ミステリ 里山風二郎の場合
アンナ婦人の住む屋敷は、ベイカー街の西に位置する田園地域にあった。
風二郎と一花はリビングで、件の猫とじゃれ合っていた。アンナ婦人によると、ブリティッシュショートヘアという品種らしいが、風二郎にはただの黒猫にしか見えなかった。
「ニャー」と言ってみても、猫は反応しなかった。
「何やってんの。男が猫の真似してもかわいくないよ」
「確かになー。やっぱりこういうことやらせるなら月夜だよなあ」
「あんたの変な妄想に月夜を使わないでくれる」
「うわ、シスコンだ」
「悪い?」
一花は雷二郎の前では決して見せない表情ですごんだ。
風二郎は一人、心の中で悪態をついた。どうしてライと月夜が疾走した猫を探すチームなんだよ。かっちゃんのやろお。勝手に仕切って決めやがって。月夜とライのコンビって心配なんだよなあ。ライ、デリカシーないし、口調きついし。
「なあ、心配じゃないのか? かわいい妹のこと」
「なんで? ライが一緒なら安心だよ」
「あいつのどこに惚れたんだ?」
猫とじゃれ合いながら尋ねた。
「優しい、ところ」
「んなバカな」
「あんたはどうなのよ。月夜のどこに惚れたの?」
風二郎は猫の両手をつかんで、拍手させた。猫は嫌がり、風二郎の手に噛みついて、ソファの方へ逃げて行った。ソファの横にはピアノがあった。
「依頼主から詳しいこと聞こうぜ。ライが戻って来る前に、この猫がどっちなのか手がかりぐらい見つけておきたい。何でもライ一人にやらせるのは良くないしな。ホラーでもSFでもあいつ脳みそフルに使ってたから、疲れてるだろうし」
「ちょっと。私の質問に答えなさいよ」
「まったく。空気の読めない奴だな。話を逸らしたんだから、それは答えたくないってことだよ。察してくれよ」
「私は答えたのに」
「ああ。頼んでもないのに勝手にな」
一花は頬を膨らませた。
桂とアンナ婦人はテーブルに並んだ猫の写真を見比べていた。
「で、こっちが?」
「さあ、どっちかしら? 何しろ首輪もつけていなかったもので」
「どうやって二匹を区別していたんですか?」
「それはですね、私の母がピアノを弾くとライミーの方は踊りだすんですよ。二本の後ろ足で立って、前足を胸の前で揺らすんですよ」
「なら、お母様にピアノを弾いてもらえば、万事解決だ」
「それが、母は二年前に亡くなりまして。ああ、そんな暗い顔をなさらないで。大往生でしたのよ。老衰で亡くなりました。母の死後、猫の見分けがつかなくなり、ピアノを弾ける方を探そうともしたのですが、特に不便もなかったので、まあいいかとそのままにしてしまいましたの。でも一週間ほど前、猫の一匹が姿を消してしまって、いい機会だからこの際はっきりさせようと思いましたの。そんな折、ワトソンさんからピアノが弾ける方と名探偵がいるとお聞きしたもので」
アンナ婦人が一花を見た。
「私?」
「ええ。そう聞いてますよ」
一花の指がかすかに震え、握りこぶしを作った。唇は真一文字に伸びている。引き締めすぎて、血が唇の端に寄り、真ん中らへんは白くなっていた。
そんな一花の様子を見て、風二郎は雷二郎のことを思い浮かべた。
「アンナさん、フットボールある?」
「え、ええ。庭の物置に」
風二郎は自分のコートと、それから、一花のコートも脇に抱えた。
「名探偵。俺らの手には負えそうにないんで、あとはよろしく」
「何だと? 一花君がピアノを弾けば解決じゃないか。お前が外でボールを蹴ろうがかまわんが、一花君は、あ、おい」
「ほら、行くぞ」
風二郎は一花の背中を押して外に連れ出した。背中には力が入ってなく、手ごたえが感じられなかった。
庭はそれなりの広さがあった。高木が塀の周りを囲んでいる。ところどころ雑草が目についた。
「なあ、一花。知ってたか? イギリスはサッカー発祥の国なんだぜ」
風二郎はリフティングしていた。足とボールが見えないゴムでつながっているかのように、ボールは正確に足に戻ってくる。足先だけじゃない。太もも、ヘッド、胸などの部位も使ってボールを空へ上げ続ける。
一花は木陰に腰を下ろして、風二郎がボールを操る様を見ていた。
「なんで助けてくれたの?」
「ライに怒られるからな。お前に辛い思いさせると」
「別に辛い思いなんて」
「そうは見えなかったけどな」
体育座りしていた一花は、膝に頬をこすりつけた。
「ねえ、フウ。あんたはどうしてスポーツやめちゃったの? あんなに活躍してたのに」
風二郎は空高くボールを蹴り上げた。ボールは地面に当たると、大きく跳ねて掘っ建て小屋の方へ飛んで行った。
「いつの間にか、一人になってたんだよ。フォワードで走ってたら、誰もついて来てなかったみたいな? ピッチャーとしてボール投げてたんだけど、キャッチャーいなかったみたいな?」
「チームでやらないスポーツもあるでしょ。水泳とか、陸上とか」
「嫉妬されるのは同じだよ」
「そっか」
「チームで孤立し始めた時、負けが重なって、そのたびにチームメイトからは非難の嵐。あいつは自分勝手だとか、負けたのは相手チームのエースの方が俺より上手かったからだとか言われて、それで滅茶苦茶イライラしてた」
風二郎は笑顔で話した。もうきっぱり諦めたことだから舌がよく回った。
「そうだったんだ。私、ピアノの練習で忙しかったから、フウの応援に行けたことなかったんだ。月夜はよく応援に行ってたけど」
「ああ、そうだったな。試合に負けたときは俺、イライラして運動場の外周をぐるぐる歩くんだけどさ、そんときよく後ろから月夜がついて来たよ。『早く帰れ』とか、『うっとおしい』とか言っちゃったこともあったな。それでも月夜はついてきて、小さな声で『フウ君はわるくないよ。すごかったよ』って言ってくれて」
風二郎は一花のそばに行った。
「これで、さっきの質問の答えになってるか?」
一花は頷き、えくぼを作って笑った。
「戻ろっか」
「戻ってまた猫と遊ぶのか?」
「ううん。できることをするの。ピアノはもう弾きたくない。弾いちゃいけない。でも、今回だけ。後で月夜に謝るから、今回だけ」
リビングでは、桂が鍵盤の前で楽譜と格闘していた。響いているのは、不協和音だ。
「やめろやめろやめろ。一花様が弾いてくださるそうだ」
「様をつけるな。曲は?」
桂から楽譜を受け取った一花が曲名を読み上げる。
「ワルツ第六番子犬のワルツ、か」




