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二者択一の問答

 ざあざあと雨が降っていた。

 アスファルトの地面を叩くように雨が跳ね返る。

 けれど、現状記憶を見ているだけにすぎない俺に雨が当たることはなく、ただただ自身をすり抜けていく水を眺めるだけになっている。

 当たらないのはいいが、視界を塞ぐようにしとどに降り続けている雨が少し鬱陶しい。


 どことなく見覚えのある風景に俺は立っていた。

 ここはどこだろうか。なぜ見覚えがあるのか? 

 考えて、周囲を見渡す。


「そうか、ここは……」


 都ノ鳥町(みやこのとりまち)。以前、メリーさんこと芽衣ちゃんが恩師にゆっくりのおまじないをかけに行くため、訪れた町。俺達も同行したその町の風景、それもあのとき通ったその場所であった。


 ――確か、紅子さんと一緒に〝誰か〟の冥福を祈った場所。


 そう思いを巡らせていると、高校の裏門と思われる場所から誰かが出てくるのが見えた。


「……はっはっ、なんで」


 ざあざあと降りしきる雨で、聞き取りづらい声。

 しかし、それが紅子さんの声だとすぐに気がついて、俺は小走りに移動した。


「なんで、アタシ、生きて……」


 普段は綺麗に整えられているポニーテールはぐしゃぐしゃで、いつもつけている菫色の大きなリボンが傾いている。

 いつもいつも俺に向けてくる紅い、気の強い瞳はどこか虚ろで、まるでこの世に絶望しているかのように唇は震えていた。

 ぶつぶつと、しきりに「なんでアタシは生きてるの」と繰り返しながら、紅子さんは一歩ずつ、壁伝いに高校から出る。


 雨に打たれて赤いセーラー服はびしょびしょで、なにもかもが透けてしまっているが、彼女の実に〝幽霊らしい〟有様に、俺は一人言葉を失っていた。


「紅子、さん」


 記憶の最初のほうで既に泣きそうになってしまった俺は、触れられないのが分かっていながら手を伸ばす。


「ど……して、どう、して」


 ぱしゃんと、水たまりに足をとられて彼女の体が傾ぐ。壁伝いに体を支えながら歩いていた彼女は、とうとうバランスを崩して倒れ込んでしまった。

 咄嗟に伸ばした腕がすり抜けて、俺の体を通過して紅子さんがアスファルトの上に叩きつけられてしまう。


 記憶だと分かっているのに、触れられないと分かっているのに、どうしても俺は歯がゆく思いながら、この手を伸ばしてしまう。手を彷徨わせてしまう。

 しゃがみこんで倒れた彼女に近づけば、「どうして」と繰り返していた言葉の本当の意味を知ることとなった。


「どうして、だれも、きがつかない……のかな。アタシ、いっかげつも、がっこうに……いた、のに」


 今度こそ、言葉を失う。

 いや、既になにも言えなくなっていたが、なおさらに。


 一ヶ月も学校を彷徨っていたっていうのか? 紅子さんが? 


「おかしい、よね……うん、そうだよね。だってアタシは……」


 あのときから、窓から突き落とされてから……彼女はずっとずっと、学校の中でなにを思っていたんだろう。なにを思って、一ヶ月も自覚のないままに、過ごしていたんだろう。


「だってアタシは――死んでるはずなんだから」


 アスファルトに倒れ伏したままの彼女の頬を、一筋の水滴が滑り落ちていく。

 それは雨粒のようでいて、しかし決定的に違う水滴。

 弱り切ったように、絞り出すように震えた声で、紅子さんは泣きながら独白していた。

 そうでもしないと、心が壊れてしまいそうだったのかもしれない。誰も聞いていないのに、誰も見ていないのに、そうやって言葉にするのは、紅子さん自身が自分を見失わないためにしていたことなのだろうと思う。


 彼女のそんな痛ましい姿に俺は、なにもできずに佇むしかない。

 それがとても悔しかった。


 ざあざあと雨が彼女を容赦なく濡らしていく。

 幽霊なのだとしても、とてもとても寒いだろう。凍えるほどに、寒いのだろう。同盟の道具を身につけず、完全に幽霊の状態の紅子さんでは雨の影響があるかどうかは分からない。


 けれど、気温の寒さを感じなかったとしても――心が、きっと寒い。


「アタシ、は……自分で死んだはずなのに、どうして、終われない……のかな」


 ほんの少しだけ怒りの載せられた声。

 選択肢を奪われることを殊更嫌う彼女には、望んでもいないのに延命させられたようなこの状況が気に食わなかったのかもしれない。


「おなか、すいた。おなか、すいてないはず、なのに」


 息を荒く、アスファルトの上で立ち上がる気力もなく、そうして紅子さんは呟き続ける。そんなとき、ぱしゃぱしゃと雨の中、歩く足音が近づいて来た。


 俺が顔をあげると、そこにいたのはさとり妖怪。鈴里しらべさんだった。

 可愛らしいピンクの傘を差して、ほんの少し驚いた風で口元に手を当てると、小走りで紅子さんに近づいていく。

 そして、紅子さんの目の前でしゃがみこむとその傘を紅子さんの頭上に移動させる。

 陰となって顔に雨が当たらなくなった紅子さんは、ゆっくりと顔を上げた。

 その瞳に載せられていたのは、ほんの僅かな希望。自分が見えるだろう鈴里さんへと寄せる、期待だ。


「アタシが、見えるのかな?」

「ええ、でも、もうすぐあなたは消滅するでしょう。分かっているはずです、本能で」


 つっかえつっかえに喋る紅子さんに、無情な現実を突きつける鈴里さん。

 そんな彼女に文句の一つでも言いたくなったが、そういえば届かないんだったと思い至り、口を噤む。


「消滅……」

「あなたの名前は赤いちゃんちゃんこ。怪異として相応しい行動をしなければ、あなたは飢え続け、そしてやがて静かに飢え死にするように消滅するでしょう」


 やはり鈴里さんは無慈悲だ。


「アタシの名前は、紅子、だよ」

「そうですか。でもそれは生前の名前でしょう? 今のあなたを構成している〝名前〟は赤座紅子ではなく、赤いちゃんちゃんこのほうですよ」

「どう、いう」

「名前は体を表す。あなたはもう、紅子ではなく赤いちゃんちゃんこです。ああ、苗字を知っている理由ですか? それは、私がさとり妖怪だからです。思考を読んでいるから、生前の名前くらい分かります」


 早口で言い聞かせるように、捲したてるように鈴里さんが話す。

 弱っている紅子さんに対してあんまりにあんまりな対応で、今度あったらちょっと文句を言ってやろうと決めた。今決めた。


「飢え死には、嫌ですか?」

「……」

「あなたは自身の矜持故に自殺した。消滅するのも怖いですか。しかし、本能に従うのも嫌だと……なるほど、随分と我儘ですね」

「勝手に」

「読むなと言われても、そういう性分ですから」

「……」

「性格が悪くて結構です。そうでもないとさとり妖怪はやっていられませんよ。すぐに心が壊れて野垂れ死ぬだけです」


 次々に紅子さんの言いたいことを先読みして封じ込めてしまうそのいやらしさに、俺はやっぱり文句を言おうと決める。自分でも言っているが、性格が悪いぞこの人。


「なるほど、あなたは人を殺したくないんですね」

「……んなの、当たり前でしょう」

「そうですか? 普通の自殺者は復讐したがるものですが」

「一緒にしないで、くれるかな」

「これは失礼しました」


 ちっとも反省の篭っていない言葉で返し、鈴里さんは首を傾げる。


「人を殺さずに済む方法を、教えて差し上げましょうか?」

「……」

「『そんなのあるのかな?』ですか。ありますよ、ちゃんと。私が所属している人外しかいない同盟では、その衝動を誤魔化し、抑える道具を売っている者もいます。買うためには同盟に入らないといけませんが」

「話を」

「分かりました」


 そして鈴里さんが語るのは、同盟について。

 曰く、人間と共存するための組織。

 曰く、弱い怪異を守るための後ろ盾でもあること。

 曰く、共存のために力を抑える訓練をすることになるということ。それには道具や薬という手段もあるということ。


 それらの説明をして、再び鈴里さんは言った。


「赤いちゃんちゃんこ、あなたはどちらを選びますか? このまま怪異として飢え死にするか、我々の組織に入って怪異として生きるか。二つに一つです」

「アタシ、は」


 紅子さんはそう言って、後者を――選んだ。

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