最悪な修学旅行「昼間の地下室」
渡り廊下を進み、屋根の下にある地下室の入り口を見つめる。
今はシャッターが閉められたそこは、まるで昨日のことがなかったかのようにヘコみすらなく、ただただそこにあった。
「あ、開けるぞ」
「おう」
一人が操作盤を動かし、シャッターを開ける。
閉まるときとは違い、ゆっくりと開いていくそれを緊張した面持ちで見つめていると、機械的な音を立ててシャッターが開ききる。
ごう、と風が地下に向かって入り込んでいく。
それと同時に地下室特有の湿った臭いと、それに混じった鉄のような……血の臭いが広がった。半日経って蒸れたような、そんな凝縮された臭いに俺達は思わず仰け反り、鼻をそれぞれの袖で覆った。
けれども、口笛の音はやはり……聞こえない。
「……はあ」
詰めていた息を吐く。
しかしあまりに大きく呼吸をすると、濃い血の臭いで頭がどうにかなりそうだった。
「酷い臭いですね……」
「そうっすね」
投げやりに返事をして、ギョッとする。
ハンカチで鼻を押さえている神内千夜は眉を顰めていながら、どこか薄っすらと笑うように目元を歪ませていた。その頬に朱が乗っている錯覚すら覚えるほどのその様子に、俺は薄気味悪くなってすぐに目を逸らす。
見てはいけないものを見てしまった気分になって、そして血の臭気と合わせて気持ち悪くなってきてしまったからだ。
ここまで酷い拒否反応が出るなんて、俺はこの人のことが嫌いなのか……? と疑問になって自問自答する。
……正解は「生理的に無理」だった。他人に抱く印象としては最悪な部類である。初対面なのにここまで嫌いになるのも珍しかった。
もしかしたらこの時点で既に、霊的な感覚でろくでもない奴だと認識していたのかもしれないな。なんせ邪神だし。
「じ、神内さん。大人なんだし前行ってくださいよ」
「ええ、構いませんよ」
友人の一人に言われ、神内千夜が階段を降りて行く。
それから俺達は、足取りを重くしながらゆっくりと降りていこうとしたのだが……一度立ち止まり、一番怯えていた二人の名前を呼ぶ。
「な、なんだ?」
「二人とも、上に残っていてくれ。間違ってシャッターを閉められたらたまったものじゃないし、昨日みたいになんかあったとき、万が一のときは残って待機していた誰かがこのシャッターを閉める必要がある」
昨日みたいにギリギリになるのは避けたい。
それと、俺達が全員中に入ってから、旅館の人がここに来てシャッターを閉めてしまうかもしれない。中からはシャッターを開けられないので、それだけは避けたかった。
「マジかよ……いや、確かにそうだけどさあ」
「だから二人を指定してんだろ。二人ならサボれないだろうし」
「そんなこと言って、俺ら二人ともサボったらどうするんだよ」
「そこはそれ。信頼してるからな」
「恥ずかしげもなくよく言うぜ」
それに、一人だと裏切って俺達を閉じ込める可能性がなくもないが、二人ならなんとかなるだろうという打算も含めている。恐らくオカルトみたいなものが関わっているようだし、そうなってくると怖いのは入れ替わりとか、誰かが乗っ取られてるとか……そういう王道パターンだよな。
そんな漫画みたいなことあるわけないとは頭の片隅で思いつつも、念には念を入れておく。
「分かった分かった。だから早く帰って来いよ」
「ああ、なるべく早く帰れるようにする。さっと見て、戻ってくるよ」
そうして地下室への歩みを再開した。
長い一本道の廊下を歩き、ひらけた場所へ。
そこには……やはりというか、血溜まりだけが残されていた。
二箇所ある血溜まりを見て、神内千夜が「これはこれは」と呟く。
昨日死体を見て知っていた俺達でさえまだ慣れず、吐き気を覚えるというのに。なのにこの人は平然としているどころか、笑みさえ浮かべている。
その異様さに、俺はそっと距離を置いた。
「今は使っていないようですが、倉庫なのでしょうね。古い寝具に、道具。少々荒れていますし、こうして……血溜まりが放置されていますから、きっと管理も良くて数日に一度。悪くて週に一度くらいしか人の手が入っていないのでしょうね。これはトップとして、見過ごせません」
なるほど、最もな評価である。
ちゃんと会社のトップらしいこともできるんだな。そこはちょっとだけ認めようと思えた。
「観察眼は鍛えて損はありませんよ」
笑み。
その、向けられる笑顔から逃げたくて、俺は目を逸らした。
それから、部屋の奥へと集中する。感覚を研ぎ澄ませる。なにかを見つけようと、辺りを見渡す。きっと、なにかがあるはずだと。
「……そこ、そこのでっかい掛け軸。今、動いたか?」
俺は、自分で言った言葉にゾッとした。
口笛の音は相変わらず聞こえない。しかし、警戒しながらその掛け軸に近寄って行き……そっと捲る。
「……壁に、穴が」
「うわ、まじかよ」
掛け軸と言っても横幅もある大きなものが3枚、並べられていた。
そこを捲って見つけたのがこの、大きな壁の割れ目である。壁が崩れてできたようなその割れ目からはほんの少しだけ風が吹いてくる。
そして、本当に微かだが、口笛の音が反響してここまで届いて来ていた。
「……更に地下に、繋がっている?」
地震で崩れたのだろうか。
そうして、こんなにも大きな穴ができてしまったのだろうか。
化け物は、ここからやってくるのか?
血溜まりを見ても未だに信じきれずにいた心が、やはり夢なんかじゃなかったんだと告げている。現実逃避をしたかったが、穴から微かに聞こえてくるその口笛の音が、俺に目を逸らさせないように現実を突きつけてくる。
「なるほど、この音ですか」
「は、はい」
「ここからその化け物とやらが来るのなら、ひとまずはシャッターを閉めておけば問題はありませんね。しかし、見えないんでしたっけ」
「ええ」
神内千夜は考え込むようにしていたが、やがて首を振った。
「契約したことの条件は変わりません。もし、あなた達が修学旅行から帰るまでにこの件を解決できたら報酬を与えましょう。私は一応これでもトップですから、直接対峙することはできません。いいですね?」
「お前、逃げるのか……?」
思わず怒りの声が漏れた。
「お、おい下土井」
肩を掴まれる。それでいくらか冷静になって、溜め息を吐いた。
「私は変えの効かない者でして。上の者が行方不明になるわけにはいきませんからねぇ。解決しなくても別に構いませんよ? 別の者を寄越すだけですから」
「……」
普通に考えれば、ここは引き下がるべきだ。
分かっている。そんなこと、分かっている。それに、奴の言うことも最もではあった。
「……一旦出ましょうか」
無言のまま、俺は納得しきらずに地下室を後にするのだった。




