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4-3. どの味が好き?

抑えられる気はまったくしなかった。それはさっきまでの話。まるで、俺の体じゃないみたいだ……。

俺たちも、相手たちも、飛ばしているはずの声は一切聞こえない。願っていたはずの舞台で、こんなことになるなんて思いもしなかった。

心音を感じながら打席に入る。多分みんなは期待してくれてるんだろうな。俺には一切聞こえてこない。こんなことなら、ノーヒットだったらよかったのに。

でも、こんなことを考えていられるんだから、案外余裕はあるのかな。きっとそうだ。俺の視界に相手ピッチャーしか映っていないのも、集中しているからなんだ。

ほら、セットポジションに入った。右足を上げた。だから俺も右足を上げる。もうなんでも良かった。来た球を振る。それだけを考えていると、痛みが走った。


「―――!」


痛かったのは右肩だった。俺はバットを手放し、地面を転がっていた。何か声が聞こえた。何を言っているんだろう。俺は来た球を振らないとダメなのに。


「大丈夫か?」


声が聞こえた。今度ははっきりと。声をかけてきたそいつは、三塁ランナーだった。……。


「何やってんだ!?」


「……当たったの、肩だよな?」


なんでお前がここにいるんだよ!! そう言おうとした俺の肩をそいつは触ってきた。……。


「痛ってえええぇぇぇえーーーーっ!!」


「……肩じゃねーか」


「何してくれてんだてめええーーーっ!」


「……デッドボールだろ、さっさと一塁に行け」


味方になにしてんだ!! そう言おうとした俺に、そんな言葉が突き刺さった。……デッドボール?


「俺が?」


「お前以外誰が当たるんだよ! 当たったの肩だろ!?」


「……押し出しじゃないか!!」


「だから俺がここにいるんだろ!? そこ本当に肩か!?」


「っしゃおらーーーーー!! やったぜーーーーー!!」


押し出し死球。それはすなわち、俺たちに点が入ったということ。打たなくても、労せずして点を入れることができた。俺はプレッシャーから開放されていた。

ホームインしたランナーの手を取り、ブンブンと振り回す。そして、一塁まで全力疾走をした。


「大丈夫じゃないなあいつ……」


何かが聞こえたけど、どうでもよかった。勝ち越すことができたから。勝ち越し点を挙げたのが俺だから嬉しいわけじゃない。勝ち越すことができたのが嬉しかった。


「アウトーーー!!」


「へっ?」


その嬉しさは、体が叩かれる感覚で失われていった。ベースから離れて立っていた俺。それを叩くグラブ。帽子のつばを軽く下げながらベンチへと向かう相手ピッチャー。


「バカかお前は……」


ベースコーチの牧野から罵声が飛ばされる。


「……俺、いつリード取った?」


「リード? 取ってねーよ。ずっとそこに立ってただろ」


「……バカじゃん」


「大バカだよ」


ベンチに戻ると、更に多くの罵声が待っていた。でも、みんな笑顔だった。だって勝てるかもしれないから。残すはアウト三つ。それが終わったら、多分俺は死ぬけど。




勝つということは大変だということを、俺たちはいやというほど知っていたはずだった。

あとアウトは二つ。しかし満塁。さっきの俺たちと同じ状況。ベンチから最後の伝令が走ってくる。指示は内野の前進守備。ホームゲッツー狙いだ。

気負うなという方が無理な話。だって俺たちがここにいることは奇跡のようなものだから。だからこそ味わいたかった。

でも、なんか緊張感がなかった。殺気立つみんなを俯瞰しているような、一歩引いた感覚。これは集中しているからなんだろうか。それとも、糸が途切れたからなのか。

ただひとつ言えることは、負ける気は一切しないということ。セットポジションに入ったのを確認して腰を落とす。絶対に前に出て取る。ホームに投げる。それだけを考えていた。


「サード!!」


どこからか声が上がった。ハッと我に返りサードを見ると、三遊間の打球を必死に体を伸ばして取りに行っていた。体勢を崩せばゲッツーが取れないからか、横っ飛びはしていない。

しかし、あれではホームに投げることはできない。考えるより早く、俺の体は動いていた。セカンドベースへと向かう。少し無理があるかもしれないが、入れないことはなかった。

そして、サードからの送球が届く。スライディングをかいくぐる。これであとアウト一つ。バッターの位置は、一塁に全然届かない場所。俺がこれを投げれば試合は終わる。俺たちが勝つ。

丁寧にボールを握り、一塁に送球が届くように右肩を大きく回して、痛みが走った。




「……」


「まずいです……」


保険をかけたのは失敗だった。至福の表情を浮かべた途端に豹変するって、そこまで考えてなかった。

でも、保険はあくまで保険。今回は必要のないことだったから、なんにも問題はなかった。

歓声に沸くベンチ、グラウンド。静まり返るベンチ、グラウンド。同じ場所で起こった出来事なのに、起きたことは全然違うものだった。

その中で一人、渡辺くんというセカンドの選手は、グラウンドに膝をつき、呆然とした表情を浮かべていた。

試合は後攻チームのサヨナラ勝ち。どこに収まることもなく、転々と転がっているボールが、結果を物語っていた。

なんでエラーをしてしまったのか。その理由を知ってるのは、渡辺くんと、私だけ。だって私が願ったことだから。

今日二安打しているのも、押し出し死球をもらったのも、ホームゲッツーが取れない位置に打球が飛んだのも、全部私が願ったから。

努力したって無駄なこともあるんだってことを、この目で見てみたかったから。ただそれだけ。夢なんか、簡単に叶うもんじゃないしね。

笑いを必死に堪える。ここで笑ったら変な人だから。変な人かもしれないけど、変な人には思われたくないから。でも、我慢はそんなにしなくてもよかった。

二塁ベース付近に人が集まっていくのを見たから。そう、願ったのは渡辺くんがエラーをするところまで。そこから先を考えなかったのは、どうしてだったんだろう。


「……美味しいです?」


「……どっちよ」


「今は美味しいです」


「味覚バカ!? ちょっと、貸して!」


泣いているのは一人だった。それ以外は、みんな笑っていた。とても嬉しそうに。泣き崩れて起き上がれないその一人を慰め、肩を貸して、ホームベース上で並び、礼をする。

校歌斉唱の邪魔をしないように、引きずりながらベンチ前へと連れて行く。うなだれたまま歩くこともままならない一人に、全員が笑顔で慰め続けていく。

笑いを我慢する必要はもうなかった。でも代わりに、深呼吸をしなくちゃいけなかった。不自然に高鳴った鼓動を抑えるために。


「……ごく普通すぎる! というかりんごジュースの味が変わるわけないでしょ!」


「当たり前です」


「……なんだったのよ、今の会話は」


「さぁ……なんですかね」


「私は嫌い……」


「……なんで買ったの!? なんなのさっきから、あたしがおかしいの!?」


「……おかしいのは私だよ」


そう、私はおかしかった。おかしくなかったら、胸がこんなに変な気持ちになるわけはないから。どう変なのかはわからない。

でも、なんか変だった。気持ち悪かった。さっきまでは本当に楽しかったのに。ベンチへと戻る中で、最後に渡辺くんの顔が見えた。

動いていた口が発する言葉。読唇術なんて持ってないけど、誰でもわかるくらいに大きな動きで、ごめんって言っていた。それでも、やっぱりみんな笑顔だった。

それを見ていたら、もっと変になってくる。もっと気持ち悪くなってくる。なんなんだろう、これ。……本当に、なんなんだろう。

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