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9-2. 将来の夢

昔は楽しくないわけじゃなかった。そう思っていたけど、それはやっぱりただの自惚れだった。間違いだった。なにを楽しいと感じていたのか、説明することができないから。

クリスマスとか、誕生日とか、楽しそうに心待ちにしている同級生が不思議で仕方がなかった。なにが嬉しいんだろう。数ある一日にすぎないはずなのに。

一回、理由を聞いたことがあった。どうしてそんなに嬉しいの? って。なにがそんなに楽しいの? って。

返ってきた答えは、プレゼントがもらえるから、だった。その答えは、納得もできなければ理解もできなかった。プレゼントをもらって、なにが嬉しいの?

生まれてこの方、プレゼントをもらって嬉しかった覚えがない。欲しいと思った時にはもう、この手の中にあったから。

今思うと、どう考えてもおかしな話だった。読みたかった本を、持ってなかったっけ? って思ったら、やっぱり持っていたり。

一万円の服を見ていて、財布の中身を確認すると、一万五千円が入っていて。生まれ落ちたばかりの世界にいた私は、違和感すら覚えなかった。

崩すのはきっと簡単な話。元凶の私が、否定すればいいだけなんだから。でも目覚めた私を待っていた世界は、今までと同じ世界だった。


「おはようです」


「……うん」


アイくんが私を迎えて、私がアイくんについていく。そこにいるのはお母さんを加えた三人だけ。それが今の私の家。


「美沙ー、おはよー!」


一瞬どころか今も理解できないくらいだけど、学校についてかけられた声は河上さんのものだった。

違和感しか感じなかったけど、アイくんがお姉ちゃんって呼んでくる以上、そうなるよね。


「おはよう、上沢さん」


「……おはよう」


石田くんもいた。やっぱりというか当たり前の話だけど、お嬢さまとは呼んでくれなかった。


「ちょっと聞いて! ハルがさー」


私が座るより先に私の前の席に座った河上さんは、ペラペラと口を動かし始める。私は適当に相槌を打ちながらそれを聞く。石田くんはなぜか横でそれを聞いている。

少し残念な部分もあったけど、私はホッとしていた。世界が壊れかけていても、日常はまだ不変だったから。

告白を断った石田くんとも気まずくならない。そもそも、告白が行われたことになっているのかもわからない。でもそれが今の私には気持ちよかった。

夜になってベッドに入る。床に敷かれていたはずの布団は、まだない。もうない。寝るのは怖かった。解かれていくのが目に見えていたから。

寝ている間に解けてしまうのが、すごく怖かった。寝ないでいようかな。でも無理だった。それは願いじゃなくてただの希望だったから。


「おはようです」


「……うん」


そして新しい一日が始まる。世界はまだほつれたままだった。その次も、その次も。解けているはずの世界は、体裁を保ち続けていた。

何日経ったのかな。そう思ってカレンダーを見ようとして、また怖くなった。携帯の機能に、カレンダーが存在していなかった。

ネットを開き検索しても、カレンダーは存在していなかった。世界が壊れている。それは実感できたけど、怖くはならなかった。

もう何日経ったのかもわからない。朝はアイくんに付き合って、学校では河上さんと石田くんと付き合って、帰ってきて寝るだけの日々。

私の中ではそれだけでしかないし、それ以外は気にもならないけど、世界が体裁を保っている以上、それ以外も機能してるんだと思う。

でも不安は感じなかった。むしろ安心していた。河上さんがいて、石田くんがいて、アイくんがいる世界。それは私が望んだものだったから。

だから世界は壊れない。そう気付けたのは、一枚の紙を見つけてしまったから。


「……将来の夢」


丑三つ時に見るもの。そう書いて再提出を食らった忌々しい紙。白紙のままだったそれは、望んだ物以外見えなかった私の瞳に焼き付いて離れなかった。


「そっか……」


世界が壊れない理由。私が願った将来の夢が、叶っていないから。だとするなら、話は簡単。それを叶えれば世界は終わる。

……私、将来の夢ってないんだけど。アイくんに見られた時も、魔法使いの服しか心になかったし……。……なら叶ってるんじゃないの?

でも世界は残っている。なら次の手段。この紙をもらってからのことを思い返して、そこから願ったはずの夢を読み取ればいい。

家に帰って、アイくんと会った。アイくんに頼まれて、魔法使いにならされた。お腹がすいたって訴えてくるアイくんのために、夢や願いを叶えてあげた。

その過程で生じた改ざんによって、河上さんや石田くんと親しくなれた。親しくなりすぎて、石田くんには告白をされてしまった。

でも私は断った。アイくんの顔がちらついていたから。私はアイくんが好きだから、石田くんの告白を断った。明確な理由もなく、否定していた考えだけど。


「……そっか」


やっぱり理由なんかなかった。知らないだけだったから。人を好きになるって感情を、私は知らなかった。

だから気付けなかった。アイくんと出会った理由を。アイくんがずっとそばにいた理由を。アイくんのことが、頭から離れない理由を。


「ねぇ」


ノックしたドアは、何年ぶりに入るんだろう。……って言っても、それが現実かどうかはわからないんだけど。


「なんです」


「入っていい?」


「何故です」


「入りたいから」


「別にいいですけど……」


ちょっと待つです。その声が聞こえたのは、私が部屋に入ってからだった。バタンという音を聞いて振り返ったアイくんは、私を見て固まった。

私は別に固まらない。嫌悪感もなければ、がっかりした気持ちにもならなかったから。


「ノックした意味がないです……」


「いいって言ったじゃん」


罪悪感は少しだけあった。私が望んで得た関係だったのに、私から壊してしまうんだから。ごめんね、河上さん。石田くん。


「なんです藪蛇、に……」


男には二言がないけど、あれって男限定の話だから。侍も男だし。だから私には二言がある。また固まったアイくんの目には、魔法使いになった私が映っていた。


「……お互い様です?」


「……まぁ確かにね。私十七だし……」


「……なんでそんなに笑ってるです?」


「……私?」


「お姉ちゃん以外に誰がいるです……」


確かに私は笑っていた。アイくんの瞳に、笑顔の私が映っているから。これ以上はないくらいの笑顔。


「これはね。アイくんが教えてくれたんだよ」


「……何がです?」


「好きだよ」


私の夢が叶いますように。そう願いながら言った言葉は、確かな引き金になってこの世界を撃ちぬいた。


「……」


「好きだよ。アイくん」


「大丈夫です?」


「なにが?」


「終わりですよ」


願いの魔法使いが叶えた夢は、この部屋以外を壊していく。言われなくてもわかってるよ。だって私が世界を壊したんだから。


「そうだね」


「叶わないですよ」


「そんなことないよ」


「なら何故泣いてるです」


泣いてる? 誰が? もうこの世界にいるのはアイくんと私だけなのに。私は泣いてないし、アイくんは泣いてない。


「誰が?」


「お嬢さん以外誰がいるです……」


「泣いてないよ」


近寄ってきたアイくんが私の頬をなぞる。そこから離れたその指は濡れていた。なんでだろう。だって私が泣くわけがない。

世界を作ってしまうほどの願いを込めた夢が、たった今叶ったんだから。


「わけがわからないです……」


「バカだね」


「嫌いになったです?」


「大好きだよ」


「お嬢さんがバカです……」


楽しいという感情。笑顔の意味。そして、人を好きになる気持ち。

アイくんと一緒にいることで、全部知ることができた。それなのに、泣く意味がわからない。だから私は泣いてない。


「ほら、返事してよ」


「……本当に戻れないですよ」


「いいよ。楽しい時間は夢じゃ意味ないでしょ」


アイくんの返事を聞く。そこがこの世界の本当の終わり。それがどんな答えだったとしても。

アイくんの答えは願ってない。だって、信じてるから。過ごした時間は一緒なんだから。


「嫌いじゃないです」


「結婚しない?」


「……」


「したくない?」


追求する私に見せびらかすようにため息をついたアイくんは、美味しい夢でも見せたことのない笑顔になっていた。

だから私も笑って答える。一つだけするズルを、見逃してもらえますように。そう願って、二人で笑いあった。


「しますか。また会えたらです」


もう二度と会えない。そう思ってるからこその笑顔ってわかってる。本心はわからないけど、言質は取ったからね。


「ではさよならです」


そう言ったアイくんによって開かれたドア。駆け抜ける閃光は、瞬く間に最後の欠片を壊していく。

見えなくなっていくアイくんに、私は笑顔で手を振ってあげた。じゃ、またね。必死で言葉を飲み込みながら、私の意識は光に飲み込まれていった。

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