表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/225

バードパニック!

※この小説では残酷な描写、ホラー、脳内グロ画像(ニャル)、グロ(BLっぽい描写)、後味の悪さなどが配合されています。苦手な方はご注意くださいませ。

「は……?」


 ゲッゲッゲッ、と鳴く無数の声。反響する音。

 それらは明らかにこの宿を囲んでいる。さながら包囲網。出たら最後、どうなるのかは分からない。


「………… 紫堂は恐らく、もう駄目だろう」


 俯いたまま沈黙を守っていた青凪さんが言った。絞り出すような声だった。


「……」


 あいつはそれを冷めた目で見下ろしている。

 しかし、それを怒る程の元気は俺になかった。


「あの…… 本当に、脳吸い鳥が……?」


 俺がそう尋ねると、緑川さんが 「た、多分……」 と言って、助けを求めるように青凪さんへと視線を向けた。

 その視線はどこか、信じられないといったような感情が混じっている気がしたが、それよりも青凪さんへの信頼が勝っているように感じる。

 創作物としての化け物が好きだと言っても、実際にパニックホラーのような状況に巻き込まれてしまっては混乱するしかないらしい。


「最初は耳かきでもしながら転んだのかと思ったが…… 凶器は落ちていないし、それにしては血痕と離れすぎているだろう? 壁にまでべったりついているところを見るに、抵抗した跡だと思ったほうがいいだろう」


 彼女が指差した先の壁には、確かに血痕がついている。

 それに、耳から血が流れているわりには服にはあまり血が跳んでいない。事故によって倒れたのならば床と接している服に血がついていてもおかしくない。しかし、青凪さんの膝に乗っている彼を見てみてもそんな跡は見受けられないようだ。

 改めて死体、と思われる彼を観察して気持ち悪くなってくる。失礼だとは分かっているが、さすがに気分にいいものではない。

 彼女はよく、平気で膝枕できるものだ。


「でも、脳吸い鳥だと断定するのは……」


 信じることができない俺が苦言を漏らすと、僅かに青凪さんの眉が寄った。


「私の言葉が信じられないと?」


 現実主義の彼女がここまで言うとなると、なにか理由があるのだろうか。


「あ、いや…… すまない。実はだな、第一発見者は私なのだけれど……」


 言いすぎたと思ったのだろうか、さすがに死人が出てしまえば余裕を保てなくなるだろう。言い方は強かったが、さすがにそこを責めることはできない。


「私達は早朝に一度廃墟探索することになっていたから、なかなか起きてこない彼を起こしに来たんだよ。そのときに、扉越しではあるが…… 無数の羽音が聞こえたんだ」


 それは、確かに決定的かもしれない。

 室内に鳥なんているわけがないのだし。


「皆それを聞いたのか?」

「いや、鎮だけだよ。僕は流の準備を手伝ってやれ、って押し付けられてたしな」

「いつもは廃工場とかで、山の中の廃墟に入ったことはないから……それなりの装備が必要だって鎮ちゃんが言ってたけど、あたしはそれを忘れちゃって……」


 しゅん、とした様子の彼女は泣きそうだった。

 彼の死に一番悲しんでいるようで、実は相思相愛だったんじゃないかとさえ思えてくる。


「よく無事だったね」

「まあね、部屋を破ったのは崖を呼んでからだし、その間にどこかへ行ったんだろう」


 こともなげに青凪さんが言う。


「それに、流も鳥を見ているようだしね」


 一番冷静な彼女は、さらに決定的となる証拠を提示した。


「さ、さっき、下土井さん達を呼びに行くとき……玄関前から見たら、い、一杯鳥がいて、だから信じるしかなくてっ」


 とうとう涙腺が決壊した緑川さんが崩れ落ちる。

 ここまで言われてしまえばもう、鳥の存在を信じるしかないだろう。


「だから安易に外には出れねーんだよ。同時に探したけど宿の主人もいないみたいだしさ」


 そういえば奴が主人を探したほうがいいなんて言っていたが、それも無意味だということか。


「僕こういうの苦手なんだけど…… 宿内を回りながらなるべく鳥共に見つからない脱出ルートを探すしかねーな」

「…… っなんで、そんなに冷静でいられるの? 鎮ちゃんだってそうだよ…… 怖くないの!? あたし、あたしもう嫌だよ! なんで危険に飛び込むようなことしなくちゃいけないの!? あたし、こんなこと求めてたわけじゃないのに! こんなの嫌だよぉ!」


 錯乱した緑川さんが黄菜崎に掴みかかるけど、彼はそれで黙っているわけじゃない。


「あのな、僕達が無事に外に出ないとこのことも警察に伝えられないだろ! 皆仲良くここで殺されたら埋葬してやることもできないし鳥共も野放しだ! 保健所でも自衛隊でもなんでも、伝えないともっと人が死ぬんだぞ!?」

「でも、でも…… ! 割り切れるわけ…… ないよぅ……」


 それきり緑川さんは話さなくなってしまった。

 しゃがんで緑川さんは青凪さんに代わり、紫堂君の蒼白になった顔を撫でる。苦しみに歪められていた顔はその指で皺が伸ばされ、穏やかな顔へと戻っていく。


「調査は皆で進めててよ……」

「流、気持ちは分かるが人手が必要なんだ」


 立ち上がった青凪さんがいっそ冷酷なほどに言うが、彼女はいやいやと首を振る。


「お願い鎮ちゃん…… ひとりにして」

「…… 分かった。ここを動くなよ」


 話がひと段落したことを確認し、そういえば奴が静かだと気づく。


「お前はどうす……って、え?」


 ついでにこれからどうしようかと開きかけた口はしかし、続きを言う相手がそこにいなかったせいで閉ざされた。

 そう、つまらなそうにしていた奴は、いつの間にか姿を消していたのだ。


「あ、あいつどこに…… !?」

「ん、神内さんか? まずいな、一人では危ない……」


 妙に冷静な彼女の横顔を眺める。

 そして同時に彼女をじっと見つめていた黄菜崎君が目を見開いたと思うと苦々しげに顔を逸らし、扉へ向かっていく。


「…… 僕が探すよ。僕は玄関と西側を探す…… 鎮は念のため大人と一緒にいろ」


 吐き捨てるように言われた言葉に傷つく様子も見せずに青凪さんは頷いた。


「さて下土井さん、どこから探せばいいと思う?」

「え、そう言われてもなぁ……」


 結論が出るのはすぐだった。


「手当たり次第……」

「しらみ潰しかい?」


 適当に言った言葉に肯定の返事があって、少しだけ驚く。

 半月のように目を歪めて笑う彼女に少しだけ違和感を感じながら頷いた。

 この宿はそんなに広いわけではないから客室を除けば重要そうな部屋はごく僅か。更に宿のご主人の部屋もあるのだからそこへ向かっていけばいいのだと思う。

 きっと黄菜崎君もそうするだろう。

 この宿は南側の玄関と共有スペースを中心にし、廊下が東西北に別れている。東側は俺達が泊まっていた客室が固まっており、西側にも同じく客室と露天風呂付きの大浴場。ご主人の一室は宿の奥、北側にある。


 だから奴を捜してくれている彼がこちら側に戻ってくる前に一つ一つ客室を調べることにした。調べると言っても客室は扉をどんどん開けていくだけ。

 こうしていれば俺達がどこを調べたか分かるからだ。

 そして緑川さんと青凪さんの部屋に近づいた時、ふと思い出すことがあった。


「青凪さん」

「なんだい? おにーさん」


 からかうようにケタケタ笑う彼女はまるでこの怪異そのものを楽しんでいるようで、先程見せていた悲しみはもう見られなかった。

 彼女は女子高生だ。なのに友達が死んで、こんな風でいられるだろうか? いくらオカルトマニアだからと言って現実主義の彼女が。

 羽音を聞いたとはいえ、脳吸い鳥の存在を簡単に肯定しているところだって違和感を覚える。

 ただ単に気がおかしくなっているだけかもしれないが、ちゃんと見ていてあげたほうがいいかもしれない。

 これじゃあいつ壊れてしまうか分からない。


「君達って脳吸い鳥に関する書類を持ってたよね? あれの内容って詳しく覚えてますか?」

「なんだいそんなことか」


 目を細めて彼女は嘆息する。


「見たいなら見ていけばいい」


 そういって彼女は緑川さんの部屋を指差した。


「え、でも書類って青凪さんが持ってきてたんですよね?」

「…… 昨日は露天風呂に入ったあと彼女の部屋で少し話をしていてね。そのとき忘れてしまったんだよ」


 バツが悪そうに眉を寄せてそう言った彼女に続いて部屋に入る。

 俺達の部屋と殆ど同じ和室だ。違うところがあるとすれば端の方でバスタオルが干してあることや布団がきちんと仕舞われていることだ。

 荷物の方へ目を向けると幾つかの紙がバッグから溢れ出ているのが分かる。

 確かにそこには資料が置きっぱなしになっていた。


「これですか?」

「ああ」


 紙束を拾い、横目で彼女に確認してから目を通す。

 カエルのような声、黄色く細長い嘴、醜く膨らんだ腹に小さな頭部。集団で行動し、知性はあるが理性がない。あと、幾らか派生した噂話があるようだ。


 曰く、脳吸い鳥には脳がないので人の脳を代わりとする。

 曰く、餌を効率よく確保するために集団で行動する。

 曰く、食った脳の持ち主の声を真似る。


「……」


 妖怪である鈴里さんは、嘘が本当になると言っていた。

 人でないものは人間の認識こそが命であり、噂話こそが妖怪の存在証明でなければならない。

 そこに存在しなかった怪異は噂が広がれば広がるほどに形を得て一つの生命となる。空想が現実になる。幻想が具現化する。


 ならば脳吸い鳥はどうだ? 


 いかにもな名前に加え、こんなに物騒な話が沢山ある。

 さらに、共通した話では知性を持つが理性はないとされている。

 決定的だ。危険すぎる。


「青凪さん、合言葉を決めておきましょう」

「合言葉? なぜだい?」


 怪談にありがちでもっとも危険な事項。それは〝 誰かの声を真似る 〟ということだ。これをされてしまったら滅多なことでは判断がつかないし自分から罠にかかりにいくようなものになる。


「声を真似られたら危険だし、本人確認のための合言葉を決めておこうってことですよ」

「なるほどなぁ」


 青凪さんが感心したように頷き 「どうしようか」 と呟いてからなにか思いついたように顔を明るくした。


「ふむ、じゃあこうしよう。〝 七不思議の七番目は 〟と言ったら〝 おしらせさん 〟だ」


 七不思議。いかにも彼女が好きそうな分野だ。


「なんですか? それ」

「そこの資料にも書いてあると思うけど、我が校の七不思議さ。赤いちゃんちゃんことかずるずるさんとか都市伝説と混じって色々とあるけれど、七番目のおしらせさんは何十年も前から変わっていないらしい。他の学校合わせて八番目を知ったり、七番目を二つ知ると異界に連れて行かれる、なんてくだらないお話もあるけど、まあ今は関係ないね」

「個人的に思い入れがある…… ってことですね」

「まあそんなところだよ」


 そう言って資料を渡される。

 そこには彼女の言った話と、七つ全てが揃った学校の怪談が載っていた。


「おしらせさん、ですね」

「ああ。さあ、もう行こう。あまり長居するのは……」



 そのときだった。


「ああああああああ!」


 絶叫するような、苦しむような悲鳴が聴こえてきたのは。


「し、下土井さん!」

「走れ!」


 走る、走る。

 場所は絶叫が鳴り止まないために明確だ。北側の廊下、ご主人の部屋がある方向から聞こえてくる。


「くそっ」


 舌を打って背中に背負った竹刀袋を手に持ち、紐を緩める。


「こっちの部屋だ!」


 青凪さんに続いて何かの影とすれ違い、その部屋に入るとそこには衝撃的な光景が広がっていた。


「ぅ、あ、し、しず、め、なん、あああああ!」


 だらしなく開いた口からピンと張るように舌が覗き、目は極限にまで開かれてグルンと上を向いている。

 ガクガクと、隣にいる彼女を認識したのか涙を浮かべたのは、黄菜崎君だった。


「涯!」


 彼の左肩に食い込ませるように長い爪を立て、その耳の中に真っ赤に染まったストローのように細長い嘴を突っ込んでいる鳥と言うのにも悍ましい怪物がそこにいた。

 醜く膨らんだ腹は次第にもっと膨れていき、ぎょろぎょろと魚のように動く目玉が新たな獲物(こちら)に気づく。


「ゲッゲッ、ゲッ」


 鳥は喜ぶように鳴き声をあげる。

 嘴は未だ彼の耳の中なのだが、そのくぐもった音が喉から鳴っていることに気づいて戦慄した。気持ち悪い。生理的嫌悪感が先立って鳥肌が立っているが、これは俺がやるしかない。


「黄菜崎君から……」


 竹刀袋から赤竜刀を取り出す。

 背後で青凪さんが息を飲む音が聞こえた。


「おにーさん、それ」

「離れろぉぉぉぉぉ!」


 狙うのは腹。

 首を斬るにしても細すぎて当てられる確率が下がるから大きくて当てやすい箇所を斬るのが一番なのだ。

 踏み込み、彼の耳からずるりと嘴を抜き出した鳥目掛けて振る。


「ゲッゲッ」


 真っ赤に染まった嘴が彼から離れるとその体が崩れ落ちるようにぐらりと傾いた。


「黄菜崎君!?」


 空振らせた刀を牽制で鳥の目の前に振ってから倒れる体を受け止める。

 その体は高校生の男とは思えないほどに軽く、腰に入れていた力が拍子抜けするようにがくりと抜けた。


「ゲッ、ゲッ、ギャア!」


 嘴から真っ赤なストローのような舌を垂れ下げて嘲笑うように鳴く鳥がこちらに向かってくる。

 今度こそ当ててやる! 

 横たわる彼の体をそっと床に下ろして鳥を迎え撃つべく準備する。

 チャンスは俺の近くへ鳥が来たときだ。そのときに醜く膨れ上がった腹を叩っ斬ってしまえばいい。


「おらぁっ!」

「ギッ」


 短い悲鳴を上げて腹を深く裂かれた鳥が落ちていく。


「はあ……」



 切れた息を整え、顎に伝う汗を拭う。

 緊張と正義感が途切れ、恐怖と不安によって震え始めた腕のせいで刀がカタカタと音を立てた。

 後ろに庇った彼女に鳥の死体を見せないようにしながら振り返る。刀がカタリ、とまた音を立てた。


「お、おにーさん、後ろ!」

「え?」


 ガンッ、と後頭部が強く揺さぶられる。

 視界の端にちらちらと舞う羽根が見えた。


「っ!?」

「っわ、ちょっと下土井さん!?」


 俺は潜んでいたもう一匹の鳥に不意を打たれ、バランスを崩して彼女の方向に倒れこんだ。

 支えようと突き立てた刀が彼女の真横に刺さるが、俺の体重は支えきることができず、彼女の上に倒れてしまう。


「っ、やばい! ごめん、青凪さん、早く立って逃げてくれ!」


 まだ鳥が一匹残っているのだ。

 すぐさま体を起こし、同時に彼女の手を引っ張ってすぐに起こす。

 女性はやはり軽いものと相場が決まっているようで、すぐに助けることができた。

 しかし、立ったその場で迷いを見せた彼女ではすぐに狙われてしまう。


「ギャア!」


 嘲笑うように、俺へ(・・)と突っ込んできた鳥の体当たりを避け、すれ違うように刀の一線を叩き込む。


「ギッ」


 短い悲鳴をあげて、二匹目の鳥が翼を断たれて墜落した。

 他の鳥よりもほっそりとしているそいつを視界に収めながら、周囲を油断なく見渡す。

 そうして三分ほど経っただろうか、もう鳥はいないと判断して刀を下ろす。


「……終わった、かな?」


 俺がそう言って彼女に目を向けると目を泳がせながら一歩下がった。

 先ほど刀を真横に刺してしまったためか、少し怯えられているようだ。


「あ、さっきはごめん……」

「まったく…… 銃刀法違反ですよ、おにーさん? 今は緊急事態で助かったけれど…… 次はないと思ってくれ」


 そりゃそうだ。

 俺は再び謝って彼女から一歩引いた位置をキープして黄菜崎君を観察する。


「崖は…… ダメ、か……」


 顔を歪め、青凪さんは彼から目を逸らす。

 そして何気なく部屋を観察しているとなにかを発見したようだった。


「下土井さん、そこにあるのは宿の主人の日記じゃないかい?」


 書類や日記を視界に入れる。確かにそこには〝 四座(よつざ) 〟の文字があった。

 しかし、いくらなんでも切り替えが早すぎやしないか? 


「さっきからご主人の姿も見えないし、それを見ればなにか分かるかもしれないな」

「………… そうですね」


 僅かに抱いた不信感は一旦しまいこみ、パラリと日記を捲る。

 どうやらこれは日記であると同時に、妻と宿の経営をする現状を記録するためのものでもあったようだ。

 妻と二人三脚で始めた宿。露天風呂の増設により資金が危なくなったこと。借金の返済。付近の孤児院が地震で倒壊したこと。不便な生活に、たまに訪れる理不尽な客。そして思わず見惚れてしまうような艶やかな黒髪の美女と、高校生位のボーイッシュな女の子の来訪。

 このあと妻に怒られた旨が愚痴と共に綴られており、同時に変な客が増えたことが書かれている。

 ここから先は廃墟となった孤児院に肝試しをしに来る輩が絶えないことと、脳吸い鳥などという眉唾もいいところな噂が流れていることが書かれ、段々と不穏な内容になっていっている。


【ある日、妻がおかしくなった】


 その一文から先は失意と後悔の念で埋められている。

 ご主人がなにかを察してどうすれば妻を救えるのかと色々と考察して書き殴ってある。



 とうとう脳吸い鳥が私の前に現れた。

 そいつは妻の声で言うのだ。ここを餌場にしろと。勿論抵抗したし、奴を殺そうとした。

 だが、私にはできなかった。不器用な私が奴に攻撃しようとすると、これ見よがしに腹を突き出して来るのだ。私には妻を殺すことができない。かといって都合よく首を刎ねる器用さなんて持ち合わせてはいない。

 いずれ私もあの腹の中に収まるのだろうか。都合よくこの記憶が利用されるのは不幸なことだ。だけれど、私だけで生きるのはもういやだ。

 せめて妻に殺されることを祈る



 そこで日記は締めくくられている。


「まるで鳥が妻みたいな書き方だけど…… あれ?」


 先程まで背後で一緒に日記を読んでいた青凪さんがいなくなっている。


「青凪さん!? どこに……」


 そして再び聞こえる悲鳴。

 今度は緑川さんの声だ。紫堂君の部屋の方向から聞こえるため、日記を乱暴に懐に仕舞って刀を持つ。柄に竹刀袋を結え付けて抜き身のまま走った。


 深く考える時間はなかったのだ。

 黄菜崎君があの日記を読んでいたのだと、気づけていたらまた違った結果になったのかもしれない。

 だけれどそんな時間的猶予は与えられず、俺はただ目先の緊急事態を解決するために、愚直に走るしかなかった。


「緑川さん!」


 扉を勢いよく開けて入ると緑川さんは既に倒れ伏していた。

 そして、ある意味衝撃的な光景が俺の目の前に広がっていた。


「くふふ、弱い弱い。もっとずずいっといってくれないと」


 あいつが無抵抗で鳥に嘴を突っ込まれて頬を染めている。


「馬鹿だろあんた!」

「あれ、れーいちくんおひさー」


 やっと俺に気がついたらしいあいつは手を振った後、スッと目を細めて肩に留まった鳥に目線を向ける。


「はぁ、シャンだってもっと上手いよ?」


 軽口を叩きつつ、その目は半月のように歪められ、口元が釣りあがっていく。

 異変を感じ取ったらしい鳥が逃げ出そうとするが奴のほうが幾分か素早く、鳥の腹を鷲掴む。


「おつかれさま。それじゃあ、さようなら」

「ゲッ、ギャッ、ブッ」


 非力なはずのあいつが鷲掴んだ手をギリギリと締め上げ、鳥はその口からゴポゴポと赤い汁と白い液を垂れ流し、そして最期には腹がぐちゃりと握りつぶされた。

 ビチャ、と破裂した肉片が四方八方に飛び散る。


「え……」


 なにか温かいものが頬にべったりと付いたことに気がつき思わず手が伸びる。

 掬い取った手のひらには赤黒い肉片が乗っていた。


「なっ、あっ!?」

「あー、ぐらぐらするね。くふふ」


 俺が混乱しているうちにあいつは手に付いた肉片を舐めとり、二、三度瞬きする。


「…… 足りない? ああ、れーいちくんが持ってるんだね」


 唐突に、こちらへやってきた奴が動けない俺の手を取る。

 そして手の平に乗ったままのそれに口をつけて啜り始め、極め付けにとそれがついていた頬をべろりと、生温かくぬめっとしたものが滑っていった。


「っひ!?」

「おっと」


 その衝撃で正気に戻り、反射的に殴りかかっていたがすぐさま離れた奴に当たることはなかった。


「なっ、なななっ、なにするんだよ!」


 頬はべっとりと汚れている。

 気持ち悪くて吐きそうになりながらも服の袖でそれを拭って生理的嫌悪感から流れる雫を振り払った。


「なにって、私の脳がちょっと取られちゃったから元に戻しただけだけど?」


 は? 


「…… 今なんて?」


 俺が現実を受け入れられないままに訊き返すと、嘲るように 「くふふ」 と笑いながら鳥の死体を指差す。


「こいつらは人間の脳を自分の脳の代わりにするんだよ。だから食べた脳はお腹に溜まって、記憶や常識を抽出しながら振舞って人間を騙すんだ」

「じゃ、じゃあ緑川さんは助かるのか!?」


 俺が希望を持って言った言葉は嗜虐的な笑みを浮かべ、俺に指を突きつけた奴が否定する。


「無理だよ?」


 語尾にハートマークでも付きそうなほどの言い方で、その残酷な事実を言う。


「なんでだよ! だってお前は……」

「いくら人間スペックまで落としててもね、私は人ではないし、全部奪われたわけじゃないから食べれば元に戻る。けど、人間は無理だねぇ? れーいちくんはああなった脳を元に戻せると思うの?」


 奴が示したのは散らばった肉片。あれが全て彼女の脳ならば? 

 無理だ…… と悟った。

 そして同時に奴が腹を潰した光景が蘇る。

 こいつ、知っていながらあんなことをしたのか!? 


「お前っ、お前わざと腹を潰しただろ!」


 刀で斬りかかるがこちらも避けられる。


「くふふ、受けてもいいけれどそれじゃあ中身出ちゃうし、即ゲームオーバーだ。ほらほら、まだ一人残ってるんじゃなかったっけ?」


 ますます意味ありげに笑みを深める奴に仕方なく刀を下ろす。


「そうだな…… 青凪さんを探さないと」


 心のどこかでは分かっていた。

 奴が言っていた〝 記憶や常識を抽出して人間を騙す 〟という言葉。

 〝 黄菜崎君が絶望したように叫んだ 〟その名前。彼が言いたかったこと。

 伝聞には黄色い嘴と書かれているのに、〝 紫堂君が見た鳥の嘴は赤かった 〟こと。

 俺が扉を開けたときに飛び出た影と、〝 彼女の言葉 〟との矛盾。

 そして〝 まるで鳥が妻であるかのように書かれた日記 〟の一文。


 全ては揃っていた。正答に辿り着ける欠片は全てあったのだ。

 ただそれを信じたくなかっただけ。

 意味深に笑う奴の思惑を正確に理解しながらわざと踊らされた。信じたくはなかったから。


 だから。


「青凪さん!」


 ご主人の部屋の近くから見つかった地下道への入り口。

 恐らく昔は防空壕だったのだろう、その奥に佇む影。


「ああ…… 勝手にいなくなってすまない下土井さん。あのとき、鳥が一羽接近していてね。邪魔になるといけないと思って頑張って撒いていたんだよ」


 嘘だ。

 あの日記は程のいい時間稼ぎだったのだ。


「青凪さん、緑川さんも鳥にやられてしまいました」

「そう、か…… 折角安全に出られそうな出口を見つけられたのに、ダメだったのか……」


 俯く彼女。

 隠された地下道で、〝安全な、唯一の出口〟の前で彼女は待っていた。


 つまり、ここで全て終わる。

 笑みを浮かべたまま俺の後ろにいる奴は恐らく手を出す気はない。こういうのは人間だけで解決してほしいのだろう。


「ねえ、青凪さん。あの書類に、鳥の噂に〝 人を乗っ取る 〟って、ありましたっけ?」

「…… いいや、そんな記述はなかったと思うけれど?」


 素知らぬふりの彼女。


「……なら、〝 扉をすり抜ける 〟って、ありましたっけ?」

「そんなこと、できるわけないじゃないか。生物なんだよ?」


 ははは、と軽く笑って首を傾げる彼女に、さらに質問を続ける。


「…… あなた、誰ですか?」


 ここでようやく、彼女は動揺したように肩を揺らした。


「な、なにを言ってるんだいおにーさん。もしかして気でも違っちゃったのかい? あれだけ死体を見ればそうもなるかもしれないけれど……」


 刀を構える。

 それにびくりと震えた彼女は一歩下がり、出口を塞いで顔を引きつらせる。


「どうして? …… ねえ下土井さん。どうして私が乗っ取られてるなんて思うんだい?」


 どうして? 

 …… そんなの決まってる。


「だってあんたっ、宿に来るまで背負った時と全然重さが違ったじゃないか!」


 決定的な言葉。確信した事柄。

 たとえ手で引っ張り起こしただけと言っても、あんなに重さが変わっているわけはないのだ。

 確かに、彼女は元々も軽かった。けれど、倒れた人間を頭を揺らされたばかりの俺が簡単に引っ張りあげられる道理はない。

 気づくのに随分と時間がかかってしまった。そのせいで、緑川さんも、黄菜崎君も、死んだ。

 俺に責任がないとは、とてもではないが言えない。

 だから、せめて彼女だけは、青凪さんだけは救ってみせる。そう覚悟して刀を構えた。


 そして、それを俯きながら聴いていた彼女の口元が、半月のように歪む様が、見えた。














評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ