3-1. 壁にドーーン!
目覚まし時計の音は、とても不愉快なものだって思う。唯一の楽しい時間が奪われてしまうから。
昨日も、そして今日も。それだけじゃない。目覚まし時計に休日はなかった。だから頑張って起きあがる。必ず訪れる、楽しい時間を目指すために。
「……え?」
行ってきます。そんな言葉は口に出さないのに、私の横から聞こえてきた。
「なんです」
「……どこに?」
「学校以外何があるです」
すごく嫌な予感がしていた。なんで同じ時間に家を出たのかも、そもそもなんで同じ時間に準備してるのかなって思ってたのに。
「高校?」
上沢愛と名乗りだした得体の知れない存在は、私の弟ということになっていた。少なくとも、上沢家では。みんな不思議に思ってなかった。
弟ができた! なんて喜ぶ気はなかった。別に、妹だったとしても、それは同じ。どっちかなら、兄か姉がよかった。それなら私は気楽だし。
「高校じゃないです、学校です」
「いや、高校も学校なんだけど……」
下だとしても気楽にしてればいいんだけど、気分の問題だから。
「何を言ってるかよくわからないです」
「うん……もういいよ」
もうなんでもよくなった。別に同じ高校だったとしても、どうでもよくなった。私は私で、こいつはこいつで、そう行動すればいいだけの話だし。
「それじゃ、僕はこっちです」
「……あぁ、うん。じゃね」
扱い方は、少しずつわかってきたような気がする。だからもう大丈夫。きっと。
私も通っていた中学校へと向かっていくのを、手を振って見送る。なにやってんだろと思うけど、これは現実だから仕方がない。受け入れて、やっていくしかないんだから。
「上沢さん」
何時間目だったのかもわからない。いつもみたいに、頬杖をついて、窓の外を眺めていた。
「え?」
席替えは、多分一回もやってない。私はこの席以外に座ったことがないから。
「食べないの?」
そもそも、この席以外がどうなってるかなんて、考えたこともなかった。どうでもいいし。
「え、なにを……?」
「なにって、上沢さん、お弁当でしょ? ずっと座ってるしさ」
でも、時間の概念だけは、気にしておくべきだった。前を向いて、時間を確認する。……十二時、三十分。私は今日学校にきて、四時間は無駄に過ごしていた。
「あ、うん。食べるよ」
別に食べなくてもよかったけど。だから私は、お弁当は持ってきてない。忘れることが、多々あるから。そんなことでお母さんと喧嘩するのもめんどくさいし。
「そっか。よかったー」
そう言った女の子は、私の前の席に腰を下ろすと、手に持っていた布の袋を開いて、お弁当箱を取り出した。
「いやさー、せっかく作ってきたのにさーっていうか、作ってやった残りを詰めただけだけど」
何が起こってるのか、いまいちよくわからない。
「作ってやった?」
「んー? あー、なんかさ、ペットみたいなやつがいて、信じられる? なんであたしが作ってやってんの? っていうか、なんであたしが残り物なの? 信じらんない」
聞きたいことを聞かない私も私だと思うけど、まったく要領を得ない言葉を投げかけてくる女の子も、どうかと思った。
どこから整理していけばいいんだろう。そもそも、会話って、こんなに難しかったの? 久しぶりすぎて、何もわからない。
「あの……えっと」
とりあえず、名前を呼ぼう。そう思った。けど、呼べなかった。ちょっと待って、この人誰!? 見た記憶もないんだけど!?
「そうそう、飼ってるわけじゃないんだけど、なんかさ、居着いちゃって。上沢さんって、兄弟いる?」
「……上、と……下。男が」
でも、会話は続いた。多分、えっとの部分を、ペットって聞き間違えてくれたんだと思う。私でも聞き間違える。
「なんだ、飼ってんじゃん」
「……弟さんだったの?」
一瞬、声を荒げかけた。でも、ほぼ初対面、と私が思ってるだけの人に、それはよくない気がしたから、必死に耐えた。
言ってから気づいたけど、お兄ちゃんの方もあったよね。どっちにしろ、存在自体を認めたくないのに、変わりはないけど。
「いや、血は繋がって……」
……どっち!? って、また声を荒げかけた。必死に耐えてる間、初対面の人は、携帯を取り出すと、その画面を冷たいまなざしで眺めていた。
「血は繋がってないけどさ。まぁ、似たようなもんだけど」
「でなくてよかったの?」
着信音こそならなかったものの、ずっと震えてるから、一応。どっちでもいいけど。
「え、何が?」
「いや、電話が……」
「いいのいいの。どうせ、学校でもゴキブリが出た! とか、そんなんだし」
……やっぱり、全然わからない。とか思ってたら、私の携帯も震え始めた。
「ちょっと、ごめん」
取り出して、確認してみる。番号は、非通知。嫌な予感しかしない。出ようか、どうしようか。
「ん、全然おっけー」
……まだ聞いてもなかったんだけど。まぁ、いいって言うんだから、出てやってもいいかもしれない。
『すごいです』
「……なに?」
いろんな意味を込めてみた。文字通りなにがすごいのか。なんで私の番号を知っているのか。そもそも、携帯持ってたの?
『小腹が空いたので、ちょっと食べてみたです』
「うん」
『なんか、救急車とパトカーが来て、大変なことになってるです』
「……は?」
「は?」
声がかぶった。目の前の人と。見てみたら、携帯をいじっていた。なにがだろう。
『だからちょっと、きてください』
「いや、来てと言われて……」
行けるわけないじゃん。そう言おうとしたけど、やっぱりやめた。どうも、行けちゃうみたいだから。だって、この教室で、私以外は動いてないんだから。
『今すぐです』
「いやいや、わりと遠いし」
『変身して願えばいいです』
「……あぁ、そう」
なんでもありじゃん。まぁ別に、なんでもいいけど。
「見てください」
変身して、願ってみた。気づいたら私は、中学校の中にいた。
「……なに、したの?」
指された先にあったのは、イスにのしかかられて、頭から多量の出血をしてる、男子生徒。
「言ったです。小腹が空いたから食べたです」
「なに食べたらこうなるの!? ……っていうか、言っといてよ!!」
こんな衝撃的な光景、すごいなんてもんじゃないよ!? すごすぎるよ!!
「なんか、壁ドンがしたいって言ってたです」
「……あの、さ」
「なんです」
「壁ドンって、知ってる?」
嫌な予感しかしなかった。たぶんこいつは、知らないから。たぶんじゃない。絶対に知らないから。
「知らないわけないです」
「なら、なにやったの」
景色がゆがんだ。血に染まった教室は、喧噪に溢れる給食の時間になっていた。そういえば、中学校は給食だったっけ。
「こいつです」
アップで映し出されたのは、やんちゃそうな顔をした男の子。確かに、大きくなったら、そういうことをしそうだけど……。……壁ドンが、したい?
「ここです」
もしかして、されたいって思ってたんじゃ……。
『ちょっと西川!』
『いいじゃん別に、ほしかったら取ってみろよ!』
交わされるのは、まぁ日常的な会話。喧嘩するほど仲がいいとは……って、ちょっと待って!?
『こっの……』
目の前にあったイスを、頭の上に持ってくる女の子。……壁ドン、ねぇ。
『野郎おおおぉぉぉぉーーーーっ!!』
『……へ? って、うわああぁぁああぁあーーーーーっ!!!』
ガシャーーーーーン!! って、すごい音がした。すごいことばっかり起きる。でも、今回のはすごすぎた。
「死にたがってたです」
「そんなわけないじゃん……」
「壁ドンです」
「壁にドーン! だよ、これは」
やっぱり、知らなかった。中学生って、女子の方が力あったっけ? それにしても、火事場の馬鹿力にもほどがあるよ……。
「違うです?」
「そりゃ、死にたい人なんて、めったにいないでしょ」
「無味無臭かと思ったです。そもそも食べれてなかったです」
……においも、あったんだね。まぁ、どうでもいいけど。さっさと願って、この凄惨な光景から目を背けたかった。痛いのは嫌いだから。子供だしね。
「っていうか、なんで呼んだの?」
「理由はないです」
「あってよ!」
完全に無駄足じゃない! 説明してくれたら高校で願えてたのに!! さっさと願って、戻ろう。そう思って目をつむって、……どう、願えばいいの?
「もしかして死んでないよね?」
「知らないです」
「知っとこうよ! 見てたんでしょ!?」
押し問答が続くけど、これもよく考えたらどうでもいい。適当に、願えるだけ願って終わらせよう。どこまで願いが通じるのか、試す機会かもしれないし。そしてついでに、ちゃっかり願ってみよう。
「ちょっと西川!」
「いいじゃん別に、ほしかったら取ってみろよ!」
隣にある教室から聞こえてくるのは、さっきも聞いたような声。でも、もうすごいことは起きない。だってそう願ったから。
時間を確認する。十二時、十五分。今帰ったら、私はイスに座ってるのかな。……って、あれ? やばくない?
ま、いいか。いざとなったら、あいつに聞けばいいんだし。今頃、西川くんを追いかけていた女子に壁ドンをされてる、あいつに。




