同盟入り試験へ
「そうですか、それは重畳。では、お手を」
冷たい声色で鈴里さんは、しゃがんだまま手を差し出す。
アスファルトに倒れたままだった紅子さんはその手を迷いなくとった。
「アタシの道は、アタシが決める。今こうして意思があるのなら、諦めはしないよ」
その燃えるような紅い瞳の中にあるのは生きるための意思。そして、どうしようもないほどの意地だ。
「良いでしょう。それでは一つ……あなたには試験を受けてもらいます」
「試験?」
やはり冷たい声で、鈴里さんは言葉を紡ぐ。
俺がその表情を確認したくて正面に回って覗いてみれば、彼女の瞳は氷のように酷く冷たい物だった。鈴里さんのこんな表情は見たことがない。俺を叱咤しに来たときだって、もっと優しい表情をしていた。こんな、こんな冷酷無比なヒトではなかったはずだ。なぜ。
「はい、これより移動するのは『鏡界』……鏡の中の世界です。私達の生活する場。同盟組織の、その本拠地です。そこへ行くためには、あなたのことを認めてもらわねばなりません。あなたが本当に人間を害さぬ覚悟を持つかどうか、それを示してもらわなければなりません」
「……なるほど」
人外達の組織。人間を慈しむ人でない者達の総本山。
そこに行くだけで、そんなことを試されるというのか。
俺は人間だからその試験がなかっただけなのか? そう思考を巡らせてみるが、人間だって裏切る可能性がある以上、そう簡単に同盟入りなんてできないだろう。そういえば、この試験とやらは鈴里さんの意地悪だなんだと言っていたっけ。
……ということは、はなから鈴里さんは紅子さんを受け入れる気はさらさらなかったということか? もしそうなら、最悪じゃないか。第一印象はそれほど悪くなかったはずだが、最近になって彼女の印象が落ち続けている気がする。
考えれば考えるほど、見れば見るほど、実にさとり妖怪らしいヒトなんだな。
「大丈夫です。鏡の中に入って、少し問答をするだけですよ」
「面接……みたいなものかな? 分かった」
ボロボロなままではあるが、どうやら気力が持ち直して少しだけ余裕が出たらしい。紅子さんは自分よりも少しだけ背の低い鈴里さんに手を引かれて、雨の中を歩いていく。鈴里さんはピンク色の傘をくるくると回しながら、そんな紅子さんを傘の中に収めて二人寄り添い合い、そして道端のサイドミラーに目を止めて歩みを止める。
「あの……?」
「ここなら、すぐに行けますね」
困惑する紅子さんに対し、鈴里さんはその背中をトンと押す。
「え」
「それでは、いってらっしゃい」
背中を押される。
それは紅子さんのトラウマそのものの行動。
俺は驚きつつも、素早く紅子さんを追って同じく水溜りの中に入った。支えられないとは分かっていても、そばにいたい。ただそれだけの思いで。
彼女に寄り添い後ろを振り返ってみれば、無表情なままの鈴里さん。
「ご武運を」
その言葉と共にゆっくりと薄ら笑いを浮かべた彼女に、隣を見れば紅子さんが酷く傷ついたような顔をした。
そしてたたらを踏んで紅子さんが踏み入れたのは水溜り。サイドミラーの中に写された場所。その水溜りは光を反射しながら、まるでサイドミラーと鏡合わせになるように、紅子さんを写していた。
「耐えられなくてもいいですよ。それが普通ですからね」
鈴里さんが髪を払うと、覗いたのは耳についた目玉のようなイヤリング。
そのイヤリングがじっと紅子さんを見つめるようにして……瞬きをする。
その瞬間、水溜りの中に紅子さんの足が引き込まれるように、沈んだ。
「やっ、なっ、なにこれ……!」
怯えるように声を上げる紅子さんに、俺はどんどん怒りが募っていくのを感じていた。やっぱり鈴里さんに文句言ってやる。これはあまりにも性格が悪すぎる。
そして、紅子さんと一緒に俺も水溜りの中に沈んでいく。
ふと下を見れば、ただの水溜りだと思っていたその水の中に、巨大な蛇が口を開ける光景が映っていた。大きな巻き角を持った、鱗が藍色にツヤツヤと光る蛇。それはきっと、真宵さんの本性そのもので、捕食されるようなその光景に言葉を失った。
そして、肩まで沈む。
次に、首、次に顎。丸呑みにされていくように、水溜りの中に沈み込んでいく。ゆっくりと、ゆっくりと。恐怖を限界になるまで与えるように。わざとらしく、ゆっくりと。
「さあ、見せてくださいね。あなたの覚悟を」
途中まで怯えていた紅子さんはしかし、その言葉を聞くと彼女を睨みあげた。
「意地でも帰ってくるからね。そうしたら、その綺麗な顔、一回つねらせてもらおうかな!」
鈴里さんはここで初めて驚いたような、面白いものを見たような表情をした。
「どうぞご自由に。できたらのお話ですけれど」
これだけのことをされてつねるだけで済まそうだなんて、紅子さんは控えめだなあ。そんなどうでもいい思考をしつつも、馬鹿にするような態度の鈴里さんの姿が誰かさんと被って見えて、怒りがどんどん湧き上がってくるのを感じる。
「アタシのやりたいことは、アタシが決める! 絶対に帰ってきてやるから!」
意地っ張りな紅子さんは叫んで、俺と共に完全に水溜りの中へ。
深く深く、黒く黒く、鏡写しの世界へ。
最後に見た鈴里さんの瞳は、ほんの少しだけ期待が滲んでいた。