5-2. 知ってる人
「……言っていい?」
「なんです」
「なに言ってるの?」
腕を組んで仁王立ちしているアイくんに、当然だと思える疑問を投げてみた。きっと答えは返ってこないけど、ここで聞いておかなかったら、多分一生聞けないから。
「子供が迷ってるです」
「どこで?」
「八年前です」
「……なに言ってるの?」
これは答えじゃない。私の質問に対する答えじゃない。だから全然理解できなかった。
「アホですね……。何度言わせるです」
「何回言われてもわかんないよ……」
きっと言いたいことは、タイムトラベル的なもの。一回できてたけど、理解なんかしてないし、できるわけがない。
「無理でしょ」
「僕だってここにいるです。願えばいいです」
……言いたいニュアンスは伝わってくる。……けど、アイくんって、誰? どこの誰? 何者なの?
「なんでもありだね」
「なんでもではないです。叶えない願いは省いているです」
「……ま、いいけど」
全部アイくんのさじ加減ってこと。でもまぁ、いいか、別に。なんかやる気出ないし。一週間前まではやる気で満ち溢れてたけど。なんかもう今は、どうだってよかった。
言われた通りに願ってみる。……なにを? 子供が迷ってるとしか聞いてないんだけど。まぁいいや。失敗したらそれだけの話。だから願ってみる。迷子の子供に会えるよう。
目を瞑って、顔も性別もなにも浮かべない。ただ、迷子の子供のところへと飛べるように、そう願った。
「……」
無言が続く。
「……なんか言ってよ。……え? アイくん?」
目を開いてみても、アイくんはどこにもいなかった。そして私は、知らない場所にいた。……嘘でしょ? ブラック企業にもほどがあるんだけど。
確かなのは八年前で、迷子の子が近くにいるってこと。GPSなんか使い物にならないだろうし。ここがどこ? って願ったら、頭に入ってくるのかな。
というかここどこ? いや、ほんとにわかんないんだけど。ここってどこ? とりあえず歩こうかな。でも普通に迷いそう。私が。……やっぱり、願うしかないのかな。……なにを?
私迷子の子と会って、なにするの? なんにも聞かされてないんだけど。だってここがどこかもわかんないし。どこなの?
でも、ここはやっぱりなにかおかしかった。今気付いたけど。だって、人の気配がしないから。大通りなのに、人や犬どころか、車すら通ってなかった。
なんかもう、本当に理解が追いつかない。一つわかるのは、多分私とその子だけ。そして近くにいるってこと。
「……」
改めて、動かない世界を見渡す。色はあった。だから見分けがつかなかった。雲は流れ、木はなびいていた。時間の概念が通用するかだけはわからないけど、不思議な空間。
その中で動きがあったのは、私の腰ぐらいしかない高さで、動いているのが見つかったから。曲がり角から出てきたそれは、人の形をしていた。というか人だった。小さな子。
短髪で半ズボンだし、きっと男の子。そして多分、私以外唯一の子。私は近付いた。その後どうするかは考えてなかった。
「こんにちは」
「……」
声をかけると、びっくりしていた。そして答えてくれなかった。……ちっさい子の扱いって、全然知らないんだけど。
「どうしたの?」
「……」
答えてくれなかった。そりゃ、なにもないのにどうしたのって、どうもしないよね。わかるよ。
「お名前は?」
「……」
答えてくれなかった。もしかしたら、名前がないのかもしれない。あるあるだよね、一人っ子政策とかいうくらいだしね。……ないよ。なんなの?
笑顔で語りかけ、できるだけ笑顔で、自分では笑顔だと思いながら話しかけてみても、どうしようもない。笑顔って、どんな顔? わからないんだけど。
笑ったのって、いつだったかな。つい最近だった。でも、あれは笑顔だったのかな。
面白かったから、多分笑ってたと思うんだけど。でも、どうすれば笑顔になるのかわからない。楽しくないから。今のこの時間は、ただの苦痛だから。
「知らない人だから?」
「……」
答えてくれなかった。でも頷いてくれた。ここで外したらどうしようかと思ったけど。でもまぁ、それがわかっただけで、どうとでもなりそう。
「私は美沙って言います」
「……」
「私の名前は?」
「……ミ、サ?」
「うん。もう知ってる人だよ」
そもそも私は子供が好きじゃなかった。就職体験でスーパーのレジだった時、客の子供がじっと私を見つめてきた。正解がわからなかった。
儚げな存在を見たところで、揺れ動くこともない。母性本能とか、言い換えが必要だと思う。男もあるもんだと思うし、女でもない人もいるし。
「……うん」
「お名前は?」
「春輝……」
だから力を振り絞ったけど、振り絞った甲斐はあった。まぁ相手子供だし。通じればなんだっていいから。
「春輝くん?」
「うん」
「お母さんは?」
「いない」
私は悪くない。絶対に悪くない。だって聞かない人いる? あぁ、この子はこの人は親がないんだって、初見でわかる人いる?
私はわからない。絶対にわからない。だから私は悪くない。悪かったのは運だから。
「家で寝てた」
「……そっか。元気そうだね」
でも、謝る必要はあるかなって思ってた。謝らないけど。ほら、悪くなかった。
「友達と一緒?」
「……ううん」
「危ないよ。……まだ昼間だけど」
こんな平日のって言おうとしたけど、それは私だけの話。今が何曜日なのかはわからなかった。私なんだったら知ってるの? わかるの? ブラック企業もいいところだよね。
「アキちゃん……」
「え?」
「アキちゃんに、謝ろうと思って……」
……アキちゃんって、なんか聞いたことある気がするんだけど。……河上さんが、アキちゃんって呼んでとか、呼ばれてるとか、言ってた気が……。
「ねぇ、ミサちゃん」
「……ん?」
「学校って、どこにあるの……?」
多分河上さんで間違いはない。だって私が聞いたことあるって、交友関係狭い私が聞いたことあるって、河上さんくらいしかいないし。
八年前って考えたら、小学校。でも私は知らない。この時代、私はここにいなかったから。というか今もいないんだけど。なんか隣町に河上さんは住んでたはず。
どんな流れで聞いたかは覚えてないけど、覚えてられないけど、ペラペラと喋っている中で言ってた気がする。あの人よく喋るから。私ほとんど聞いてないけど。
「一緒に探そっか」
気付いたら、私はそんなことを言っていた。なんでかは、よくわからなかったけど。
「いいの……?」
「うん。いいよ」
「……ありがとう」
とりあえず、願ってみた。この場所の地図が頭に浮かんでくるように。そのせいかどうかはわからないけど、まったく気にもしなかった足元が気になった。
スクールゾーンと書かれてある道。……すぐそこじゃない。前か後ろかで迷いそうになったけど、私は前に行こうと即決していた。
「……あれ? どうしたの?」
スタスタと歩き始めて、おかしいことに気付いた。気配がなかった。振り返ってみると、春輝くんは動いていなかった。なんで?
「……」
……全然わかんない。どうしよう。私弟いるって言っても、アイくんは弟じゃないし、私弟なんかいないし、本当に扱いがわからない。なんで動かないの?
続くのは無言だけ。気まずいというか、どうすればいいのかがわからなくて、気持ち悪い。……とりあえず、戻ろう。
「はい」
できるのは、手を差し伸べることだけ。単純なことだけど、それ以外はなにも思い浮かばなかった。
でも、春輝くんは受け取ってくれた。受け取るしかなかったのかもしれないけど。だって多分、この世界には二人しかいないんだから。
二人で手を繋いで学校までの道を歩く。特になにも起こらなかった。起こるわけもないけどね。誰もいないんだし。
喋ることもなかった。話題もなかった。なんか、わりと強く握ってくる手の感覚だけあったら、別になにも要らないような気がしていた。
「ここかな……」
歩いていると、学校らしい場所にたどり着いた。そんなに歩いてないんだけど……。でも、やっぱり誰もいない。静まり返った世界。
どうしようかなって思ってたら、春輝くんは学校に向かって走りだした。いきなりだったし、私は握られていた側だったから、簡単に手は離れていった。
春輝くんの体が、何かを通り抜けたように見えた。いや、私が世界から切り離されたのかもしれない。かろうじて繋がっていた関係が切れたから、仕方ないけどね。
低学年は昼までの授業。だから校門前は小さな子たちで賑わっている。その中に、春輝くんは走っていく。
「アキちゃーん!」
そして一人の女の子に、タックルをかましていた。
「……え、ハル?」
結構な勢いを簡単に受け止めたその女の子は、戸惑いの声を上げる。何歳なんだろう、春輝くんって。幼稚園って何歳からだっけ? 覚えてない……。
「え、なんで?」
「アキちゃんに謝ろうと思って……」
「……バカ。危ないでしょ」
「ううん。えっと……あれ?」
「なによ」
「僕、どうやって来たの?」
「……二度と来ないでよ」
抱きついていた春輝くんを引き剥がして、二人仲良く歩いて帰る姿を見送る。春輝くんには悪いかもしれないけど、不思議な体験とでも思っていてほしい。
だってこの場所には私が入る隙間もないし、入る理由もないから。要らない人間も、さっさと家に帰ることにした。
「美味しいです……」
……もうちょっと、帰らなくても良かったのかもしれない。恍惚な表情を浮かべるアイくんは、すごく気持ち悪かったけど、なんか安心した。
「なんで来なかったの」
「なんで行く必要があるです」
恍惚な表情のままで言われた言葉に、私は詰まってしまった。むしろ必要なかったの? てっきり、見届けるというか、そうしないと味わえないと思ってたんだけど……。
というかそもそも、アイくんがどんな立場なのか、どんな存在なのか、私はなにも知らない。だから答えられなかった。
「お嬢さんこそ変です」
「なにが」
「いつもなら、春輝くんを赤信号の交差点に投げ飛ばすとか、その刃物で斬りつけるとかやってたはずです」
「そこまではしてないよ!? ……って、なんでカッター持ってるの知ってんの!?」
見せたことないよね!? 逆に怖いんだけど!!
「今日はやらなかったです」
……でも、言ってることは変じゃない。私はここまで願いを叶えた後に叩き落としてきたし、それがしたいから願いを叶えてきた。
でも、今回はしなかった。しようとも思わなかった。ただ単純に、春輝くんを河上さんのところに送り届けただけ。
「なんでです」
「……ま、そういう時もね」
理由なんかなかった。そんな気分になれなかっただけ。これから先、そんな気分になるのかどうかもわからない。……まだ、結論を出すのは早いけどね。
「……名前」
「ん?」
「名前は、なんですか?」
目を見開いた春輝くんは、深く深呼吸をした後、私にそう問いかけてきた。なにもなかったなって思ってたけど、そんなわけないよね。
私を忘れるように願ったはずなのに、春輝くんは私を覚えていた。アイくんの仕業以外に考えられないけど。どうせまた恍惚な表情を浮かべてるんでしょ、家で。
「私は美沙って言います」
「……ミ、サ?」
「そう。知ってる人かな?」
「……わかんないです」
でも、完璧じゃなかった。河上さんに聞いた時も要領を得ないなって思ってたけど、おぼろげな記憶でしかなかったみたいだから。
「……ねぇ、お嬢」
「なに?」
「八年ぶりって、どういうこと?」
「え? 適当に言っただけだけど……」
ドガシャーーーーン!! と音がした。春輝くんを掴んだ河上さんは、春輝くんを本棚に向けて投げ飛ばしていた。すごい音だった。……頭から突っ込んだけど、大丈夫?
「機転利きすぎでしょ! ピッタリすぎでしょありえないから!! 知ってる人なわけないから!!」
「……動かないけど、大丈夫なの?」
「そんなことはどうだっていいの!」
「いいの!?」
ホコリが立ち込める中、春輝くんは動かない。絶対に大丈夫じゃない。
「アキちゃん痛い……」
……大丈夫だった!! 起き上がった春輝くんは別に血も流していない。どんだけ丈夫なの!?
「思い出せた?」
「荒療治すぎでしょ!! ミサさんもいるのに何やってんの!?」
「いや別に、自然体でなんか不満なの?」
「そのうちどころか近日殺人罪で捕まるよ!!」
起き上がったまでは起き上がったけど、立ち上がってはいなかった。だから、近寄ってみた。河上さんと言い合ってる春輝くんに向けて、手を伸ばす。
「はい」
別に思い出してほしいわけじゃない。むしろ思い出さないでいてほしい。固まった春輝くんは、流れのままに私の手を掴んだ。でもそれは私じゃないよ。あれはきっと、夢の中の話だから。




