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最悪な修学旅行「無貌と無謀」

「お、おい、大丈夫か!?」


 大丈夫だなんて……そんなわけはなかった。

 友人達の誰もかも気が狂ったように笑ったり、泣いたり、逃げ出したり、逆にその肉塊に向かっていったりと阿鼻叫喚の地獄絵図と化していたのである。


 聞こえる悲鳴、怒号、己の胸を搔きむしりながら自害しようとする者。自らの目玉を潰して、それを見ないようにしようとする者。巨大過ぎるが故に溢れ出た触手を、自ら近づいて噛みちぎろうとする者。


 それら全てを止めようとしてみても、友人達は止まらない。

 まるで正気じゃなく、言うなれば〝発狂〟してしまったようなその状況。

 皆の奇行を目の当たりにして、かえって冷静になったその頭で考えを巡らせる。


 どうする、どうすればいい? 


 俺にできるのは……この状況を、犠牲が少ないうちに少しでも早く終わらせることだけだった。


 足を踏み鳴らし、臆するように震える自身の体を叱咤する。

 それから唇を噛んで、巨大なその怪物に向かっていく。


 そいつの姿を見たのであろう、飛行するポリプ達の数体があっさりと墜落し、触手に捕まり、引き千切られていく。まるで玩具でも弄ぶかのようなその光景に、ぞわぞわと静かな恐怖が纏わりついてきた。

 あの浮遊している化け物でさえ簡単に嬲り殺せてしまうこの巨大な『神内千夜』だったナニかに、俺は当然のことながら敵うはずがない。絶対に敵うわけがないと心のどこかで理解はしている。


 けれども、それでも立ち向かわねば、犠牲が増え続けるだけなのだ。

 この怪物に。この邪悪なナニカに。立ち向かえるのは俺しかいないのだから。


 無謀だ。

 そんなこと分かっている。


 無理だ。

 やるしかない。


 怖い。

 ああ、そうだな。でもやるんだ。


 目を瞑って自問自答し、勇気を振り絞る。

 その搾りかすのような、ほんの少しだけの勇気さえあればこの足を動かすことはできた。ゆっくりの歩みから、だんだんと早く。


 発狂した友人の一人がスコップで強大な怪物の触手を叩く。

 しかし、あの飛行するポリプにさえ効かなかったそれが通用するわけもなく、振るわれた触手に当たったその友人の体が、血袋が弾けるようにあっさりと破裂した。


「っ……」


 あげそうになる悲鳴を押し殺して、その横を通り過ぎる。

 大切な友人達。くだらない雑談や、(いさか)い。その全ての思い出が脳裏を巡っていく。


 思い出が壊されるようにひとつひとつ、触手が友人を手にかけていく。

 せめて、壊れた心を救うことができなかったとしても、生き残らせてやりたいから。死なせたくはないから。

 誰か一人でもいい。救うことができたらと願って、滑りそうになる刀の柄を握り込んだ。


「ああああ――っ!」


 気合いを入れて一閃。

 無謀なようにも思えるその挑戦。丸太のように太い触手に向かって振り下ろした。


 そして……轟音。


「斬っ、た……?」


 月光に照らされ仄かに光る刀身。

 その先に付着した、ぬらぬらとした液体。俺の横に落ちてくる触手の先端。


 その瞬間、世界の全てから音が置き去りにされたように無音になった。

 触手が一斉に動きを止めたと思えば、顔のない怪物の頭部と思われる部分がこちらを向いた。目なんてどこにもないのに、確かに俺に向けられていると分かる視線。


 死ぬ。殺されると思った。

 なのに、肉塊は動きを止めたまま収縮していくように体を震わせる。人型へと戻っていく。事態が怪物自身によって終わりを迎えた。


 旅館は既に、静けさを取り戻していた。

 他の皆はどうなっただろう? 他の教師は? 生徒は? 旅館の人は? 京都に放たれた化け物はどうなった? そんな疑問が後から後から湧いてくる。

 しかし、ついに俺がその答えを目にすることはなかった。


「くふふふ」


 黒い三つ編みの男、神内が俺の目の前にツカツカと歩みを進める。

 俺は咄嗟に刀を構えてそいつに突きつけてやろうとした。しかし、その前にその手を捻り上げられ刀を取落す。


「ぐっ、このっ、ふざけるな!」

「ふざけてなどいませんよ。くふふふ、すごいですねぇ。この私に傷をつけるだなんて……実に素晴らしいことです。腰の入ったイイ一撃でした。それはもう、惚れ惚れするくらいに。気持ちいいくらいに素晴らしい一撃でした」


 早口で捲したてるそいつに、俺は口を閉じる。

 素直に気持ち悪い。話しかけることすらしたくなかった。


「私は、ニャルラトホテプ……ニャルラトテップ、ナイアーラトテップ。どれでもいいですけれど、あなた達の言う、神様という奴ですね」


 こんな邪悪な神がいてたまるか。

 吐き捨ててやりたかったが、口を利くのだって嫌だったので黙ったまま顔を逸らす。


「いっ、ぐっ……!? テメー、なにすっ」

「人が話しているときは、目を見て話を聞きましょうね?」

「誰がっ、いっ……!?」


 捻り上げられた腕がギシギシと音を立てて無理な方向に負荷がかけられ、ついには鈍い音を立てる。そのりあまりの激痛に、俺は無様な悲鳴をあげながら体の力を抜いた。

 無理矢理折られた腕が、なおも掴まれたままぶら下げられる。

 俺よりも随分と低い位置に頭があるはずの、その男に大の男である俺が屈している。その事実は覆らない。

 痛みで滲んでくる涙を頭を振って払いながら、奴を睨みつけた。


 打ちのめされてなにも言えない俺に向かって、薄ら笑いを浮かべた奴が告げたのは日常から非日常への転換。決定的な失敗と敗北の末に辿り着いた、最悪な結末。


「お前の名は、下土井令一だったかな?」


 すぐさま再生でもできそうなのに左腕に刻まれた刀傷を嬉しそうにさすり、神内が言う。


「くふふっ、ああ…… 人間なんて、なんてツマラナイ生き物なのだろうと思っていたけれどなるほど、この私に傷をつけるだなんて面白い子だね」


 傷つけられて嬉しそうに笑うそいつのことなんて一欠片も理解できずに、やはり俺は黙したままだった。痛みと苦しみでなにも言えなかったというのが正しいかもしれない。


「お前はどこまで私を楽しませてくれるだろうね?」


 抵抗もできない俺の首に、奴の白い腕が伸びてくる。俺はそれを避けることもできずに、そのまま持ち上げられる。そして、首にかけられた手が熱を持つ。

 焼ごてのようなその手は俺の首を徐々に締め上げ、そして恍惚とした表情をしたそいつは冷笑を浮かべてべろり、と舌なめずりをした。


 ああ、あいつらと同じところに行けますように。

 そう願って委ねた自身の身体は奴の馬鹿みたいに強い力で宙に吊り上げられ、やっと死を覚悟した。しかし、苦しいだけで、痛みが長引くだけで一向に意識が遠のくことはなかった。


「お前に呪いをあげよう」


 薄ら笑いを浮かべたまま呟かれたその言葉に俺は目を見開いた。

 俺とそいつのいる地面がほの青く光り輝き、その場に刻まれるように円周を描いて複雑な紋様を形作っていく。


 嫌だ。


 反射的にそれは良くないものだと判断して、俺は精一杯もがいた。

 力を込めて奴の手を引っ掻き、抵抗しても……しかし、今度は傷一つつけることもできなかった。


 そして頭が焼き切れるような激痛が走り――。



 次に目を覚ましたときには馬鹿でかい屋敷で、既に俺は人ではなくなってしまっていた。

 いや、人ではあるのだろうか。奴は人間に拘っているようだから、奴にとってきっとまだ俺は人なんだろう。


 俺は未だ人間のままだ。

 しかし、俺は奴の呪いによって「殺す以外で死なない」人間となり、「奴の言うことを聞かなければ容易に破棄される玩具」となった。


 呪いは今も俺の体に刻まれたまま、消えずに残されている。

 それは目には見えないが、鎖となって確実に俺を縛り付けている事実は変わらない。


 なに、死なないならデメリットなんかないだろうって? 

 そんなことはない。死ぬほど大嫌いな奴に100年どころかずっと永遠に玩具扱いなんて勘弁してくれというものだ。


 自由恋愛だってろくにできやしない。

 それにこんな立場じゃあ、きっとまた俺は守れない。


 そう、君に会ったから。

 紅子さんに会ったことで、俺の絶望の日々は変わった。

 君という相談できる存在ができたからこそ、確かに俺は救われた。


 だから、今度はもう失いたくないって思うのも、仕方ないだろう? 


 俺は決意したんだ。

 もう二度と、大切なものをあの邪神に奪われてなるものかと。


 そして今も、俺は足掻き続けている。

 いつか、この努力が身を結ぶと信じて。

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