4-2. お姉ちゃんはお嬢さま
野球日和って言葉があった。今日で言えば、秋晴れのような日。でも、それは野球に限った話じゃないと思う。
サッカーが好きな人ならサッカー日和、ゴルフが好きな人ならゴルフ日和。晴れた中体育館で卓球をするのが好きな人でも、卓球日和って言っていい気がする。
要するに、今日はすごく天気がよかった。アイくんを引きずって頭を抱える、私の心とは正反対に。
「なんで!?」
「言ったです。そんなわけないですって」
今私がいるのは、神宮第二球場の入り口。昨日から始まった校外学習の目的地。でもそこに、アイくんがいた。おかしいでしょ! 学校は!?
「学校は?」
「ここが学校です」
「意味わかんないんだけど!?」
「わかるです」
なんか冷静なアイくんが、顎で指し示す。そこには、……西川くん、だっけ。壁にドーンされた子。それがいた。……。
「ねぇ」
「なんです」
「なんでもありだね」
なんかもう、疲れた。来たばっかりなのに。常識なんか通用しないって、私自身が一番わかってたはずなのに。
「一つだけ良い?」
「なんです」
「お嬢さんって呼ぶのはやめてね」
「ならどう呼ぶです」
それも願えば済むことだけど、願うのも面倒に感じたから。結果、考えるはめになっちゃったけど。……っていうか、考える必要なくない?
「お姉ちゃんとか、美沙ちゃんとか、色々あるじゃん」
「お姉さんはダメです?」
「……嫌。なんか気持ち悪い。お姉ちゃんの方がいい」
「仕方ないですね……」
お姉ちゃんでも十分気持ち悪いし、美沙ちゃんなんか自殺したいくらいだけど、なんかお姉さんは嫌だった。そもそも、身内にお姉さんとか言わないでしょ……。
でもまぁ、なんか最近物分りがよくなってるし、多分これで大丈夫。万事オッケー。
「ちょっと上沢さん、どうしたのよいきなり走りだして」
置いてきた二人は、ようやく追いついた。火事場の馬鹿力ってあるんだね、やっぱり。そんなに足速くないのに。
「うん……なんか、……弟がいたから……」
背筋がぞわぞわってした。弟なんかいないのに……。むしろ兄もいないのに……。私、一人っ子じゃなかったかなぁ。そう願ってみたら、どうなるんだろう。
「へっ? なんで?」
「遠足です。お嬢さんには黙ってたです」
あぁ、そう。そんな設定だったんだ。まぁ実際、私には黙ってたし……ってはあぁぁ!?
「アイくん!」
「なんです」
「バカなの!?」
「失礼にもほどがあるです。ちゃんとお姉ちゃんのことをお嬢さんと……」
声を荒げた私に反論しかけたアイくんは、固まった。あっ、って声だけを残して。それを見てた二人の反応は、冷ややかなものだった。
河上さんは眉をひそめて私とアイくんを見比べている。……誰だっけ? 岩……岩……岩本くんだったっけ? なんかそう、岩っぽい名前くんは、目を見開いて、私を見つめている。
「逆だったです」
その間で浮かんだ起死回生の一手は、絶対に失敗するってわかるもの。でも、私にはそれしか残っていなかった。
「なんでっ、やねん……」
……無理無理無理無理!! 恥ずかしすぎでしょ!! 私なにに対してツッコミしてるの!?
「才能ないわよ、上沢さん」
「うん……言わないで。なにも言わないで……」
「お嬢さん、寒すぎるです」
「アイくんは死んで……」
もう何もかもが無駄だった。お姉ちゃんなんか二度と呼んでほしくない。一回呼ばれたことも、末代までの恥だと思う。最悪……。
「河上さん、お嬢様なの?」
「そう見えるならね」
「へーっ。僕、お嬢様って初めて見たよ」
……誰!? きみ誰!? 私お嬢様に見えたの!? どこをどう見てそうなったのか……。
「あなただけじゃないでしょそんなの。あたしだって初めてなのに」
「いや、違うんだけど……」
「あ、いいじゃん、お嬢って。なんかかっこいいし」
違うって言葉は聞き入れてもらえないんだね。いいよ、もうどうでも。お嬢だろうが貧民だろうが異星人だろうが、なんだっていいよもう。
多分今の私はすごく不機嫌な顔をしてるはず。でも、みんな別になにも言ってこない。謝ろうともしない。
なんでだろうって思ったけど、前に誰かが喋ってる内容を、わざと聞かされたことがあったのを思い出した。
『あいつ、気持ち悪いよね、人形みたいで』
「で、弟くんはなに? あいくん?」
「です」
「なにそれ、あだ名?」
「愛という字にいとしと当てるです。それをお嬢さんが勝手に言い換えたです」
「あぁ、なるほど。アイくんね。いいじゃん可愛らしくて」
変えようと努力すらしなかった私だから、なにも文句は言えない。言う気もない。変えようとしなかった私だから。
でも、こんなところで弊害が出るなんて、思いもしなかった。思えるわけもなかった。
「そろそろ試合開始だけど大丈夫?」
「……大丈夫なわけないじゃない!! チケット買ってないでしょ!?」
「え、タダじゃないの?」
「てめぇあたしの話のなに聞いてたんだコラァ!!」
河上さんの口調がどんどん悪くなっていく。別に止めないけど。そもそも私は試合を見たいわけじゃないし。ここに来てるのは、別の理由。
「もういい、お嬢、こっち!」
「……えっ?」
「買いに行くの!」
もう定着しちゃったらしいあだ名を引き連れて、河上さんに引きずられていく。チケットを買いに行くみたい。買えなかったら買えないで良いけど。
でも、買えた。どうも今日は二回戦みたいで、そんなに注目されてない同士の試合らしい。だから、余裕で買えた。
「逆です」
席に着いてアイくんが言ったのは、ここがネット裏の席だったから。私がテレビを見ない人だからいいけど、アイくんはずっと野球を見ていた。
ただ、テレビでしか見たことがなかった。だからアイくんの中では、野球はセンターカメラからの映像しかなかったみたい。
「キャッチャーの後ろなんだから仕方ないじゃない」
「テレビで映ってるところです?」
「そうそう」
「テレビに映るです?」
「ないない。無名しかいないし。ま、それがいいんだけどねー」
なんかもう仲良くなってた河上さんとアイくんの会話を聞き流す。確かに私もそそられる。慎まやかに行われるべきだと思うから。
球児たちの声が響く中で、試合は始まった。球児って言っても、みんな多分私より歳上なんだけど。
試合の内容は、はっきり言ってつまらなかった。投手戦というべきなのか、貧打戦だと言うべきなのか、区別ができない。
背番号一を背負うピッチャーのストレートは、後ろから見てるからよくわからないけどストレートは、百三十程度。
最近見てたプロの試合だと、百五十がバンバン出てたのに。そして、それを打てない意味もわからなかった。
「あーっ、惜しいっ!」
「ちょっと先だったです」
「なんだろね、ツーシームとかだったのかな」
でも、河上さんとアイくんはとても楽しそうに見ていた。もう一人は寝てた。そして私。私は、見ていた。ただそれだけ。ただ見ていただけだった。
きっと来るはずの機会を待つだけで、それ以外はどうでもよかったけど、寝るわけにもいかなかったから。そしてやっぱり、その時はやってきた。
九回の表。ツーアウトだけど、ランナーは満塁。バッターは渡辺くんという人。六番バッター。その人は、見るからに緊張していた。
「この人、なんでガチガチなの?」
「そりゃ、今日ヒット二本打ってるし。プレッシャーでしょ」
「運命です」
そう言ったアイくんに、持っていたジュースを押し付けてやる。
「なんです」
「あげる。飲んでて」
また恍惚な表情を浮かべられたら、河上さんにどう思われるかわからない。保険のようなものだけど。
高校野球って聞いた時から考えてたこと。ルールを知って、形になったこと。それは運命なんかじゃなくて、作為的なもの。だって、私がそう願ったんだから。




