面談 雪岡月夜の場合
現れたのは月夜だった。長い黒髪、雪のように白い肌、華奢な体つきの三拍子がそろった月夜は、男子から根強い人気を集めていた。
「あの、一花ちゃんの声、聞こえたから。一花ちゃんの面談はもういいですよね」
「ああ。一花さん、伴奏の件は忘れてくれてかまわない。すまなかった」
一花は立ち上がると、月夜に抱きついた。
月夜は頭をなでてあげながら、一花を廊下に連れ出した。戻って来た月夜は桂にお辞儀した。
「あの、ごめんなさい。一花ちゃんが、その」
「いや先生が悪かったんだ。ピアノのことは触れてほしくなかったんだな」
「はい。ピアノを弾くのが完全に嫌いになったわけではないと思うんですけど」
桂は月夜との面談を始めた。
「月夜さんは真面目だし、成績もいい。特に国語。入学してからずっと学年一位だ。担任としても、国語の先生としても嬉しいよ。勉強は辛くないか?」
月夜は首を振った。
「私は皆みたいに取り得がないから、勉強ぐらいは頑張らないといけないんです。といっても、国語ぐらいしかいい成績は取れなくて」
月夜の健気さは桂の心労を洗い流した。
「何言ってるんだ。月夜さんも充分すごいよ。それに他の人と比べる必要はない。金子みすゞの詩にもあっただろ。みんなちがってみんないいって」
桂がそう言うと、月夜はうつむき、小さな声で話し始めた。
「本当にそうですか? あの詩は『わたし』と小鳥と鈴、それぞれ得意なことが違うと言っているだけのような気がするんです。『わたし』が走ることもできず、たくさんの唄も歌えなかったとしても、みんなちがってみんないいって言えますか?」
月夜の瞳は夜の海のように暗く沈んでいた。
「取り得や優劣を随分気にするんだな。優劣や勝ち負けだけが全てじゃないよ」
月夜はさらにうつむいた。
「全てじゃないという言い方はどんなものにでも当てはまります。勉強が全てじゃない。才能が全てじゃない。結婚が全てじゃない。年収が全てじゃない。人生の大きな割合を占める価値のあるもの、でも自分ではどうしようもないものを諦めたいとき、全てじゃないというフレーズは便利ですから」
桂は正しいとも間違っているとも言ってあげられなかった。
月夜は桂に向けて話しているようには見えなかった。独り言に近いのかもしれない。普段の月夜は人に意見することを好まなかった。波風を立てずに、誰を責めるわけでもなく暮らしていた。唯一責めることができるのが自分自身なのだろう。
月夜は急に顔を上げ、素早く二、三回まばたきした。
「あ、あのごめんなさい。私、生意気なこと言って。先生は励まそうとしてくれていたのに。本当にごめんなさい」
「いや、いいんだ。時にはガス抜きしないとな。思っていることを声に出すのはいいことだ。他に何か困っていることとか、話しておきたいこととかあるか?」
月夜は口を半開きにして考えた。
「あの、第二図書室なんですけど」
「君たち四人のたまり場か。どうした?」
「私たち、いつまであそこにいていいのかなって」
「特に問題もないし、好きなだけいていいんじゃないのか。あ、そういえば梅ばあが褒めてたぞ。君が一番本を読んでるって」
「は、はい」
月夜の頬が梅の花のようにほのかに紅く染まった。
「見てくれている人もちゃんといるよ。君が思っているよりずっと多く」
教師たちの間でも月夜の評判は良かった。「あの子がいると授業がしやすい」、何度そう言われたことか。表立ってのムードメーカーは風二郎だが、水面下では月夜が授業の雰囲気を決めていた。月夜本人の授業態度は真面目だし、男子も月夜の前ではふざけなかった。
男子に人気があるといっても、本人は男子を避け、極力関わらないようにしているから、女子の嫉妬も芽生えにくかった。芽生えたとしても、一花や雷二郎が全力で踏みつぶしているのだろう。
ふと、風二郎との関係が気になった。
「そういえば月夜さんは風二郎のことをどう思ってる?」
「え、フウ君のこと? どう思ってるって、その、大切な友達です」
月夜は消えてしまいそうな声で答えた。
これが模範解答だ、と桂は思った。雷次郎と一花には見習ってほしいとも思った。
チャイムが鳴った。
「やばい。授業終わった。教室に戻ろう」
桂の頭に再び問いが浮かぶ。
好きなものを最後に残すか、嫌いなものを最後に残すか。現時点では、問いのすり替えにとどめておく。最後に残したものを好きになるか、嫌いになるか。