ミステリ 里山雷二郎の場合
道の左右には田園が広がっている。先には小高い丘が見えている。
「ライ君、どこまで行くの?」
「どこまで行くんだろうな」
雷二郎はコートのポケットから二枚の写真を取り出した。一枚には首を右に傾げた黒猫が映っていた。もう一枚には首を左に傾げた黒猫が映っていた。
「なあ、依頼は二つだよな」
「疾走した猫を探すことと、どっちがレフミーかライミーか見分けることだよね」
「どっちの依頼の方が優先順位高いんだろうな」
「疾走した猫を探す方じゃない? 二匹いないと寂しいし」
「これは俺の勝手な推測だが、アンナさんは家に残っている猫がどっちか分かればそれで満足なんじゃないのか?」
月夜の表情が陰った。日差しは目に映る風景すべてを照らしていた。すでに正午を過ぎていた。
歩くこと数十分。
ぐう。
月夜のおなかが鳴った。
「ごめん」
「いや、俺も腹が減っていたところだ。いったん、アンナさんの屋敷に戻るか?」
「待ちんさい、アンドリュー」
老婆が杖をついて、道端の小屋から出てきた。片手に持ったバスケットには、白いスカーフがかかっていた。
「アンドリュー。あんた、しばらく見ないうちに大きくなって。こんなめんこいガールフレンドまで連れて」
「人違いだと思いますが」
「これから丘でデートだろ。おばあちゃんがほれ、サンドイッチを持ってきてやったぞ。わたしゃ畑仕事に行ってくるから、カゴは帰りにここらに置いといてくれたらええ。娘さん、アンドリューのことを頼みましたよ」
「は、はい」
雷二郎は半ば強引にバスケットを持たされた。
「それじゃあ」
「あ、おばあさん。ここらで黒猫見なかったか?」
「見た見た。丘の木の根元にいたよ。確か五日ぐらい前に見たさ。ありゃ、半年前じゃったかねえ」
そう言うとおばあさんは年寄りとは思えないスピードで走って行ってしまった。
「あの、ありが――」
二人はどんどん小さくなるおばあさんの背中を見送ってから、丘へと歩いた。道端の雑草が風に揺れていた。
「ねえ、ライ君。あのおばあさん」
「ああ、ぼけてたな。俺のことを孫か何かと勘違いしていた」
「なんか、どうしたらいいか、分からなかったね」
そのとき、雷二郎は、初めて猫たちに思いをはせた。二匹の猫は何度違う名で呼ばれたのだろうか? 僕がライミーだよ、僕がレフミーだよと言えない猫たち。アンドリューじゃないと強く否定できなかった自分。
二人はバスケットを挟んで歩き続け、丘のふもとに到着した。
「ライ君はもし自分が一卵性双生児だったらって考えたことある? フウ君と見た目が同じなの」
「二卵性双生児でそれを考えたことのない奴なんていないだろう。まったく楽しくない仮定だけどな」
「私も同じ。一花ちゃんと同じ姿だったらって仮想しても、全然楽しくない」
「見た目が同じなら中身で差をつけるしかなくなるからな。でも、自分の中身なんて自分でもよく分からない。結果、残るのは自分という存在への不安と、片割れへの嫉妬だけ」
バスケットの持ち手を握る力を強める。手の甲に血管が浮き出た。血管は緑色の小川のようだった。
「ライ君でもフウ君に嫉妬することあるの?」
「人間だからな」
「あ、ごめんなさい。ライ君は将棋とか囲碁とか強かったから、嫉妬とかしないと勝手に思ってた。得意なことを持ってる人でも嫉妬することぐらいあるよね」
「兄貴や一花だって嫉妬したことはあるんだろうな。嫉妬に縁がないのなんて全知全能の神様ぐらいだろう」
「じゃあ神様は嫉妬できないから、嫉妬できる人間たちに嫉妬するんだね」
「その時点で神様は嫉妬できてるんだから、嫉妬する必要がなくなるじゃないか」
月夜は口を閉じたまま喉の奥から笑い声を出した。
「ライ君とはこういう話もできるから面白いな」
「前のジャンルではバカ兄貴の世話ばかりさせて悪かった。疲れただろう」
「うん。でもたくさん元気もらえた。私、エイジーに乗って見たあの星空を思い出せば、自分を卑下することも少なくなると思う。目標みたいなこと、やりたいこともちょっと見えてきたし。ライ君は何か変わった?」
雷二郎は一歩一歩、足を前に踏み出しながら、今までに起こったことを回想した。月夜のゾンビに謝る一花、月面基地でピアノを演奏したこと、ゾンビと火星人を相手に戦略を練ったこと。
「俺は月夜ほど頭良くないから、まだ整理ができてない。上手く言語化できないんだ。でも、変化がないことはないと思う」
「そんなこと言って、ライ君の方が頭いいくせに」
「国語じゃ敵わないよ。それに、論理的であることや作戦を練れることや状況への対応力だけが頭の良さじゃないだろ。今の自分の素直な気持ちを知っている、それだって頭の良さだ。いや、それが頭の良さの全てだと言っても過言じゃない」
丘の中腹で腰を下ろし、バスケットを開けた。中にはサンドイッチが敷き詰められていた。
二人が来た方から灰色の雲がゆっくりと流れて来る。
食べながら、雷二郎は考え事をしていた。
俺たちをジャンルトリップに招いたのは梅ばあだ。目的は? 俺たちを変えるためだろう。梅ばあは変化を望んでいた。でも、俺たちはどう変わればいいのだろう?
「どうして梅ばあは俺たちにこんなことさせるのかな?」
月夜はサンドイッチのパンを細かくちぎってリスにあげていた。
「ライ君、フウ君、一花ちゃんに気づかせるためじゃないかな。三人を第二図書室で腐らせておくのはもったいないって考えたんだよ」
「あそこ以外に居場所がないのに、ひどい話だ」
「そんなことないよ。ライ君もフウ君も一花ちゃんも、それぞれ得意なことがあるんだから、居場所だってすぐ見つかるよ」
「俺はもう勝負の世界から降りたんだ」
「答えたくないなら答えなくていいんだけど、ライ君、どうして将棋止めちゃったの?」
「自分よりすごい奴がいた。しょせん、スタートの時点から逃げ腰だった俺には小さなお山の大将が限界だった」
「スタートから逃げ腰?」
雷二郎はサンドイッチのパンに挟まれたハムを見つめた。このハムは人だ。常に理想と現実の間にいる。
「兄貴にはどうやってもスポーツじゃ勝てないと思って、将棋やチェスみたいな頭を使うゲームに逃げたんだ。結局、将棋からも逃げて、今は第二図書室にいる。梅ばあも厳しいよ。これ以上、どこに逃げろっていうんだ」
そう言って、雷二郎はハムサンドをかじった。




