6-3. 私がいるよ
挨拶を交わして以降、やはり会話はない。できないの間違いかもしれない。どうすればいいのだろう。それすらもわからない。
「あの子もいじめられてるね。そうは見えないけど」
結局私は、甘えてばかりだった。昔からそうだ。甘え続けていた。今も変わらない。たった今、私は再び、甘えようとしている。
「自殺を考えている子は、見たことがあるかな」
「ないね。たいてい、見えなくなってからしか見れないから」
仲睦まじく遊んでいるような中に、時の流れがゆっくり進んでいる子がいるグループ。それを見つめながら、私と彼女は言葉を交わす。
「あの子はどうなのだろうね」
「死なないよ」
私の突飛な質問にも、彼女は訝しむことなく答えてくれた。私の三分の一ほどの子に。我ながら情けない。わかってはいても、外れたたがは元には戻らない。
「五分五分らしいんだ」
どうしたの? って、聞いてほしかった。でも、たぶん彼女は言わないだろうと思えた。
「なにが?」
「胃がね。ダメなんだ」
動揺することもなく言葉を続ける彼女。たぶん彼女は、すべてを見通しているのだろう。根拠はない。現実的でもない。しかし、彼女はきっと、私の病状をすべて知っている。
「手術はしないんですか?」
「どうすればいいのかな」
だから私は甘えてしまう。逃げることは得意だった。嫌なことからはすべて目を背けてきた。友達も家族もすべて失った。私には何も残されていない。
「死ねば許されるのかなと、ずっと考えていたんだ」
別に生きたかったわけじゃなかった。気付いたら、私が一人で残ってしまっていた。私が望んでいたのは、ただ一緒にいるということだけだったのに。
死ぬことは怖くなかった。生きていることに意味を見出せなかったから。たった一言かけてくれたその声で、私は今まで生き続けている。
しかし、死ねなかった。自ら命を絶つことは恐ろしかった。その時点で既に矛盾してしまっているかもしれない。
「なら死ねばいいんじゃないですか」
「死にたく、ないんだよ」
でも、私は死にたくなかった。ようやく与えられた機会。自らが下さずともに死ねる方法。その一つである、病に冒されること。
念願は叶った。しかし、死にたくなかった。この世に何の未練もない。なのに、死にたくなかった。
「手術したら長持ちするの?」
「どうかな。一応手術を勧められたから、放っておくよりはマシなんじゃないかな」
「ならやったらいい」
「理由がないんだ」
「私がいるじゃないですか」
このままだとどこまで甘えてしまうんだろう。歯止めはまったく効きそうにない。そもそも、外れたたがを塞ぐものを、私は持っていない。
生きている理由がない。彼女の言葉すら遮って吐き出した甘え。しかしそれすらも、彼女は受け止めてくれた。
「寂しいじゃないですか。一人で座って本読むなんて」
「……君は、お前なのか?」
聞き覚えがあった言葉。絶対に忘れない言葉。何の変哲もない言葉だが、私をここまで縛り付けていた言葉。
「当たらずとも遠からず、とだけ言っておきます」
一言一句違いなく言うことは、それほど難しいことじゃない。別に決め台詞でも、名台詞でもないわけだから。
それでも、私は彼女に問いかけてしまった。会って間もないにも関わらず、互いの名を知らないにも関わらず、私は彼女に心を許してしまっていた。依存してしまっていた。
だから私はそれ以外考えられなかった。彼女の答えは当り障りのない言葉だったが、私はもう確信していた。
「寂しいと言ってくれたね」
「うん」
「私が戻ってきたら、君はまだここにいてくれるのかい?」
答えはたぶん、ノー。きっと彼女と会えるのは今日が最後。彼女はもう、この世界の住人ではないのだから。
「まぁ気が向いたら」
「ふふ……君は優しいね」
ありがとう。そう言って、私は彼女と別れた。最後まで名前は知らなかった。いつもは見送る側だったが、今日は見送らなかった。遠ざかっていく彼女に対する未練はもうない。
私は手術を受ける。この世に何の未練もなかった。しかし、私は手術を受ける。未練がなかったのは、先程までの話だから。
名前を聞かなかったことは、ただの我侭にすぎない。この可愛らしい冬の妖精に名前を聞くことが、私を留めさせる未練なのだから。
「美味しいです……」
いつも通りの至福を堪能しているアイくんを素通りして、私は先に進む。胸の奥がざわざわして、気持ち悪いのかどうかすらわからない。
「でもやっぱりおかしいです」
「そうなんだ」
「死んでほしくなかったです?」
「知らない」
「わけがわからないです……」
ただ私は隣に座っていただけ。それを勝手にあの人が、勘違いしてしまっただけ。ほとんどなにもしなかったのに、勝手に救われてしまっていた。
それを私は、止めようとも思わなかった。邪魔しようとも思わなかった。そういう立場をとった自分に、なんだかすごく違和感を感じた。
「手術失敗するです?」
「しないよ」
私がしたことは、彼の手術が成功するように願っただけ。それ以上もそれ以下もなく、ただそれだけ。
「なら会いに行くです?」
「……そうだね。行こっか」
「無駄でございますー!!」
半年後くらいに、十分だけ会って消えるってのも面白いのかもしれない。でも、結局行かないんだろうな。
少しかわいそうかもしれないけど。アイくんがいるだけ、私はマシなのかな。そう思っていると、変な声が混じってきた。
声の方を見てみると、白いロングコートにシルクハットを被った、中年の男性が立っていた。……なんだろう。同じだよね、アイくんと。
「知り合い?」
「お嬢さんじゃないです?」
「知ってるわけないじゃん……。アイくんでしょ、同じかっこしてたし」
「アイくん? 誰でございましょう?」
「……」
なんで!? って荒げる元気も今はなかった。だから無言でアイくんを指差した。これで見えなかったりしたらどうしよう。
でもまぁ、それはそれで適当に相手したらいいか。
「アイくん? こいつがでございますか?」
「違うの?」
「違いますーー!! ―――でございますーーー!!」
「……あぁ、そうなんだ」
口が動いていたのは見えた。というかこの、ダンディというか、そんな見た目なのに、このしゃべり方なんとかならないの? 笑いそうなんだけど。
せめて語尾上げないでもらえないかな。それだけで違うと思うんだけど。
「無駄なのでございますーーー!! 今からお見せいたしますーーー!」
……鬱陶しい。持っていたトランクを広げて、私たちに見せてくる。あまり大きくないトランクの中身は、映像が詰まっていた。
見せられた映像は、とある病室。苦悶の表情を浮かべ横たわる男性。もがき苦しむように動いていた体は、いつの間にか動かなくなり、表情も穏やかになっていった。
「……ちょっと待って」
「待ちませんーー! 死んじゃいましたーー!!」
「待ってよ!!」
なんで!? 願ったのに! 手術が成功しますように、って! なんで死んでるの!? というか死んでるなら、アイくんが不味いって……。
「不味くないの!?」
「不味いも何も、夢が見れないです」
「……知ってたの?」
「知らないです」
……まぁ確かに、知ってたら会いに行こうとか言わないか。でも、やっぱり納得できない。だって願ったのに。死ぬことなんか、願ってないのに……。
「手術は成功しておりますー!」
「ならなんで!」
「術後の合併症のようなものでございますーーー!!」
……ホッと、したわけじゃない。もしかしたらって思うことがあったから、ムキになってたのかも。でもやっぱり、胸くそ悪いのに変わりはない。
だってさっきまで、一緒に楽しく喋ってた人なのに。それを受け入れられるほど、達観しているわけじゃない。
「というか誰です」
「んーふふーー、それはでありますとー」
……それ日本語なの? 混乱している中でも、あまりにも感じた違和感。それを再確認しようとしたら、その主は消えていた。
まさか。そう思ったところまでしか覚えていないけど、たぶんその時、私の頭はすごく回ってたんだと思う。
我に返った時映っていた光景は、アイくんの真横で左手を私に伸ばす正体不明のなにか。それと相対しているのは、ステッキをそれに向けて伸ばしていた私。
「……効かないじゃん」
「効かないのでありますーー!! 危ないところでしたーー! まさかこんな効力を得られるとは考えられませんーーー!」
「なにが?」
「願いを無効化する装置でございますーーー!!」
……どんな仕組みなんだろう。聞いてみたかったけど、今は違うことを聞いておく。
「誰なの?」
「お嬢さまの世界で言う警察でございますー!」
「なんで来たの?」
「―――を捕まえるためでございますーー!」
口は開いても聞こえないってことは、きっとその間に入るのはアイくんの名前。捕まえるって……。アイくんもしかして、犯罪者かなにかなの?
「悪いことしてたの?」
「する前に捉えておかないと大変なことになってしまいますー! お嬢さまはご自分でご使用されて、理解できなかったのでしょうかー!?」
「……なにを?」
「願いを叶える力の恐ろしさでございますーーー!!」
……なにを言っているのか、よくわからない。でも、アイくんが悪いことをしていないことだけはわかった。
ちらりと目をそらして、アイくんの顔を見てみる。……ボーっと、突っ立っていた。……周りから見た私も、あんな感じなのかな。
「例えば?」
「まだ起こっておりませんのでわからないのありますー! ただ一つ言えるのは、確実に生死に関わる問題を起こしますーー!」
深く聞いてみたけど、やっぱりわからなかった。夢を叶えることが、どうして生死に関わるの? ぜんぜん理解できないんだけど。
「もういいや」
「ありがとうございますーー!!」
「二度と来ないでね」
「了解でありますーーー!!!」
だってこんなに便利な力なんだから。これでもう二度と姿を見ることはない。たった今そう願ったから。
最初に放った攻撃も受け止められたわけじゃない。ちゃんと叶ってた。だから私の質問に全部答えてくれた。効かないじゃんって言葉をキーワードにするのは、無駄な発想かもしれないけど。
よくそこまで頭が回ったなと思うよね。アイくんが攻撃される。そう思った瞬間、瞬間……なんで?
「なんだったです」
「……」
「お嬢さん?」
なんで私はアイくんが攻撃されるからって、守ってあげたの? 庇ってあげたの? こんなやつ、弟でもなんでもないのに。
……亡くなったおじいさんがかわいそうで、アイくんがいる分、なんで私がマシになるの? こんなやつ、弟でも必要でもなんでもなかったはずなのに。
「えっ?」
「どうしたです」
「……やってみて、いいのかもしれない」
わけがわからない。でも、心のもやもやは消えていくような気がしていた。だってあれは、私が感じたことのない感覚だったからにすぎない。
「何をです」
「……秘密」
もう一回、やってみよう。それで気持ちを確かめよう。とりあえず、今日は最後に一つだけ。
私じゃ代わりにはなれないから、向こうの世界で、どうか失った方々に会えますように。それだけを願って、家に帰ることにした。




