第6話
それから一ヶ月、俺と姉は変わることなく、恋人同士のような関係を続けていた。
朝、俺はリビングに向かう。
「あす……あ、姉ちゃん、まだ起きてないんだ。俺が起こしにいこうか?」
俺は母の前で、危うく姉の名前を呼びそうになって焦った。
「お姉ちゃん、もういないわよ?」
「……え?」
俺は母の言っている意味が解らない。
「聞いてない? お姉ちゃん、仕事が決まったからまた一人暮らしを始めるのよ」
姉は俺に、そんなことは一言も言っていなかった。
「住所は聞いてる?」
「えーっと……メモしてるわ」
俺はメモ用紙にそれを書き写す。
夕方、俺は大学の授業を終えると、姉のところに行くことにした。そこは大学の最寄り駅から電車で一時間程と、結構な時間が掛かる。家に帰るとそれ以上に遅くなるため、俺は大学を出てそのまま向かい、その途中、母には友達の家に泊まってくると嘘の電話をした。
そこは小さなマンションだ。ここに来るまでの間、俺は何度か姉に電話をしたが、彼女が出ることはなかった。
俺は姉の部屋のインターホンを鳴らす。
『はい』
スピーカーから姉の声がした。
「あすちゃん……俺」
俺がそう言うと、そこから声は返ってこないが、少し待つと扉が開く。
「……入って」
俺は部屋に入る。姉はまだ部屋の整理が出来ていないのか、そこにはいくつかダンボール箱が置かれたままだ。俺はすぐにでも、何故俺に何も言わずに出ていったのかを聞きたいところだが、それをぐっと堪え、実家の彼女の部屋にある物に似た、小さなテーブルの前に腰を下ろす。
「あたし……彼氏が出来たの」
俺が座った瞬間、姉の口から衝撃的な一言が飛び出してきた。俺は自分の耳を疑いたくなる。姉の今の彼氏は俺だ。しかし、彼女の言葉は俺以外の男のことを指しているというのが、嫌でも解る。
「仕事探してる間に知り合ってね。良い人なんだ。明日会うし、楽しみだなあ」
俺は姉の言葉が耳に入らない。
「そういえば、ここに来たいって言ってたっけ。あたし、襲われちゃったらどうしよう……きゃっ」
「……ふざけるな!」
俺はテーブルを叩いて立ち上がり、姉を見る。彼女は俺に怯えているようだ。
「彼氏ってなんだよ……あすちゃんは俺のことを愛してないのかよ! 俺をからかってただけか?」
「圭、あたしたちは姉弟なんだよ? どう足掻いたって、血が繋がってるっていう事実は変わらない。やっぱりダメだよ……恋人同士にはなれないよ」
俺は姉の腕を掴み、ベッドの近くまで引き寄せ、彼女をそこに押し倒す。
「やめて! あたしたちはこんな気持ちになってはいけないの……あたしのことはもう女として見ないで。圭は優しいから、あたしなんかより、んっ!」
俺は姉の口を塞ぐように、無理矢理キスをした。そして彼女の着ているワンピースのボタンを外し、ブラジャーの中に手を差し込んで、彼女の胸を乱暴に触る。
「……はっ……圭、こんなことをし、て……いいと思ってるの!? あ……」
俺はそれからしばらく、姉の体を貪った。
俺は姉とセックスをしてしまった。今、俺たちは全裸でベッドに潜り込んでいる。俺はぼんやりと天井を見つめ、彼女は俺を見ている。
「あー……あたしたち、これからどうなっちゃうんだろうね」
「解らない。でも俺はあすちゃんと心が通じ合った日から、あすちゃんが悲しい時、苦しい時は俺が傍にいてあげたいって気持ちは変わってないよ」
姉は俺の腕を抱き締める。俺は腕に彼女の温もりを感じた。
5日後、俺は夕食を摂ると、姉のマンションに向かった。今日はここに泊まって、次の日のバイトに行くつもりだ。
部屋に入ると、姉は夕飯の途中だったようで、テーブルには白ご飯や味噌汁が置かれている。
「あれ? あすちゃん、かなり髪切ったんだね」
これまでは肩を越えるくらいに長かった姉の髪は、ショートカットになっている。
「うん。これから暑くなるしねえ。バッサリ切っちゃおうと思って」
「似合ってると思うよ」
「ホントに? 嬉しい! ……けど、照れる」
今までも充分若かったが、ショートカットになった姉はますます若い、というより幼く見える。
これだと俺と並んで歩けば、年下の女の子を連れているようにしか見えないと思った。
姉が夕飯を終えると、俺たちは寄り添って座り、話をする。その時、俺は彼女の胸を触ってみる。
「ひゃっ……う。圭ちゃん、まだ早いよ」
姉の反応は本当に可愛らしい。
「あん……ヤダ! うー……んっ」
俺は調子に乗って、姉の胸をしばらく触り続ける。俺はこのまま彼女とセックスをしてしまいたいが、お互いまだ風呂にも入っていないので、我慢する。
「……圭ちゃんのイジワル」
「あすちゃんが可愛いから、悪戯したくなるんだよ」
「そんなの言い訳になりませんー」
その後、俺、姉の順で風呂に入る。
風呂から出ると、俺と姉はベッドの上に寝転がり、見つめ合う。
「そういえば、あたしたちのルールはどうなったの?」
「そんなのもうないよ。しちゃったんだし……」
「圭ちゃん、あの日は強引だったなあ」
「俺、冷静じゃなかったからなあ。あの時、あすちゃんは怖かったよね? ごめん」
俺がそう言うと、姉は俺に軽くキスをする。
「そうだったけど……それと同時に凄くドキドキしてたんだよ。圭ちゃんがあたしのために、こんなに必死になってくれてるって」
「もしかして、あすちゃんってM?」
「解らなーい。今から確かめてみる?」
その後、俺と姉は愛し合った。
俺は多少、姉にMの気があることが解った。今まで俺に数々のセクハラをしていた割に、Mだというのはどこか微笑ましい。俺はこの時は最早、お互いが姉弟だということを完全に忘れていた。
6日後の夜、俺はまた姉のマンションに向かった。今日も泊まりだ。明日はシフトの兼ね合いなのか、珍しくバイトが休みで、俺と彼女共に一日丸々空いている。俺は浮かれていた。
俺が部屋に入ると、姉はテーブルの前に座り、テレビを観ている。
「待った?」
「あ……うん」
俺は姉がどこか元気がないように見えたので、彼女の横に座り、頭を撫でる。
「あたし、話があるの……」
俺は胸騒ぎがして、姉の頭から手を離す。
「あたしね、この一週間ずっと圭のことを考えてたんだ。そしたら、やっぱりこの関係を続けるのは、あたしたちのためにやめた方がいいんじゃないかなって」
姉は前のように俺を呼び捨てにしていた。彼女が真剣なことは解るが、俺は彼女の言葉にどこか冷たさを感じて寂しくなる。
「……俺はあすちゃんのことを愛してるんだよ? あすちゃんも俺のことを愛してるんだよね? それだけで充分だよ」
「愛してるよ……だからこそあたしは圭とはまた、元の普通の姉弟に戻る方がいいと思ったの。あたしは圭に幸せになってほしい。そのためにはあたしは……こんなことをしてる場合じゃないなって」
姉は話しながら涙を流している。
「う……あたしが圭の幸せを願った時、そこにあたしはいなかった。圭はあたしにどうしたい? 圭があたしの幸せを願ってくれるのだとしたら、そこに圭は……いる?」
俺は俯いて泣き続ける姉の頭をまた撫でる。
「今ならまだ……普通の姉弟に戻れるよ」
――俺が姉ちゃんにしてあげたいこと。
――一人の男として。
――弟として。
姉は泣き止むと風呂に入り、その後、俺も入った。
23時半を過ぎた頃、俺と姉は寝ることにした。それまでの間、俺たちはほとんど話をすることはなく、何をするわけでもない時間を、ただ持て余していただけだ。
彼女がベッドに潜り込むと、俺はフローリングの上でクッションを枕代わりにして横になる。
しばらくして姉が寝息を立てだしても、俺はなかなか寝付けない。フローリングが痛いのもあるが、それより頭が一杯だからだ。
俺はいくら考えても、姉を愛しているという気持ちは変わらない。しかし、彼女は俺の幸せを願った時、そこに自分はいないと言った。
――姉ちゃんの幸せを願う時、俺はどこにいるんだろう。
「朝ご飯食べる?」
次の日の朝、俺が目を覚ますと、姉はそう言いながら俺の肩を揺すっている。
「う、うーん……食べる」
「よし! お姉ちゃんに任せろ」
昨日の夜が嘘のように、姉の声は明るかった。
『今ならまだ……普通の姉弟に戻れるよ』
俺は昨日の姉の言葉を思い出す。彼女はなるべく、普通の姉として振る舞おうとしているのだろうか。
姉はわざわざフレンチトーストを作ってくれた。俺と彼女はそれの乗せられた皿をテーブルに置き、食べ始める。
「……何か言いたそうだけど? あ、美味しくなかった?」
俺は無意識に姉を見つめていたようだ。
「そんなことはない! 美味しい」
「ホントに? 自分で言うのもなんだけど、美味しく出来てると思うから大丈夫だよね」
俺は姉がフレンチトーストを口に運んでいくだけでも愛おしく思える。俺はこの時、『ある気持ち』が強くなってくる。
「圭、今日はこれからどうするの? もしかして……朝からあたしとエッチ? ヤンっ」
「しないよ、しない。これ食べたら帰るから」
「むー……冗談は置いといて。あたし、圭に帰られちゃうと、今日はホントに暇なんだよね。せっかくの休みだし、どこかに出掛けようよ。勿論、恋人同士じゃなくて姉弟としてね」
確かに俺も、この日は姉と過ごすつもりだったので、このまま家に帰っても特にやることがない。俺は彼女に付き合うことにした。
俺と姉は電車に乗り、ショッピングモールに向かう。目的地が近づいてくると、姉は目を丸くする。
「わー……人いっぱいだね。あたし、揉みくちゃにされそう」
「姉ちゃん、華奢だしね。まあ、土曜日だし仕方ないよ」
まず、姉は俺を連れてアクセサリーショップに向かう。
「今日はデートですか?」
姉は店員に話し掛けられている。
「デートじゃないです……あたしたち姉弟なので」
「キョウダイなんですかー。仲良いですね! お兄さんが妹さんのアクセサリーを選んでくれるんですか?」
店員がそう言うと、姉はとても渋い顔をしながら俺を見つめてくるので、俺は笑いを堪えていた。
買い物は姉だけしかしなかった。俺は荷物持ちになるつもりだったが、彼女の紙袋は2つだけなので、自分で持っている。俺たちは駅に向かって歩きながら話す。
「姉ちゃん、やっぱり俺より若く見られるよね」
「んー、歳を言うのもホント面倒臭い。あたし、何歳に見られてるんだろ」
俺はその場で立ち止まった。
「俺、元の姉ちゃんの弟に戻るよ」
姉も立ち止まり、振り返る。
「……そっか。あたし、なんだか振られたみたいだなあ。多分、うちに帰ったら号泣すると思う。あー……もう、あたし、圭のことで泣いてばっかりだ。これからはまた、普通のお姉ちゃんに戻らなきゃいけないのに、しっかりしなきゃ」
姉はそう言いながら俺に笑い掛けた。