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第2話

 次の日、俺がソファーから起き上がって時計を見ると、まだ五時だ。やはり、ベッドとは違って寝心地が悪い。おそらく、まだ部屋のベッドは姉が占領しているだろう。とりあえず追い出して二度寝をしようと、自分の部屋に向かう。

 部屋に入ると案の定、彼女は気持ち良さそうに眠っていた。

「自分の部屋に戻ってくれない?」

 布団を剥ぎ取ったが、彼女の姿を見て、慌ててまた布団を被せる――見間違いだと思いたい。なぜパンツしか履いていないんだ。

 一瞬だけ、ブラジャーのつけていない胸が目に入ってしまった。

「なんで何も着てないんだあ。服を着ろ!」

 布団越しに揺すると、目を覚まして身体を起こす。その時に布団が捲れ、また胸があらわになってしまった。彼女に背を向ける。

「……おはよ。どうしたの?」

「だからー……服を着ろ」

「あ……見た?」

 無言で首を縦に振る。

「ごめんねえ。あたし、おっぱいなくて……圭もどうせ見るなら、巨乳でピンクの乳首がいいよね。あっ、でもあたし、乳首はまあまあ綺麗な方――」

「そんなことはどうでもいい!」

 いい大人なのだから、いくら弟とはいえ、少しくらい恥ずかしそうにしてもいいとは思うが。背後から衣擦れの音が聞こえる。

「服着たよ」

 声を聞いて振り返る。

「うっわ!」

 パジャマの下を穿いただけで、上半身は裸のままだ。また急いで背を向ける。素面でもセクハラをしてくるようだ。朝から気分が最悪だ。

「俺をからかうのもいい加減にしてくれ……」

「冗談だよー」

「っていうか……裸で寝るのはおかしいだろ! 普通、俺に見られたらどうしようとか考えるだろ」

「いつもこの格好で寝てたから、つい……はは」

 彼氏と毎日裸で寝ていたのか、という余計なお節介を噛み殺す。

 今度はちゃんとパジャマを着ると、欠伸をしながらベッドから下りてきた。

「また昼まで寝るのか? あー……姉ちゃんのせいで目が冴えちゃったし。せっかく起きたんだから、朝飯食べない? 俺も食べるし」

「あれ? 圭、あたしのおっぱいを見て目が冴えちゃったの? ……エッチぃ」

「違げえよ」

 自身を抱き、わざとらしく腕で胸を隠している。神経を逆撫でされた気分になりながら、彼女を放って一階に下りた。


 夕方にバイトを終え、俺は家に帰ってきた。自分の部屋の扉を開けると、なぜかそこには姉がいて、ベッドの上で寝転がっている。

「あっ、おかえり」

「おかえり、じゃねえよ。自分の部屋があるだろ」

 鞄を置いて部屋から出ようとすると、彼女が話しだした。

「なんていうか……自分の部屋で一人でいると、寂しくなるんだよね。ここはよく分かんないけど落ち着くの。圭の匂いがするからかなあ」

「……その発言、姉としてかなりキモイと思うぞ」

「キモイって言わないでよ……傷つく。圭だって彼女と別れたばかりだから、人肌恋しいなって思うでしょ?」

「それを俺の匂いで紛らそうとするのは、どうかしてると思う……」

 真面目に相手をするのが馬鹿らしい。また部屋を出ようとするが、ベッドをポンポンと叩くような音が聞こえて、振り返る。

「ほら、添い寝しようよ」

「なんでそうなるんだよ」

「いいじゃん。あたし、家を出るまでずっと圭の面倒を見てきたのに、圭はお姉ちゃん孝行をしようとは思わないの?」

「……添い寝が姉ちゃん孝行なのか?」

「うんうん!」

 キラキラした目で見ている。

 『お姉ちゃん孝行』と言われてしまうと弱い。今はこんな姉だが、これまでたくさん感謝していることはある。このくらいで孝行が出来るならいいやと思いながら、彼女の横に寝転がり、背を向ける。

「なんでそっち向いてるのさあ」

「なんで姉ちゃんと見つめ合わなきゃいけないんだよ」

 指先だろう感触が背中を撫でてくる。

「はっ……くすぐったい! やめてくれ」

「こっち向いてくれたらやめてあげる。お姉ちゃん孝行は?」

 お姉ちゃん孝行という言葉を、脅しに使わないでほしい。とにかく、要求から早く逃れたい。やむなく従う。

「ふっふー。それでいいんだよ」

 見つめ合う形になった。するとさらに近づいてきて、俺の腕を抱き締める。

「ちょっ……何すんだ」

「こうしてると落ち着くなあ」

 顔を俺の腕に密着させ、頬擦りしている。

「ねえ、おっぱい触る?」

「触るわけねえだろ」

 軽い気持ちでそんなことを言わないでほしい。これは調子に乗っているな。

 また胸を押しつけられでもされるのか。そう思っていると、急に静かになって、上目遣いで潤んだ瞳を向けてくる。

「……なんだよ」

 何か喋ってくれないと、どうしたらいいのか分からない。

 この瞬間、なぜか胸が高鳴るのと同時に、瞳に自分が吸い込まれそうな感覚がした。思わず目を逸らしてしまった。

「ふふっ……どうしたの?」

 彼女は腕を離し、寝返りを打ってから上体を起こす。

「よし! もういいよ、ありがとう。あたし、なんだか心がポカポカした」

「そうですか……」

 彼女は満足したのか部屋を出ていく。

 扉を閉める音がした後、身体を起こすが、そこから動けない。さっきの彼女はどことなく可愛かった――可愛いと思ってしまった。それが姉としてなのか、一人の女性としてなのかはよく分からなかった。


 三日後、今日は巧巳(たくみ)と飲みに行く約束がある。20時、俺は駅前で待っていると、眠そうな目をしている彼が来た。元からだが。一言二言交わして居酒屋に向かう。

 店に着き、注文を済ませてしばらくすると、お通しとビールが運ばれてきた。

「お疲れー」

 互いのジョッキをコツンと当ててから、ビールを喉に流し込む。ジョッキをテーブルに置くと、明るい茶色の短髪を掻きながら、彼の方から話しだした。

 話題は大学の春休みが終わって寂しいこと、俺たちが中学生の時に同じクラスになったことと続く。それはそれでいいのだが、今日、彼に姉のことを聞いてもらうつもりでいた。

 彼は煙草を吸うために、ライターに手を伸ばした。そこで話が途切れたので、俺は口を開く。

「たくに聞いてほしいことがあるんだけどさ……」

「なんだ、悩み事か?」

 最初の煙を吐き出してから、彼は口を真一文字に結んだ。和やかな雑談ではないということが分かったのだろう。さすが旧友と言うべきか、察しがいい。

 最近、姉がおかしいということを彼に話す。セクハラされたこともだ。

「俺は姉貴がいないし、世間の一般的な姉貴像っていうのがよく分からねえけど、それは確かにおかしいかもしれん。でも少しだけ羨ましい……」

「何が羨ましいだ! やられてる身にもなってみろ。姉貴のおっぱい押しつけられるなんて、拷問でしかない」

「まあまあ、そう怒るなって。ていうか、そんなデカイ声でおっぱいって言うな。周りに聞かれたら俺も恥ずかしいだろ」

 残り半分のビールを一気に飲み干し、店員を呼んでレモンサワーを注文する。

「姉ちゃん、圭のことが好きなんじゃねえの?」

「好きって……ブラコンってこと?」

「ブラコンっていうか……男として」

「はあ? そんなことがあるわけねえだろ」

 そんなことはあるわけがない――いくら異性だからといって、姉弟なんだ。彼には弟しかいないから分からないだろう。姉は弟の俺からすると、『家族の中の一人』という存在でしかなく、それ以上でも以下でもない。だから彼女も俺と同じように、俺のことを恋愛対象として見ているなんて、そんな馬鹿なことがあるわけない。

「セクハラされて、姉ちゃんを見る目が変わったか?」

「ああ、思いっきり変わったよ。昔はいつでも俺の味方って感じで頼もしかったのに、今は迷惑でしかない」

「いや、そうじゃなくて……」

「ん?」

 何を聞きたいのかが分からない。

「だから、こう……姉ちゃん可愛いなとか、もし血が繋がってなかったら付き合いたいなとか、思ったりする?」

 言葉に詰まる。この前、彼女を可愛いと思ってしまったことは事実だ。

 しばらく考えて、彼には正直に話そうと決心する。

「俺……姉貴に腕に抱きつかれた時、一瞬だけ姉貴のことを可愛いと思っちゃった、かもしれない。これが姉としてなのか、女としてなのかは自分でもよく分からない」

 彼は斜め上を見ながら、煙草の煙を何度か吐き出した後、話しだした。

「そうか。まだ圭は心の整理が出来てないんだな。姉ちゃんも、ただ歳の離れた弟が可愛くて、からかってるだけかもしれんしな」

「理由がどうであれ、嫌だ……」

「今日もうちに帰ったら姉ちゃんがいるんだろ? また何かあったら俺が話を聞いてやるよ。何かあってからではもう遅いのかもしれんが」

「……怖いこと言うなよ」

 結局、彼に話したところで、何かが解決するようなことはなかった。ただ、聞いてもらえただけで、少し気持ちが軽くなった気がするから良しとしよう。

 その後は、いわゆる男だけの下らない話を中心に話した。


 一日が終わるまであと40分、俺は家に着いた。もう大学が始まったし、風呂に入ってさっさと寝ようと風呂場に向かう。だが、脱衣場の扉は鍵がかかっている。

「あー……姉ちゃんか」

 仕方なくリビングのソファーに座り、テレビを観ながら風呂が空くのを待つことにした。


 いつの間にか、俺は寝てしまっていた。

 目を覚ました時、すぐに気付く。頭の上に何か重量感がある。

「きゃっ」

 頭を動かすと女の悲鳴が聞こえた。後ろを振り向くと、そこには姉がいる。さっきの感触はおそらく、腕を乗せていたか何かだろう。もう少し普通に起こしてほしい。

「何やってるんだよ」

「圭こそ、そこで寝てたじゃん。風邪引くよ」

 この時、さっき巧巳に言われたことを思い出した。彼女を見ると変に意識してしまう。なるべく目を合わさないように話そうとするが、彼女は俺の前まで回り込んできた。さらに、向かい合うようにして膝の上に跨がってくる。

「お、おいっ……何やってるんだ」

「ぎゅってしていい?」

「いや、意味が分からん。早く降りろ」

 虚ろな目をして、何を考えているのかが全く読めない。身体を密着させようとしてくるが、そうはさせまいと、肩を押して距離を取る。無理矢理引き剥がすことも出来るが、そうするとケガさせてしまうかもしれない。今はこれくらいの抵抗で精一杯だ。

「俺で寂しさを紛らせるのは、いい加減やめてくれ」

 何かに驚いたように眉尻を下げ、彼女は俯く。

「ま……なん……い……」

「なんだ?」

「紛らせてなんか……ないよ!」

 顔を上げた彼女と目が合った。

「どういう意味だ……? ていうか、なんで泣いてんだよ」

 身体を震わせながら、口をつぐんで涙を流している。急に泣き出す理由が分からない。ここから抜け出せなくて、泣きたいのはこちらの方だ。

「少しの間だけでいいから……ぎゅってさせて? そしたら大人しく寝るから」

 涙で潤んだ瞳を、まっすぐに向けて訴える。俺は即座に頭を回転させる。今この状況から一番早く逃れられるのは、彼女の言うとおりにすることだ。渋々、そうすることに決める。

 肩から手を離すと、優しく抱き締められた。

「ふー……」

 大きく息を吐き出しながら、身体を小刻みに動かしている。甘いシャンプーの香りと、密着する柔らかい胸。腿に当たるそれよりは弾力のある尻の感触で、頭がクラクラしそうだ。

 30秒程して、ようやく離れてくれた。

「……わがまま言ってごめんね。おやすみ」

 鼻をすすりながら、本当に大人しくリビングを出ていく。

 脱力して、自分がソファーに飲み込まれていくようだ。段々要求がエスカレートしていることに、少しだけ怖くなってきた。同時に、彼女に対して無理矢理言葉にするとしたら、『情け』に似たものを感じたことに、胸を掻きむしりたくなる。

 その後、いっぱいになった頭をどうにかしようと風呂に入る。しかし、それは少しも消えることはなかった。巧巳の言ったとおり、早速『何か』が起こったことに自分を呪いたくなる。

 この日はベッドに潜り込んでから眠りに就くまで、かなりの時間がかかった。

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