恋愛 里山雷二郎の場合
下駄箱に手を入れ、靴ではないものを掴みとった。形と質感からそれが手紙だと悟り、制服のズボンのポケットに忍ばせた。
雷二郎は教室での三人を見ていると、危機感に襲われた。
自分が考えなくてはならない。ジャンルトリップの最中だということを三人は忘れかけている。自分が何とかしなければ、一生この世界に閉じ込められる。
考えなければいけないことはもう一つあった。ポケットの中の手紙を取り出す。赤い蝋で封がしてあった。
手紙には次のようなことが書かれてあった。
本日七月十六日水曜日の放課後、屋上でお待ちしています。一人で来てください。
差出人の名は書かれていなかった。
これがこのジャンルで起こるイベントなら、次のジャンルへ行くための糸口がつかめるかもしれない。だがこの世界、未だにジャンルが分からない。差出人不明ということはまたミステリジャンルなのか?
雷二郎は手紙のことを三人に伝えた。
「行くの?」
「どうしようか迷ってる」
「絶対行った方がいいと思う」
珍しく月夜の押しが強い。
「一人で来てくださいの部分が怪しいから迷ってるんだ。でも、このジャンルのエンド条件と関係のあることかもしれないし。月夜はどうして行った方がいいと思うんだ?」
「だって、この手紙を書いた人は、きっと、ライ君に何か言いたいことがあって、それで、こんな手紙を出したはずで、だから、とにかく行かないとダメ」
「月夜、ラブレターじゃないんだから、そんなに真剣にならなくてもいいだろ。ジャンルトリップとは無関係のことかもしれないし。考えてみれば、ジャンルトリップに関係してるなら、俺一人にというのも不自然だな。やっぱりただのいたずらか?」
雷二郎がそう言うと、風二郎は吹き出した。
「フウ君、笑わないの。ライ君は絶対行かなきゃダメだよ」
「いいじゃん、月夜。ライ宛ての手紙なんだし、ライに任せようよ」
「そうだけど」
始業のチャイムが鳴り、三人は席に戻った。
朝のホームルームで期末テストの順位表が渡された。
「よく頑張ったな」
桂が雷二郎に囁いた。
結果は国語以外、学年一位だった。国語の一位は月夜だとすぐに見当がついた。
順位表をポケットの中で握りつぶす。
世界をくまなく探せば、自分よりすごい奴なんていくらでもいる。こんな中途半端な結果があっても意味がない。
ふと、ジャンルトリップから帰って来た後のことを考えた。将棋も囲碁もチェスもしない自分。味のしないガムを噛み続けるような毎日。
放課後、屋上に行くとセーラー服の女の子がいた。赤毛の短い髪、ピアノの黒鍵のように艶のある瞳、カーマインの絵の具のように鮮やかな唇。
「来てくれたんだ、ライ」
「やっぱり一花だったのか」
「バレてた?」
「今日は朝から口数が少なかったし、差出人が一花なら、月夜が俺に行くよう勧めたのもうなづける」
雷二郎はフェンス越しに運動場を眺めた。野球部、サッカー部がウォーミングアップを始めていた。
「何か用か?」
「いや、その。あ、このジャンルのこと何か分かった?」
「何も。平和だからな。ゾンビもいない。宇宙戦争もない。ホームズもいない」
「そうだよね。ごめんね。いつもライに任せきりで」
「別にいい。どうせ考えるぐらいしか俺にはできない。それよりもういいのか? わざわざこんなとこに呼び出した理由があるんじゃないのか?」
一花は深呼吸した。青空すら吸い込んでしまうぐらい大きく。
「私ね、ピアノ、また弾こうと思ってるの。楽しい演奏をしたいの」
雷二郎は頷いた。
SFジャンルでは結局弾かなかった。何か心境の変化があったのだろう。そういえば最近、一花だけでなく、月夜も変わった気がする。
「また一花の演奏が聴けるのは、いいことだ」
「ライは? ライはもう一度将棋、やらないの?」
雷二郎は首を横に振った。
「どうして?」
「俺はプロにはなれない。プロになれたとしても、名人や竜王にはなれない」
「どうしてそんなこと分かるの?」
「分かるんだよ。それが分かるぐらいには頑張ったんだ。でも、果ての無い先のことを思うと、自分より遙か高みにいる奴のことを思うと、続けられなくなった。結局俺は、勝負から逃げたんだ」
背中が温かくなった。一花の体温だった。雷二郎は、抱きしめられていた。
「ライが弱音吐くなんて珍しいね」
「弱音じゃない。本音だよ」
「私はどっちのライも好きだよ。懸命に将棋指してるライも。勝負から逃げる弱いライも」
風が吹いた。シャンプーの匂いがほのかに漂う。
「私、ライのすべてが好きです」
背中に一花の鼓動を感じた。どんどん早くなっていく。
「ライの気持ちも聞かせてほしい」
「俺――」
口を動かしたつもりだったが、声が出なかった。体の感覚がなくなっていく。聴覚、味覚、嗅覚、触覚、最後に視覚が失われて、空が真っ白になった。




