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彼女はそれを望んでいる

「そうか…… そういえば、そんな記憶もあったね……」


 俯いたままの彼女が、そう言った。


「認めるんですね」


 俺はなるべく刺激しないように、慎重に言った。


「ああ認めるよ。〝 私達 〟は餌場を作るために昨夜来たお前達を利用した。それだけのことだ」


 彼女は動かない。

 顔も上げず、髪の下から覗く弧を描いた口元だけが怪しげに動いていた。

 そもそも、彼女は閉じた扉の内側から羽音が聞こえたと言っていたが、その後扉を開けたときには鳥がいたという証言はしていない。

 つまり、扉を開けたときには鳥はいなかったわけだ。

 しかし、黄菜崎君が襲われている現場に居合わせたときは、俺が扉を開いてから影がどこかへと逃げて行った。扉をすり抜ける術がない証拠に他ならない。

 それに、彼女はやけに〝脳吸い鳥〟の存在に肯定的で、それしかないというような発言をしている。

 思えば、紫堂君が事故死でなく鳥の仕業だと示したのも彼女。

 俺が鳥の存在を否定したとき、僅かに怒ったのも彼女。

 妙に冷静だったのも、仲間の死を置いて調査を強行しようとしたのも、悲しむ緑川に苦言を漏らしたのも彼女だった。

 矛盾もあったが、その様々な違和感の積み重ねによって、俺は彼女がクロだと判断した。

 さすがに僅かな体重の変化だけでは見逃していたかもしれない。それくらいに、僅かな違和感だった。

 しかし、小さな違和感も降り積もれば大きな疑惑となり得る。

「この宿には四座さんも、その奥さんもいたはずだろ? その人達はどうなったんだよ」


 もはや彼女が人でないことが分かり、敬語はかなぐり捨てる。

 あいつは俺の背後でまたつまらなそうに欠伸をしているようだ。盛大な音が聞こえたので間違いない。俺はそんな雑音に一瞬彼女から目を離して怒鳴りつけようとしたが、今はそんなことをしている場合でないと自身を叱咤する。

 彼女から目を逸らしてはいけない。危険な生物の依り代なのだから何をしてくるか分からないのだ。


「彼はよく働いてくれたよ…… 私達のことをしっかりと秘匿しておきながら噂を広めてくれていたからね」


 眉間を揉みながら沈んだフリをする彼女は、唐突に顔を上げると 「だから」 と、とても美しい笑顔で俺を見た。

 微笑みしか浮かべなかった彼女の、満面の笑顔だった。たとえどちらも偽物の彼女だったとしても。


「今は愛しい妻の腹の中さ」


 そう、その言葉がどれだけ凄惨でも。それが初めて見る、彼女の笑顔だった。


「やっぱり鳥に…… ?」

「そう、私達は人間の脳を腹に収め、そこから記憶と常識を学習し、人間のフリをする」


 つかつかと、その場を四歩歩いては方向転換をしてまた四歩、と歩きながら彼女は説明していく。


「脳がこちらにあるのだから当然、脳を失った人間の体を操ることも造作ないよ。だがあの老人は脳を失った自分の妻を縛って監禁してしまったんだ。そうすれば妻の体も死ぬっていうのに、馬鹿だね。でも、おかげであの人間を操って餌場を作ることはできないし、私達の殺し方も何故だか知っていたようだった」


 見た目だけは可愛らしく首を傾げて眉を顰める。


「なら、四座さんを襲わなかったのはなんでだ? 妻を操れないなら残った主人を操ろうとすればいいんじゃないか?」

「…… 煙草は好かないのさ」


 それだけで理由は完結した。

 そういう伝承では〝 煙草を嫌う 〟っていう話はよくあることだし、創作された存在であろう彼女に弱点があるのもまた必然かもしれない。

 もしかしたら、その弱点は〝 四座さんによる最大の抵抗 〟だったのかもしれない。

 宿にやって来る客は廃墟探索を目的にする人ばかり。なら怪談ものも好きだろう。そうやって脳吸い鳥の話を広めながらこっそりと対策を仕込んでいたのかもしれない。

 彼女は分からないようだが、俺にはなんとなくそう思えた。


「…… わざわざ俺を足止めした理由は?」

「そのまんまだね。おにーさんを〝 人間() 〟が足止めしておいて、〝 () 〟が声真似で油断した人間を仲間に襲わせる。そのためさ」


 よくよく考えれば鳥と対峙しているときも俺ばかり狙って彼女は狙われることがなかった。それもこれも、彼女を襲う必要がなかったからだ。

 思えば、あのとき決めた合言葉も意味がなかったということか。

 口元が引きつる。もう刀から手を離せなくなっている。

 そうして、彼女は淡々と告げてから両腕を広げた。


「〝 皆 〟自分の脳が欲しいんだからね」


 その言葉と共に、彼女の広げた腕いっぱいに見るも悍ましい鳥が四方八方から集まってくる。そのどれもが濁ったギョロ目をしていたが、二羽だけ知性の宿った瞳を持った他より少しだけマシな鳥が肩と頭に留まる。

 当然、その二羽だけは腹が異様に膨らんでいた。


『ふふ』


 頭に留まった鳥が、羽をまるで扇子でも口元に置くように動かして笑い声を響かせる。

 その声は間違いなく青凪さんのものだった。


『そろそろ前座は終わりでいいかしら?』


 肩に留まった鳥が老女特有の声を響かせた。

 その嘴は、真っ赤に染まっている。


「煙草は嫌いなんじゃなかったんですか?」


 相手が老女なので思わず敬語になる。


『教えてあげるわ、少年…… 愛は全てにおいて勝るのよ』


 俺は少年なんて言われるような歳ではもうないけれど。

 チラリと背後を窺い見ても奴はやる気なさげ。そもそも参加する気は最初からないと分かっていたはずだ。

 だってあいつは、人間が無様に生き汚く足掻く姿が好きなのだから。

 少しだけ期待を込めて見てしまった奴の目は、冷たくこちらを見下しているようだった。


「さあ、キミ達で最後だよ!」


 そして、計十羽の鳥が、飛び立った。


「ぁっ、ぶね!」


 それはまさに混戦。

 思い思いに飛んでいる目の濁った鳥共をギリギリで回避し、腹からバッサリと切り落としながら着地点を一瞬で見極めなければならないのだ。

 それも何羽もいる鳥を一羽ずつ確実に殺していかなければならない。一回でもミスをすればすぐに組みつかれてあの長い嘴が耳の中に入ってくるのだ。末恐ろしい。


「……」


 脳である鳥が動き回っているせいか人間の体である彼女の方は沈黙を守っている。

 バタバタと音を立てながら頭の周りを飛び回る鬱陶しい鳥をまた一匹、かち割った。


「青凪さん!」


 脳を守ってあの鳥を仕留めれば青凪さんは助かるだろうか。

 そんな皮算用が脳裏を掠めてあいつの隣まで一旦下がる。


「おや、いいのかな? こんなことしてて」


 握りつぶした鳥の死骸を捨てて奴は手をはたく。


「うるさい。お前は握りつぶしてないで精々変態プレイしてろよ」

「え、いいの?」

「は!?」


 無抵抗になってしまった奴の姿を見て 「しまった」 と思ったがもう遅い。

 まあ、馬鹿のことは後回しにして…… というよりあいつが死ぬよりも先に鳥共を片付けなければならない。しかし、奴が手を出さないのは好都合なのかもしれない。

 それはつまり、彼女の脳を持ったあの鳥を、腹を潰さず殺すことができるかもしれないということだ。奴がいればうっかり彼女の脳ごと殺しかねない。


「はぁっ!」


 脳を宿しているわけでもない鳥は愚かにも分かりやすく突っ込んで来るから軌道が読みやすい。だからと言って当たるわけでもないが、相手は必ず俺かあいつの肩に留まろうとするので飛んで逃げる相手を無理に追う必要はない。


 ゲッゲッギャギャ! 


 奥に引っ込んでいた四座妻の鳥が飛び立った。

 どうやら戦況を不利と見て加勢しに来たようだ。

 なぜあの二羽が戦闘に加わらないのか考えたが、ようは脳があるかないかの違いなのだろうと結論付ける。脳を既に持っているあの二羽は俺を襲っても食事になるだけで意味はない。

 だから他の鳥に襲わせているのだろうが、全滅しては意味がない。

 加勢しに来た四座妻はその細長い嘴で俺の目玉を抉ろうとしてきたり、鋭い鉤爪で傷をつけようとしてくる。

 弱らせてから俺を乗っ取るつもりか。


「いっつ…… !」


 咄嗟に弾いた鉤爪。しかしいつの間にか視界から外れていた青凪さんの鳥が俺の後頭部を思い切り殴打して上空に舞い上がった。


『キミは少々厄介なようだ』


 俺の身長と刀を合わせても届かない上空で彼女が嘲るように言う。

 俺はぬるりと首筋を濡らす感触に、眩暈を覚えながら思わず頭を片手で押さえた。

 しかしそれがいけなかった。刀は両手で扱わなければ満足に振るえない。

 ひゅっ、と接近した鳥が再び頭に激突してきてぐらぐらと頭が揺さぶられる。

 次いで、両膝の裏から鳥が突進してしてバランスを崩した。


「っが!?」


 駄目押しに青凪さんの鳥が腹を圧し潰すようにどすんと降ってきて腹の空気が無理矢理押し出されていく。


 ギャア! 


 そして、残った最後の一匹が諸手を挙げて喜ぶように俺の顔に留まった。


「やめっ」


 目を開けていると鉤爪が抉ってきそうな至近距離。伸びる赤々とした舌。左耳がぬるりとした感触を感じ取ったときには既に奥の方で何かが裂ける音が聞こえた。


「あああああ!」


 一瞬で行われたチームワークに、もう二度とさせてなるものかと握って離さなかった刀を滅茶苦茶に振る。

 すぐ側にいた、俺に組み付いた鳥はそれで首を断ち切った。


「はあ…… うぅ、ふっ」


 奪われてはいない、はずだ。

 あいつならともかく俺みたいな人間が脳を少しでも奪われたら動けなくなるだろう。

 俺が組み敷かれていても欠片も動かず、端の方で鳥を追い払いながら冷たい目で見るだけだったあいつの黄色い目に期待するのはもうやめた。

 そもそも、あいつは人外。俺は人間。あいつにとって俺はお気に入りのおもちゃでしかない。おもちゃが壊れたところでその程度だったのかと捨て去るだけなのだ。


「ぅ……」


 泣いてなんかない。

 鼓膜が破られて聞き取りづらくなった羽音を追う。


「ここだぁ!」


 空振り。やはり片方の鼓膜が僅かでも破られると距離感が掴みにくくなるみたいだ。

 白濁した目の鳥はあと三羽。

 何度もチームワークを使ってどうにか俺を倒せないかとやっているが、もうその手にはかからないぞ。

 背後にまで気を使って上空にいる二羽を視界から外さぬように回避、斬、回避、斬、回避……


 残りの鳥が一羽になったタイミングで上空の二羽が怒ったようにこちらへ向かってきた。

 ここまできたら普通諦めるものだと思うのだが……


 ―― 鳥には知性はあるが理性がない。


 つまり、諦めて次の機会にだなんて判断するような理性は持ち合わせていないということか。


 目玉に向かってきて押さえ込もうとする四座妻を怯えないようしっかりと凝視し、目を掴み出される寸前で首を断つ。


 ギッ


 物言わぬ屍となった鳥を踏まないように避けてから最後の脳無し鳥を刺し貫く。

 いつの間にか赤竜刀は鳥の血だけでなく、自らその刀身を鮮やかな赤色に染めていた。


「…… っ」


 これが銘の由来だろうか…… と余裕が出てきて考えながら上空に逃げようとする鳥の翼を斬り落とす。

 それだけでショック症状が起きたのだろうか、青凪さんの鳥は呆気なく墜落し、そして息絶えた。


「っはぁ、はぁ……」


 一気に疲れが体を襲い、跪く。

 脳の指令が切れたからか、青凪さんの体はゆっくりと崩れ落ちてコンクリートの床に倒れていく。


「あお、なぎさん!」


 あれでは怪我をしてしまう。

 そう判断し、彼女の脳が入った鳥の死骸を掴んで駆け寄った。

 彼女の脳は生きている。生きているのだ。怪異に攫われてしまったが、どうにか元に戻すことはできないだろうか。

 しかし、俺には手術なんてできないし魔法が使えるわけでもない。

 あいつに縋るような目線をやっても面白そうにこちらを見て…… 近づいて、きた? 


「私なら、彼女の脳を元に戻すことができるけれど…… お前はどうしたい?」


 目を猫のように細めて奴が言うのは、ひどく甘美な誘いだった。


「お、れは……」


 彼女の青味がかった黒髪をそっと触れる。

 紫堂君も、黄菜崎君も、緑川さんも助けることができなかった。

 それならばせめて彼女だけでも。そう心の中で呟く。


「ほらほら、時間がないよ?」


 にやにやとした笑みを浮かべる奴の誘いは、怪しすぎる。

 だけれど、それでも助けられる命があるのに放っておくなんてこと、したくないと俺の良心が叫んでいるのだ。


「…… ぅ」

「え?」


 俺が迷いながら拳を握りしめると、彼女の瞼が震えて薄っすらと開かれる。

 その黒い目に光はなく、どこか虚ろで暫く視線を彷徨わせたかと思うとこちらを捉えた。


「なんで……」

「ははっ、鳥の機能が少し…… 残って、いるらしい……」


 自嘲するように彼女が枯れた声を出す。


「鳥の意識は、死んでる、から…… 私、の意識が表に、出てこれたみたいだよ」


 その言葉に少しだけ希望を持って、女の子だとか年下だとか考えもせずにその手を両手で持ち上げ、握り込む。


「ぜ、絶対に助けてみせるから! だからもう少し辛抱しててくれ! だからさ!」


 その状態のままあいつの顔を窺い見る。

 あいつはそんな俺の表情を面白そうに見つめてから 「お前が望むならやってあげてもいいよ?」 と相変わらず蕩けるような笑みで言った。

 しかし、その言葉を聞いて僅かに眉を顰めた彼女が 「いや、待て」 と制止する。


「待てって言われても、早くしないと死んじゃうんだぞ!?」


 俺の言葉に目を見開き、そして伏せた彼女は言いにくそうに唇を震わせてその言葉を絞り出す。


「ねえおにーさん……」

「な、なんだ?」


 悲痛な表情の彼女に嫌な予感を感じつつ握った手を更にぎゅっと、握りしめて声を聞き取りやすいように少し身を屈めた。


「お願いだよ…… そんなことを言わずに…… 私を、殺してくれ」


 頭が真っ白になった。


「ど、どうしてだ? やけになってるんだったら……」

「そんなこと、ない…… 予感が、するんだ。なあ、神内さん…… 私が助かったら…… 私は、どうなる? 知って、いるんだろう?」


 虚ろな目に涙が溜まっていく。

 それを動かせない体で拭えるわけもなく、彼女の頬に雫が滑った。


「…… くふふ、お前の予感は当たっているだろうね」


 その不吉な笑い声に、彼女は 「そうだろうね」 と返す。

 分かっていないのはどうやら俺だけだ。


「どういうことだよ! 説明してくれなきゃ分かんないだろ!」


 叫ぶ俺にあいつは 「くふふ」 と嘲るように笑って親切そうに言葉を紡いでいく。


「脳を元に戻しても、一生目覚めないかもしれないし、目覚めたとしても重度の障害と波のある発狂症状が起こり続けるだろうね。そうしたら意識なんてなく、周りの人に危害を加えるだろう。くふふ、植物状態が一番マシだけれど、それでも親族の負担にはなるだろうね? 一生目覚めるかも分からない娘のためにお金をかけて、そして精神的に疲弊していく。目覚めたとしても発狂する娘に絶望して自殺しちゃうかもね?」


 絶句。その一言だった。

 こいつはそれを隠したまま彼女の蘇生を俺に判断させるつもりだったのか。


「で、でも、死ぬよりはマシだろ!?」


 俺の言葉に奴は冷めた目で見るばかり。

 彼女は 「ふふ」 と笑って目を伏せた。


「なら、やはり、死んだほうが…… マシさ」

「そんなこと言わないでくれよ、青凪さん……」


 俺はどこかで昔のクラスメイトのことを思っていたのかもしれない。

 助けることのできなかったあいつら。馬鹿やって、楽しかった学生生活。一瞬で崩れた信頼関係。正気を失ったあいつらの表情、行動…… そして、絶望。


 救いたかった。助けたかった。


 それを、彼女で代用しようとしてるんじゃないか? あいつの冷たい目はそうやって俺を責め立てているように見えた。


「くふふ、無理矢理生かされるのってそんなにいいことなのかな?

 誰かの迷惑になるくらいならいっそ死んだほうがどちらも幸せになれるんじゃない?」


 甘言は手の平を返し、俺の心を揺さぶる言葉に。

 そして、青凪さんの決意を固めていくようにあいつは言葉を選んで誘導していく。


「以前と同じ行動も思考も出来ずにただ暴れるだけだなんて、それって生きてるって言うのかな? それこそ殺してあげたほうが親切なくらいだ」


 彼女が目覚めることがなければ、きっとあいつは真実も告げず蘇生したに違いない。

 奴が説得している相手は俺じゃない。彼女だ。


「〝 彼女はそれを望んでいる 〟お前に望んでいるよ」


 沈んでいく。彼女の瞳は深海のように黒く、深くなっていく。

 それは、きっと深い絶望。


「お前の手で殺されることを、望んでいるよ」


 彼女の目が懇願するようにこちらへ向く。

 やめてくれ。そんな目で見ないでくれ。


「ねえ、お前はどっちを選ぶの…… ?」


 優しく語りかけられる言葉がかえって怖い。

 呼吸が荒く、息が苦しい。

 そんなものを俺に選べというのか? 無理だ。俺にはできない。

 俺はきっぱり選べるほど強くなんかないし、酷いことを言うがそんな責任なんて、とりたくない。俺は弱い人間だ。無理に決まっている。


「おにーさん……」


 嫌だ、嫌だ、嫌だ! 


「俺は…… 、俺は、それでも、できねぇよ!」


 握っていた手を離して床を叩く。

 ゴリッ、と鈍い音がして拳から血が流れた。


「そう…… くふふ、優しさってときに残酷だよね」


 バタバタ、と耳元で羽音が聞こえた気がして振り返る。

 なにもいない。


 ギャア! 


 再び、耳元で聞こえた。


「ぅ、わ、ああああああ!?」


 手元に置いていた赤竜刀を防御のために咄嗟に構える。

 そうして刀に自らぶつかってきたそれは、赤い血を撒き散らしながら〝 再び 〟倒れていく。

 ばっさりと切れた青味がかった黒髪が宙を舞ってひらひらと落ちていくのが視界の端に映った。


「あ……」


 首元を斬り裂かれて彼女の服が首かけエプロンのように真っ赤に染まっていき、ピチャン、と何かの雫が滴り落ちていく。


「ばかだなぁ、おにーさん…… は」


 ぎゃあ、と鳥の声を真似るように呟いて彼女は笑う。



 ―― 特技は、怪異譚を集めることと、動物の鳴き真似、かな。



「あ、な、なんで……」


 自ら構えられた刀に首を滑らせて彼女は崩れ落ちていく。

 その身を真っ赤に染めて。その顔に笑みを浮かべて。

 まるで満足そうに、嬉しそうに…… 〝 ありがとう 〟とでも言うように。


「おにー、さん、のせい…… じゃ、ない…… よ」


 その鮮やかな飛沫が目の前を過ぎ去ってビチャリと音を立てた。

 その行方を辿り、頬を触ればどろりとした〝 それ 〟が手についたのが分かる。


「う、嘘だ……」


 彼女はもう動かない。


「嘘だ」


 彼女はもう話さない。


「うそだ」


 彼女はもう目を開けない。


「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だぁぁぁぁぁぁぁ!」


 倒れた彼女から血溜まりが広がっていく。

 そして満足そうに俺の頬を撫で、哄笑するあいつの声を背景に、ぷつりと、俺の意識は途切れた。






 ◆






「さてと、れーいちくんの可愛い顔も見れたことだし、帰ろっか」


 気絶した彼を担いでそいつ…… 神内が独り言を呟いた。


「脳は置いといてっと」


 鳥の死骸だけを一箇所に集め、神内は満足そうに頷く。

 するとずるり、と床の一部から巨大な顎が現れて鳥の群れを一飲みに口の中へと収めていった。

 その口はばぐん、と閉じて暫く骨を砕くような凄惨な音を口の中で響かせると次第にその姿を床から生やしていき、ついには大きな狼の姿をとる。

 その姿は巨大で、背に生えたタテガミのような蛇がうねうねと蠢いた。


「後始末ご苦労様」


 神内が携帯電話を片手に言うとその巨大な狼は鋭い目線を彼へと向け、眉を顰めるようにグルルと唸り声をあげる。


『ああ? なんでてめぇがいるんだよ。仕事の依頼があったと思ったらキチガイと遭遇するとか俺様ついてねーな』


 器用に狼の口から発せられた言葉に神内が 「これこれ」 と携帯電話を指差してにっこりと笑う。

 それに狼は 『あの依頼お前かよ』 とげんなりとした表情になる。


「そうそう、そこの脳は置いていってよ」

『あー? …… ああ、神隠し扱いになるよかマシな処理か』


 どこか納得したように狼は呟くと、その場に残った女性の遺体を優しく咥えてまた足元からずぶずぶと床に沈んでいく。


『じゃーなヒトデナシ。もう呼ぶなよ』

「じゃあね番犬。またよろしくね」


 ―― その狼の頭は、三つあった。






「さて、これで仕上げだね」


 嬉しそうな声で玄関に貼ってあったポスターに、見つけたマジックペンで書き直しながら神内は妖しげに笑う。


【脳残し鳥に御用心】



 書き換えられたポスターは、風によって悪戯に揺れていた。








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