最悪な修学旅行「化け物の正体」
作戦会議を終えると、ちょうど昼時になっていた。
「先日よりお出での神内様から追加料金をいただいておりますので、お昼はお作りいたします。こちらで召し上がりますか? それとも食堂のほうで……」
部屋にやってきた女将さんに驚いて思わず誰かが声をあげてしまったが、さすが客の対応に慣れているのか、女将さんは気にせず用件を伝えてくる。
この旅館は……というよりほとんどの旅館は朝夕の食事がついていても、昼の食事はサービスにつかないことの方が多い。
しかし俺達は体調不良という理由で旅館内に留まっていたので、昼が必要になる。先生方からの差し入れでもあるかと思っていたが、どうやら神内千夜からの計らいで旅館側に昼を作ってもらえることになったらしい。
「あ、あの……」
「どういたしましたか?」
女将さんが去る前に声をかける。
「ここって貯水タンクとか、あるんでしょうか? えっと、先生から、外に行けないなら旅館の歴史について調べなさいって、課題が出されているんです」
咄嗟について出た嘘としては、多分上出来だったと思う。
実際に、先生方から後でなんらかの課題が出されることは分かりきっていた。学校というのはそういうものである。
「貯水タンク……ですか。あとで旅館の詳細な地図をお持ちいたしましょうか」
「それと、旅館の歴史が分かるようなものがあれば……」
「かしこまりました」
わりと無茶を言っているのは分かっているが、女将さんは疑問を飲み込んで納得してくれたようだった。
これで恐らく、求めていた情報は手に入るだろう。
実際に見に行くのはお昼の後にするとして……今は部屋で少し考えることにしようかな。
「あ、それと」
「はい?」
女将さんが部屋から去る前に声をかける。
「神内さんってどこに泊まっているか分かりますか? お礼を言いたくて」
「神内千夜様なら、二日前より千寿菊の間に宿泊されております。地図をご参考にしてくださいませ」
「ありがとうございます」
頭を下げて女将さんが去っていく。
これで一応あの人の居場所も分かったことだし、人の足音も遠ざかっていったので、聞かれたくない話もまだできる。
しばらく昼飯が来るまで暇になってしまったし、かといって外に出るほどの時間はないだろうから、まだ話し合いを続けよう。
「それでさ、もし工夫して見えるようになったとして、化け物相手に武器って通じると思うか?」
「やってみないと結論なんて出ないだろ。つーか、下土井がやろうって言ってんのに、蒸し返すなよ」
「いやまあ、そうなんだけどさ」
返す言葉もない。
「でも、素手でなんかやろうとするのはやっぱり危ないし、武器は探しておかないと」
「下土井はあの刀で決定だろー。俺らを守って! れーいちくん!」
ふざけたように言う友人に、苦笑いをして言う。
「分かった。分かったから。やればいいんだろやれば。実行するときは持っていくよ」
「ひゅう! 格好いい! 頑張れ剣道部!」
「うるせー、期待すんな」
俺を茶化すなんて余裕が出てきたことに、ほんの少しだけ安心する。
緊張しっぱなしも、恐怖で固まりっぱなしになるのも、よくはないからな。
「まあ、でも、武器は探しとかないとなあ」
「厨房に入り込んで包丁とか?」
「ばっか、お前そんな短い刃物で例の奴とやりあうのを想像しろよ」
包丁で、と言った友人が顔をさっと青ざめさせる。
リーチの短い武器で得体の知れない化け物を相手にするなんて自殺行為だからな。本来なら、接近することすら危険かも知れないし、どれくらいの大きさがあるかも分からないのに。
あの地下室にあった穴の大きさからすると、そんなに全長は大きくないかもしれないが……それでも人間よりは絶対にでかいだろうし。
「あっ」
そうやって俺達が化け物について話し合っていると、先程の作戦会議のときからなにやらネットで調べていた友人が声をあげた。
「どうした? なんか分かったか?」
化け物のことなんてとてもネットに載っているとは思えなかったが、この様子だと調べることができたのだろうか?
「えっと、お前らってさ、神話とか興味ある?」
「なんだその言い方。正直言って、神話とかどうでもいいけれど……もしかして例の化け物が神話に出てくる神様だったりすんの?」
もしそうなら、とんだ醜い神様がいるもんだ。
不信心者の俺はそんなことを思いながら質問した。
「クトゥルフ神話って、知ってるか?」
「知らねー」
次々と知らないという声があがる。
そりゃそうだろ。そんなものに興味はないし、知っているとしても、アニメや漫画によく出てくるギリシャ神話とか北欧神話をほんの少しだけの偏った知識がある程度だ。ケルベロスとか、フェンリルとか、魔神ロキとかそういうのだけ。そんな神話の名前は聞いたこともなかった。
「なんか、昔人が作った創作神話らしいんだけど……」
「創作? 創作ってことはただの物語だよね。それがなんだよー」
気の早い奴が結論を急がせる。
しかしスマホで調べ物をしていた友人は勿体つけるように……いや、勿体つけるというよりも、心の中で整理しながら話していると言ったほうが正しいかもしれない。多分本人もまだ、納得していないんだろう。
「それがさあ、口笛の音と見えない化け物ってキーワードで探すとヒットするのが、その神話の化け物だけでさあ」
「いや、でも創作じゃん」
昼飯がまだでイラついているのだろう。別の友人が切って捨てるように言う。
「そ、そうだよなあ」
その言葉に、調べていた友人が押し切られそうになっていたため、一応興味が湧いた俺はフォローに回ることにした。
「まあまあ、名前を聞くくらいはいいだろ。で、その化け物に名前はあるのか?」
「名前って言っていいのかな。一応、呼び名みたいなのはあるみたいだけど」
「へえ、なんて名前なんだ?」
「名前って言っていいのかなあ……」
そいつは悩みつつも、しかしその言葉を口にした。
「飛行するポリプ、だってさ」
一瞬、意味が分からなかった。
名前が出ると思っていたのに、出てきた言葉は到底名前とは思えないものだったからだ。
「ポリプってなんだっけ?」
「腫瘍?」
「いや、それはポリープだろ。発音が違う」
「待って調べる」
友人は再びスマホに視線を落とし、それから数分で答えを口に出す。
「なんか……円筒形状のイソギンチャクみたいな、触手があって岩とかにくっついてるやつの形のこと……? らしいぞ」
「……ってことは、それが空飛んでるってことだよな」
「そうなるな」
想像してみても、うねうねしたイソギンチャクが空を飛んでいる場面しか思い浮かばなかった。思っていたよりも気持ち悪くてシュールだ。
「本当にそいつなんだな?」
「ああ、口笛みたいな音の声、不可視で、しかも地下に住んでいるって共通点があった。それに似たような話の怪物なんて他になかったし」
「そいつが実際にいる……と」
あまり実感が湧かない。直接その姿を目で見たわけではないからかもしれない。その気持ち悪い姿を実際に見たら、もう少し実感も持てたのだろうが、目の前で死人が出たとはいえ見えていたわけではないから、いくら想像してもシュールで滑稽な想像しかできなかった。
「失礼します」
襖の向こうから声がかかり、ゆっくりと開く。
「お昼をお持ちしました」
「ありがとうございます」
化け物の正体は知ることができたが、それはそれとして……まずは昼飯だ。
腹が減っては戦ができぬ。動く前に、ちゃんと食べておかなければならない。
そうして俺達は、いったん話を中断して旅館の昼飯を堪能するのであった。