最悪な修学旅行「絶望」
「はあー、終わった終わった」
「あとはもう帰るだけだなー」
「そうそう」
友人達の話を聞きながら、俺は考えていた。
どことなく不安がよぎっていたからである。なぜか、安心しているはずなのに、妙に心がざわついていた。後ろ髪が引かれるように旅館を振り返る。
バスが旅館の前に止まり、あと30分もすれば帰還のために動き出すというところだ。旅館の中では、今も荷物の整理を怠っていた人物達が慌ただしく歩き回っている。
化け物退治から一夜明け、普通に修学旅行のカリキュラムに参加した俺達はいよいよ帰るときが迫っていたのだ。
「それにしても、なんであんな化け物が出たんだろーなあ」
「そう、だな」
友人の言葉に生返事をする。
ずっとずっと引っかかっていたことを、頭の中で整理しながら探っていく。
そうだ、確か昨日……皆で貯水タンクを目指しているときにモヤモヤとしていたのだったか。
だから思い返す。そのときのやりとりを。
詳細に、そのモヤモヤの正体を探り出す。
◆
「そういや、ここに来て初日は特に口笛がーって話なんてなかったし、いつからあの化け物が出てきていたんだろうな」
ふとした疑問を呟くように、友人が言った言葉に顔を向ける。
そういえば、不思議な話だ。俺達がここに泊まり始めた初日は特にそんな騒動はなかった。2日目の夜に男子生徒が一人消え、そして昨日先生が一人殺された。
「地下室にあった血の染みは二人分だけ……だよな?」
「俺らの見間違えじゃなきゃそうだろうな」
犠牲になったのは二人だけという事実。
そして今朝神内さんが言っていた言葉を加味すると、旅館の従業員は数日に一度、もしくは週に一度程度の頻度で地下室を掃除しているだろうことが伺える。
従業員に犠牲が出ておらず、犠牲が出たのが男子生徒と先生だけとなると、あの化け物も二日前に始めて現れたこととなるのだろうか。
男子生徒は、あいつは気になるからと言って自分から調べに行った可能性が高いし、まあ納得ではある。自分から餌になりに行くようなものだったわけだ……そして。
◆
そのあと思考停止してしまったが、今度こそ考えを巡らせる。
あのときの会話に感じたモヤモヤを。その正体を。考えつきそうになった思考を、点と点を繋げていく。
化け物が出始めたのは、恐らく二日前。
そして、そして? そして。
――「神内千夜様なら、二日前より千寿菊の間に宿泊されております。地図をご参考にしてくださいませ」
二日、前。ハッとする。
そして急いで、もっと前の記憶をも探り出した。
そうだ、そうだ、確か先生が犠牲になったあの日、あいつは……「神内千夜」は地下室のある方向から俺達の隠れている部屋の目の前を通って行ったのである。
ぞわり、と背筋を悪寒が這い上がる。
本当に、本当にこれで良かったのか? あいつの依頼を受けて、化け物を退治して、たとえマッチポンプだろうと化け物がいなくなれば全て解決すればいいはずだった。でも、本当にそれだけでいいのか?
「なあ、ちょっと聞いてくれ」
あのとき関わった友人達全員に俺の懸念を話す。
すると血気盛んなこいつらはすぐさま答えを叩き出した。
「黒幕がいるってんなら、それを突きつけるまでがこういう漫画とかにありがちな物語じゃね?」
「……勘のいいガキは嫌いだよ」
「似てねーし!」
漫画の台詞をふざけて言い合いながら、そっと俺達はバスから離れる。きっと旅館の中に、まだあいつがいると確信して。
それから探し回り、もうすぐ出発の時間というときに……あの部屋の前を通る。そして俺は予感に従って、再び刀を手に取った。
もしかしたらこれを脅しに使って、なぜそんなマッチポンプじみたことをしたのか聞きだすことすらできるかもしれない。そんな期待を抱いて。
もしかしたら、ただの暇潰しだったのかもしれない。
もしかしたら、ただ嗜虐的な自分の趣味を満たすためのものだったのかもしれない。
神内千夜という男を俺達は知らなすぎた。
黒髪三つ編みの、美しい男。地下室のあるあの庭で、あいつはそこにいた。
「くっふっふっふっ」
美しい顔に似合わない、胡散臭い笑い声が響き渡る。
男は、俺達の姿を認めると、まるで俺達のことなんて気にせずに空を見上げる。
今日は――満月だ。
そんな景色に溶け込み、美しい男が月光を浴びながら月を見上げる風景。
一種の絵画の中の世界のような非現実的な光景は俺たちを釘付けにし、そしてその恐ろしい変化の最中でさえも、決して目を逸らすことはできなかった……いや、許されなかった。
「タイムアップですよ。あなた達は失敗しました」
「一体、それはどういう……!?」
「な、なあ、あれ……」
友人の怯えた声が聴こえて、そちらに視線を向ける。
そこには、開け放たれた地下室へのシャッター。
そして、旅館中で悲鳴が上がった。
「なんっ」
なんだ、なにが起こった。
そう言おうとして、絶句する。
――口笛が、口笛の音が、そこら中でしていた。
月光に照らされて視えたり視えなくなったりするその姿。
それが首を巡らせれば、そこかしこに、いたるところに浮遊しながら旅館の中や外へ向かって飛んでいく。
「どういう……」
俺達には目もくれずに飛行するポリプが、『複数』の化け物が、京都の街に放たれていく。
「誰が一匹しかいないなどと言いましたか? あなた達は失敗したのですよ。あなた達は、せめてあの穴を塞がなければならなかったのです」
失敗。
その二文字が脳裏に刻みつけられる。
既に絶叫や断末魔が旅館のあちこちであがっていた。
「そんな、ことって……!」
「お前っ!」
怒りの声をあげる。
そして、その黒幕に対して一番血気盛んな友人が殴りかかりに行く……、瞬間笑っていた男が、頂点から裂けた。
そうとしか表現することはできず、まして俺の少ない語彙ではその恐ろしさを誰かに伝えたところで意味をなさないだろう。
遅れて、不可視だったポリプ状の体がそのそばを通ったことを認識し、神内千夜という男が、黒幕が自らの放った化け物に殺されたのだと思った。
しかし……それは違った。
もっと恐ろしいものを、俺達は目にしてしまったのである。
だから率直な感想しか、もはや出てこない。
それは貌のない肉塊だった。流動し続ける触腕。時折垣間見える鉤爪。顔がないくせに悍ましくこちらを嘲っているようにも見える肉の動き。
自身の身体が総毛立つのを感じた。しかし、それを直視してもなお俺は壊れることができなかった。
そう、〝俺だけ〟は壊れることが叶わなかった。
悲鳴があがる。
悍ましいものを、気持ち悪いものを、そして自身の価値観もなにもかもを捻じ曲げるような冒涜的なものを見た皆は――一瞬で壊れてしまった。
この日、俺は出会ってしまった。
侮っていた俺は、俺達は、自ら餌になりにいったクラスメイトと同様に、自ら罠に足を踏み入れていたのだと気づけなかった。
交通事故に遭うように、自然災害に遭うように、避けたくで避けられない悲しい結末。理不尽の権化。
『絶望』という災害に、俺達は遭遇したのである。




