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双子×2のジャンルトリップ  作者: 仙葉康大
第五章
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恋愛 雪岡一花の場合

「おかわりしよっと」


 一花いちかは席を立った。

 食卓に並ぶ今日のおかずは、ほっけの焼いたのと冷奴と芋の煮物だ。


「太るわよ」と母。

「えー? 月夜つくよはどう思う?」

「大丈夫じゃないかな。私たち、やせてるし」


 二人は己の胸元を見た。壁、という感想しか出てこなかった。


「私のせいじゃありませんからね」


 母はない胸を張った。父は黙って夕方のニュースを見ていた。


「お母さんのせいだなんて言うつもりじゃなかったの。私たちまだ十四歳だもん。これが普通だよ」


 そう言って月夜は笑った。


 一花は月夜の変化に気づいていた。色で例えるなら、灰色から水色へ。音で例えるなら、掠れた口笛からフルートへ。表情が柔らかくなった。作り笑いを見せることもなくなった。


 フウのせいだ。あいつが月夜を変えたんだ。月夜を変えられるのは、あいつだけだ。

 夕食後、月夜と一花はすぐお風呂に入った。先に体を洗うのはいつも一花だった。その間、月夜は湯船にかっている。


「月夜、後で数学のプリント見せて」

「駄目だよ、写すのは」

「なら教えて」

「いいよ」

「教えるの上手いんだから、月夜が授業もやってくれたらいいのに。男子だってその方が喜ぶのに」

「どうして男子が出て来るの? それにライ君の方が適任だよ」


 一花はシャンプーを流しながら笑った。

 月夜は自身の美貌に無自覚だ。それがさらに男子の心をくすぐるんだろう。


 今度は月夜が体を洗い始めた。泡が裸体を隠していく。一見、傷一つない体だ。でも、確かに傷ついている。一花だけは知っている。

 二人きりだし、今、謝ってしまおう。


「月夜」

「何?」


 一花は一瞬、呼吸を止めた。


「どうしたら胸、大きくなるんだろうね」

「私が聞きたいよ」


 言えなかった。

 意気地なしだ、私。

 自己嫌悪を微塵も表情には出さずに風呂を出て、ソーダ味のアイスを食べながらクイズ番組を見た。番組が終わると二階へ上がった。


 自室に入ると、月夜が本を読んでいた。ここは一花の部屋であり、月夜の部屋でもあるのだ。

 本棚は本が隙間なく、縦横関係なく詰め込まれていた。どれか一冊でも取り出すと、棚から全部出てしまうことが容易に推測できた。

 数学のプリント課題を持っていき、教えてもらう。


「一次関数は点の集まりなんだよ。その点が無数にあるから直線に見えるの。一花ちゃん、聞いてる?」

「うん、聞いてるよ。点と直線が大事なんだよね」


 一花はほとんど聞いていなかった。どう話を切り出せばいいか分からなかった。


「一花ちゃん、何か言いたいことあるの? さっきから目がすごく泳いでるよ」

「あの、あの」


 いつもの月夜のように一花は口ごもった。

 月夜がベッドに腰掛けた。


「言いにくいことなら、こっちで話そ」


 一花は机上にプリントを残し、月夜の隣に座った。胸の中で感情が乱反射して、喉に力が入らなかった。


「一花ちゃん。頑張って」


 そう言って手を重ねてきた。冷たくも温かくもない手だった。胸の中は静かになった。


「私、ミステリジャンルで、猫を見分けるために子犬のワルツを弾いたの」

「言ってたね」

「ごめん。私、もうピアノは弾かないって決めてたのに。弾いちゃったの。それどころか、演奏を楽しんだりして」

「一花ちゃんは昔私に言ったこと、まだ気にしてるんだね。でも、もう充分だよ。もういいんだよ」

「よくないっ」


 涙声で叫ぶ。


「よくないよ。月夜はもっと私を責めていいんだよ。私が悪いの。私が」


 月夜が天井を仰いだ。照明に照らされた瞳は輝いていた。


「一花ちゃんだけを悪者にさせられないよ。コンクールで結果が出なくて落ち込んでた一花ちゃんにデリカシーのないこと言ったの、私だもん」

「違う。月夜は私を励まそうとしてくれてた。なのに私は傷つけることしかできなかった。分からないならせめて黙ってて、って言った。今でも自分の言ったこと全部覚えてるの。私は――」


 言葉を続けられなかった。ピンク色のパジャマに大粒の涙が落ちていった。


「一花ちゃんはまだ許して欲しくないんだね。あのときの自分を許したくないんだね。でも駄目だよそろそろ許してあげないと。私は前に進むって決めたんだ。隣には一花ちゃんにいてもらいたいな」

「私にそんな資格ないよ」


「違うよ、一花ちゃん。私は、資格を持ってる人に隣にいて欲しいんじゃないの。一花ちゃんに隣にいて欲しいの。ピアノのことはよく分かんないけど、一花ちゃんのことは分かってるよ。一花ちゃんは楽しそうにしてるのが一番。笑顔のお姉ちゃんが大好きだよ」


 一花は月夜に抱きついた。慟哭どうこくは月夜が着ている水色のパジャマに吸い込まれていった。

 クレッシェンド、デクレッシェンド。泣き声の楽譜があったなら、どんなに美しいだろうと一花は思いをはせた。フォルテッシモからピアニッシモへ。この余韻をいつまでも覚えていよう。


「今日は一緒に寝てもいい?」

「いいよ。一花ちゃんって実は私より甘えん坊だよね」


 茶化されながらも、一花は月夜にくっついて横になった。まつ毛の一本、一本が見えるぐらいに顔を近づけた。


「おやすみ」月夜は笑った。

「おやすみ」一花は笑い返した。


 翌日、一花の目は赤く腫れていた。

 朝の教室で風二郎ふうじろうに驚かれた。


「お前、どしたの? その目」

「別に」

「月夜は何があったか、知ってるんだよな」

「内緒だよ」

「それより一向に手がかりがつかめない。やばいぞ」


 雷二郎らいじろうは指で机を叩いていた。机の下では、つま先も小刻みに動いていた。


「せめてジャンルが分かれば」


 一日は無為むいに過ぎて行った。

 放課後、下駄箱で、月夜が弱弱しい声を出した。


「一花ちゃん。どうしよう」


 月夜の手には、ハートのシールで封をされた手紙が握られていた。

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