子さんににじり寄り、紅子さんはじりじりと後退していく。

 いきなりそんな光景を見たら困惑もする。


「ちょっと、もしかしてしらべちゃん。またやらかしたの!? もう、貴重な怪異の分け身で遊ばないでよ!」

「すみません、つい」

「つい、で何回怪異の心を壊せば済むの!? 同盟から除名されたいの!?」

「うっ……それは勘弁を」

「もう!」


 ぷんすかと怒りながら、アルフォードさんが紅子さんの手前に近づく。

 彼女はそんなやりとりを見てアルフォードさんが鈴里さんよりも上の立場だと認識したのだろう。疑いの眼差しを向けつつも逃げることはなかった。


「ごめんね、この子が性悪で」

「ちょっと、アルフォードさん、ちょっと」

「しらべちゃんは余計なこと言わない! 反省して!」

「……はい」


 そして、アルフォードさんが頭を下げる。


「不信感を植え付けちゃったよね。ごめんね。オレはアルフォード。人と共存し、寄り添いながら生きることを選んだ神妖大同盟の代表だよ。キミがキミである限り、オレ達はキミを歓迎する……ええと」

「紅子。赤いちゃんちゃんこの、赤座紅子です」


 紅子さんが名乗ると、アルフォードさんはパッと顔を明るくして「よろしくね、紅子ちゃん!」と声をあげる。


「……アルフォードさん、彼女は『不殺の誓い』を立て、私の試験に打ち勝ちました。間違いなく信用できますよ」

「しらべちゃんの試験に受かったってことはそういうことだよね、うん。初めての合格者がこんな可愛い子だなんてなあ……すごいすごい!」

「あの……ありがとう、ございます?」

「あ、敬語はいらないよ。オレ達は人じゃないんだから、自分のあるがままでいるべきだからね!」

「そ、そっか……? 分かりまし、分かったよ」


 ちょっと言いにくそうにしながら、紅子さんが頷く。


「それじゃあ行こうか。キミが怪異であり、人であれるようにできる場所へ」

「……アタシのこと、見ていたわけじゃない……んだよね?」

「うん。でもしらべちゃんとのやりとりを見ていたらなんとなく分かるよ」


 紅子さんの心を見透かすようにアルフォードさんが笑う。

 それから手を差し出した。


「ようこそ赤いちゃんちゃんこ。神妖(しんよう)大同盟へ!」

「私が言うはずだったのですが……」

「しらべちゃんは反省して」

「……」


 そんな二人のやりとりに紅子さんが思わずと言った様子で笑う。


「よろしくお願いします」


 そうして彼女はアルフォードさんについて行くように足を踏み出した。


「いやあ、面白いことになったなあ」


 上機嫌なアルフォードさんが笑って、そうして……俺を見た。


「え」


 その視線は一瞬。

 けれど、視線を余所に向けただけにしては不自然な動きで、確実に俺を見ていたとしか思えない行動だった。


「これからが楽しみだねぇ」


 そこで、俺の意識は浮上していくのだった。

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