8. 暗転
涙を流しながら目を覚ます男性を、真上から見下ろす。でも私たちの姿は見えていないし、覚えてもいない。
彼が覚えているのは、死に際を看取ることができなかった飼い犬との最後の別れだけ。
「美味しすぎるです……」
「うん、よかったね」
アイくんの笑顔はどうでもいいけど、彼が笑みを浮かべていたことを確認して、私たちは自室へと戻ってくる。
冬休みは絶妙なタイミングでやってきた。勢い余ったから、二十四、二十五だけじゃなくて、二十六まで私はサンタクロースの格好で魔法を使っていた。
さすがに二十七は自重できたけど、やる気が損なわれることはなかった。
「あと何杯いける?」
「……微妙なところです」
「なら次で最後だね」
年が明けてからもやる気は損なわれない。三が日はもちろん、冬休みの宿題はやるのを忘れてた。
でもああいうのってだいたい最初の授業で提出するから、まぁ間に合うんだけどね。
「お嬢、なんかあった?」
年が明けて久々に会った河上さんは、会うなりそんな言葉を投げかけてきた。
「なんで?」
「別人じゃん! 何そのサラッと出てくる笑顔! あたしあの写真幻かと思ってたのに!!」
「え、今私、笑ってた?」
「……今も笑ってるんだけど」
「気付かなかった」
「嘘でしょ誰よこの子! ほんとにお嬢!? 剥いだら何か出てくる!?」
「出てこないよ……」
笑ってるか笑ってないかなんて、自分で判断できるものなのかな。私はわからない。普通の表情でいるだけだから。
始業式のあとの連休は、宿題をやっていた。だからなにもしてない。その間、体はずっと疼いていた。いっそ、学校に行かなくても済みますようにって願おうかと思った。
まだ飽きずにゲームをし続けていたアイくんはずっと隣にいた。それが当たり前のようだったし、私も当たり前のように思っていた。
短かったはずの冬休みなのに、私はとても充実していた。さすがに死者を生き返らせたり、半日以上時を戻すことはできないから、願いを妥協する時もあったけど。
その間ずっと隣にいたのはアイくんだった。煩わしいと思うこともなかったし、いることが当然だと思ってたから。
「お嬢さま、ちょっと良い?」
息も絶え絶えで宿題を提出した私に、石田くんが声をかけてきた。岩じゃなくて、石だったみたい。だって、この声って、どう聞いても岩だよね。
「いいよ」
その石田くんは私の返事を聞いて、こっちと先導し始めた。着いて行った場所は、校舎の裏。柵に覆われた向こう側は、車通りの激しい大通りだった。
こんな場所初めて来たんだけど。というか、ちょっと、人気なさすぎじゃない? 日陰になってて薄暗いし、雑草の手入れもあんまりだし……。
そんな事を考えながら、私たちは睨み合う。別に睨んでるわけじゃないけど、用事があって呼び出したんだよね? 私は特に用事ないんだけど。
「お嬢さまに、笑顔になってほしいなって思ってたんだ」
「……うん」
……なんかいきなり、すごいことを言い出した。なんで? 石田くん、関係ないよね。全然意味わかんないんだけど。
「でもこんなにすぐ叶うって思ってなかった」
……なんか一つ、思い当たるフシがあるんだけど。衣装を発注しに行った時、なんか言ってたよね。僕の欲しいものをあげるよ、的なことを。
それに私はどうしたんだっけ? 確か、ちゃんと私にプレゼントできますように、だった気がする。
……石田くんの欲しいのは、私の笑顔。それを私にプレゼントする。そしてその願いは、私が叶える。……全然、考えたことなかった。というかそんなこと、忘れてたのに。
「ありがとう、届いたよ。サンタさんはいるのかもね」
「できることなら、僕は僕の力で届けてあげたかったんだよ」
「……えっ?」
「だって僕、お嬢さんのことが好きだから」
「……」
「だから今度は、その笑顔を守りたいなって思ってるんだ」
こんな展開になるなんて、欠片も考えてなかった。だって、そういうことほのめかしてたことあった? 私が気付いてないだけ?
でも、なんかすごく冷静でいられた。石田くんに告白される私を、一歩後ろから見つめている感じ。
なんでなのかは全然わからない。私は今、告白されてしまう。わかるのはただ一つ、それだけ。
「付き合ってください」
告白されるとわかった時から消えることのない、アイくんの姿が浮かんだ意味も、私にはわからなかった。
「腹八分はどうしたです」
「今どの辺りなの?」
「十二です」
「あと三つはいけるね」
私はあの時、どう答えるのが正解だったのかな。とっさに出た言葉は、ごめん無理、だった。
石田くんをそういう目で見たこともなければ見られていたつもりもなかったし、なにより、頭の中のアイくんが消えなかった。
「悪魔がいるです……」
そして今、やっぱり隣にいたのはアイくんだった。ジト目で私を見てくるアイくん。……いや、ないよ。だって、アイくんでしょ? ないよ。
弟だと偽って私の部屋に入り浸り、私に願いを叶える力をくれただけの、得体の知れないなにか。それがアイくん。
だから私は無視して、右手小指の指輪に触れる。アイくんがくれた、美味しい人を見つける装置らしい指輪。それに触れると、その人の元へとワープすることができる。
今日は次で最後かな。そう思いながら、夢と希望に溢れる人の元へとワープした。
「……あれ?」
「あれです」
着いた先は、真っ白な部屋だった。本当になにもない、ただ真っ白な部屋。その窓際で、空を見つめている短髪の女の子がいた。
「こんにちは」
緑のワンピースを着て男の子はないと思うから、きっと女の子。そう思って声をかけると、その子は振り返る。
その顔は、その瞳は、なにも映していないように見えた。
「お姉ちゃん、誰?」
濁っているわけでもない瞳は、どうやら私を映していたみたい。でも、私は納得できない。
突然部屋に現れたはずの私なのに、この子は全然びっくりしてない。きっと私を、私を見ていたとしても、数ある物体の一つにしか見ていない気がした。
「美沙って言います」
「ふーん」
「あなたのお名前は?」
「灯」
少し前の私だ。そう思ったけど、私もさすがに部屋に知らない人がいたらびっくりする。アイくんの時みたいに。
だから私に似た子。小さな子供の人形のように無表情な顔は、少しだけ心が痛むものだった。
「いい名前だね」
「お父さんとお母さんがつけてくれたから」
……嫌な予感しかしなかった。だから聞かない。聞いたら絶対に私が悪いから。違ってたとしても、私のやることに変わりはないし。
「なにをしてたの?」
さっきので終わっておけばよかったかな。三件目でヘビーなのは、心だけじゃなくて胃まで痛くなる。
そうは言っても、この子が願いを持っている限り、いつかは会っていたんだから、早く叶えてあげられるだけこの子には良かったかもしれない。
「空を見てたの」
「空が好きなの?」
「ううん。全然好きじゃないよ」
「好きじゃないのに見てたの?」
「空を見てたらね、空じゃない何かが見えてくるの」
……これちょっと、大丈夫? 私が願いを叶えるよりも、カウンセリングに連れて行った方がいいんじゃないの?
「お姉ちゃんにも見えない?」
「うん。見えない。だから教えてよ、なにが見えてるのか」
私はカウンセラーじゃない。正解なんか知るわけもない。だから精一杯、気持ちを理解してあげよう。そう思って言葉を捻り出したけど、自惚れなのかもね。
「あそこにね、車が走ってるの」
灯ちゃんが指した場所。決して青空とはいえない、薄曇りの空。この寒さだと、雨は雪になって降ってくるかもしれない。
昼間なのに日差しが見えない空には、車は走っていなかった。
「見えないよね。みんなそうだから」
まぁ、見ようと思ったら見れるけど。でも私が見る必要ないし。私がするのは、この子の願いを叶えることだけだから。
「車が好きなの?」
「ううん。全然好きじゃないよ」
「好きじゃないのに見てたの?」
「もう一回乗ってみたいなって思って、でも乗れないの」
……対応、全然わからないんだけど。これはどういうことなの? 妄言? でも、小学生くらいで言えるの?
アイくんに助けを求めようとした。でもアイくんはいなかった。なんで時々いなくなるの? たぶんいたからってなにが変わるってわけでもないけどさ。
「乗ったことがあるの?」
「うん。ずっと前に。すごく楽しかったんだよ」
「乗りたい?」
これで話が違ったら仕方ない。言い方は悪くなるけど、これからの糧にさせてもらおう。願いが叶いますように。それだけで叶えられるのか。
「うん。乗りたい」
でもまたそれは別の機会に。それさえ聞き出せれば、あとはこっちのものだから。
「私ね、魔法が使えるんだよ」
「そうなの?」
「そうなんだよ。ほら、見てて」
炎が出ますように。そう願って取り出した私のステッキからは、火力を抑えた控えめの炎が噴き出していた。
「ほらね」
「……すごいね」
「だから、乗せてあげようか」
「……ほんとに!?」
今私が出したのはただの明かりだけど、今からするのは、この子に笑顔を灯すこと。……って、なんか、聞いたことあるね。
……思い出しちゃったんだけど。せっかく忘れてたのに。あとなんか、後ろで気配がする。見なくてもわかる。アイくんしかいないから。
「本当だよ」
「うわぁ! ありがとう、お姉ちゃん!」
あとはもうルーチンワークみたいなもの。だから全然違うことを考えだしてしまう。変なタイミングで思い出しちゃった。
この子が車に乗れますように。それだけは忘れずに願うけど、私の頭は石田くんとアイくんで埋め尽くされ始めていた。
考えてみれば、私と石田くんが考えてること同じなんだよね。でも、断っちゃった。なんか、好きとかそういうの、考えたことなかったから。
そもそも人と接し始めたのがここ二か月くらいなのに、というか石田くん二か月で告白してきたの? 早くない?
「これでやっと……」
あとはなんでアイくんが出てきたんだろう。……どれだけ考えても、やっぱりないよね。アイくんでしょ? ないよ……。
ただ、ずっと一緒にいたから。……私最初、ずっと文句言ってなかったっけ? なんで同じ部屋なの? とか。
今は全然思わないんだけど。別に一緒にいたからって、なんの問題も不満もないんだけど。逆になにが不満なの? って感じ。
これってもしかして、好きって気持ちなのかな。抱いたことがないからわかんないんだけど。
私はアイくんが好きだから、石田くんの告白を断った。こう考えたら理に適う。……いやいやいやいや! 嘘でしょ!? アイくんだよ!?
「やっと会えるね、お母さん」
混乱した中で、灯ちゃんは笑ってくれていた。よかった。顔の形がよろしくない人でも愛嬌があるってごまかされるように、笑顔はやっぱりいいものだと思う。
でもやっぱりアイくん……って考えた時、灯ちゃんの顔が視界から消えて、ドサッという音がした。
「……え?」
反射的に足元を見下ろす。さっきまで笑顔を浮かべていた灯ちゃんは、うつ伏せになって倒れていた。
「……灯ちゃん?」
呼びかけてみる。反応はない。いつもならすぐに私の存在を認知させなくするけど、今は倒れた灯ちゃんに手を伸ばしていた。
体を揺すってみる。反応はない。……強く揺すってみる。……反応はない。……手首を持って、持ち上げて……。
「……なん、で?」
思わず離してしまった手は、なんの抵抗もなく床に落ちてしまう。力なんか入るわけがない。だって、脈がなかったんだから。
「なんで!?」
もう一回、確認してみた。今度はちゃんと、手首に指を三本当てて。でも、どれだけ時間が経っても、灯ちゃんの手からは脈が読み取れなかった。
だからとっさに願っていた。脈が戻りますように。後遺症とかあったとしても、生きている証が私はほしかった。
「……なんで!!」
でも脈は戻らなかった。なんで!? 私ちゃんと願ってたのに!
「アイくん!」
何回願っても戻らない。だから後ろに出てきたアイくんに声をかける。アイくんは後味を確かめるかのように、口を動かしていた。
「なんです」
「なんで!?」
「死んだら生き返らないです」
昂ぶった心が、ドクンと波打ったような気がした。死んだ? なら死ななかったことにすればいいだけの話。
名前なんか覚えてないけど、アイくんの学校でやったことがあった。だからできないわけはない。
灯ちゃんが死ぬ前に戻りますように。……でも、目の前で倒れている灯ちゃんが起き上がることはない。
「なんっ……戻ってよ! 願ってるのに! ちゃんと願ってるのに!!」
「うるさいです……言ってなかったです? 願いは一度だけです」
一旦鎮まった心はまた昂ぶりかけたけど、それも鎮まってしまった。たぶん、冷水をぶっかけられた時って、こんな感じなんだと思う。
「……聞いてないよ」
「そうです? なら今言うです」
「……その一回って、どういう意味?」
「お嬢さん、時間戻したこと覚えてないです?」
「覚えてる」
「それです。終わりです」
足が震える。視界が歪む。アイくんが言っているのはただ一つ。灯ちゃんは生き返らない。ただそれだけ。
なら考えてしまうのは、なんで灯ちゃんが死んでしまったのか。最後に言っていたのは、やっと会えるねお母さん、だったような気がする。
……ずっと前に乗ったことがある見えない車。そして、会いたくても会えない境遇のお母さん。
「ねぇ、アイくん」
びっくりするくらい冷たい声だった。すがるような気持ちで声をかけたつもりだったのに。
「なんです」
「今私が叶えた願いって、なんだったの?」
だから突き放すようにしか聞こえなかった。アイくんの声はいつもと同じなはずなのに。ずっと一緒にいて、それが心地よくなっていたはずの声なのに。
「この女の子を殺したです」
今はただ、なにもかもが怖かった。




