最悪な修学旅行「決戦へ」
夜だ。
満月ではないが、肥え太った月は我が物顔で煌々と輝いている。
紺色の明るいこの月夜に、俺達は緊張を表情に乗せて旅館内を歩いていた。
明日の夜には、俺達はバスでこの旅館から帰ってしまう。
そうなると、明日の夜は化け物とやり合う時間なんてとてもとれそうにない。
だからこそ、今夜中に決着をつける必要があった。
俺達以外の全てが死んだように静まり返った中、微かに聞こえる口笛の音を頼りに進む。目的地などとっくに分かっているが、それでも耳は無意識に口笛の音を拾って先へ先へと心を急かしていた。
木の廊下が軋む音。さすがにふざけることもできなくなった俺達の、緊張した息遣い。静かすぎて逆に耳がツンと痛くなる空気。
月明かりの綺麗な夜なのに、どうしてかその明るさが逆に不気味に感じられた。まるで、大きな月が俺達を覗き込んでいるような、夜の闇がそのまま俺達を囲んで包み込んでくるような、そんな圧迫感。
そんなの錯覚だと分かっているのに、どうしても不安が付き纏う。
「下土井。刀、取ってこいよ」
「ああ」
途中の廊下で、部屋にするりと入り込む。
中にあった派手な拵えの刀は、まるで俺を迎えるかのように床の間に鎮座していた。
迷うことなく手に取り、ほんの少しだけ鞘から引き抜く。
銀色の美しい刀身が俺の顔を鏡のように反射して映し出し、その表情が険しいものになっていることを言外に伝えている。緊張した顔が映し出されてしまい、ほんのひとときだけ目を瞑る。
「よろしく頼む」
声をかけたのは、なんとなくだった。
無断で実戦に使うということもあって、ほんの少しの罪悪感が胸の内に広がる。
はたしてこの刀は実戦に使われることを良しとしてくれるだろうか。飾られているだけのほうが良かったのだろうか。そんな疑問が次々と浮かんでは、消えていく。勿論、他人の物なのだから、そんなことに使わないほうがいいのだろう。しかし、刀としては、どうなのだろうか?
そんな、人目線になって考えてみるなんておかしな話だ。ただの刀なのに。
それでも、頼りはこいつだけだ。
きっと俺が一番あいつらに期待されているんだろうし、やらなければバクバクと頭から食われて終わりなのである。
ならば精一杯抵抗してやる。この、名前も分からない刀で。
カチン、と少しだけ引き抜いていた刀身を鞘に戻す。
それから、刀を持ったままに廊下へ出る。
「準備はいいか?」
「おー、結構様になってるじゃん」
外に出れば、友人から声がかかった。わざとらしく明るい声を出して、沈んでいる気分をなんとか盛り上げようとしているらしい。
「腰につけないのか? 侍みたいに」
「つけかたなんて分かんないって」
つけられたら格好良かったのだが、生憎とやりかたなんて知らないし、素人の俺では邪魔になるだけだ。
「こう、紐でベルトにグルグルーっと」
「鞘が腰にぶら下がってたら多分上手く動けないだろうし、鞘は誰かに預けるよ。美術品なんだから丁寧に扱えよ」
「今からその美術品を振り回そうとしてる人間の言うことじゃねーな」
「それもそうだ」
笑って、誰が言うでもなく歩き出す。
俺達の装備はスプレー缶とチャッカマンを持っている奴が一人。スコップを持っている奴が二人。クワを持っている奴が一人。どこからか爆竹を買ってきた奴が一人。いや本当にどこで買ってきたんだそれ。
それと、最後に刀を持った俺の計六人で地下室へと向かう。
渡り廊下を歩ききり、シャッターの開閉スイッチを入れた。
ガラガラとゆっくりシャッターが上がっていくその様子を見ながら、同時に「始まってしまうんだ」という鈍い実感がじわり、じわりと湧いてくる。
そのシャッターの隙間からどんどん恐怖というものが滲み出て這い寄ってくるように、俺達の背筋を薄ら寒いものが撫で上げた。
いよいよだと実感が湧いてしまったために、全員の顔が険しいものとなる。
足が震えている奴だっている。
目の前で頭から食われた教師の末路がどうしても目に焼き付いて離れてくれず、竦んでしまいそうだった。恐怖がのしかかってきて、どうやって足を動かし、そして歩いていたのかさえ、分からなくなってしまいそうなほどの圧迫感。
シャッターが開ききるのにそれほど時間はかからなかったはずなのに、それが何時間もかけて開いたような気分にさえなってくる。
恐怖は感覚を鈍磨させてしまう。
首を振って、片手で頬を叩く。そして気合いを入れて、恐怖を意識の外に追い出した。
「行くぞ」
「ああ」
「怖い奴は、ここで待っていてもいい」
「なに言ってんだよ。行くよ」
「そーそー、怖いけど、一人で待ってるのもそれはそれでこえーじゃん」
「だよなあ」
最後通告のように言ってみたのだが、全員どうやら決戦の場へと向かうようだ。
俺を先頭に地下へと階段で降りる。
それから、まっすぐの廊下をゆっくりと忍び歩きで進み、広い部屋の、火災報知器を目視する。
さすがに火災報知器に火を当てている間に、殺されてしまうことは理解できる。そういえばその辺のことはなんにも考えていなかったなと反省した。
「爆竹をあの辺に投げるんだ」
「お、さっそく役に立つな」
小声でやりとりをしてから爆竹に火をつけ、口笛の音がしている辺りに投げつける。
狙うは一匹の怪物のみ。
爆竹の軽い爆発音が鬨の音となって、地下に響き渡った。




