1. 必然の一石二鳥
「……」
「……」
「なぁ、上沢」
せっかくの放課後なのに、私は今、職員室に呼び出されていた。堅苦しい世界から抜け出して、私の世界に浸れる時間。
それなのに、私は今、あまり顔を合わせたくない中年と向かい合っている。なんでかな、とは思わない。だって、自業自得なんだから。
「はい」
「これは、芸人って答えでいいのか?」
担任の中年は、一枚の紙を私に向け、突き出してきた。将来の夢、と書かれた紙。
「私が芸人なら、先生は放送作家ですか?」
「前言撤回、向いてなさそうだ」
上沢美沙と書かれた下にある文章は、丑三つ時に見るもの、という短文。まぁ、わりと考えて書いたけど。
「俺もな、おかしいとは思ってんだよ。進路希望ならまだしも、将来の夢ってな」
「大学に行きます」
「待て待て、話を終わらせにかかるんじゃない」
私の書いた答えは問題だったかもしれないけど、もっと問題なのは、その作文の内容。高二の私たちに、どんな答えを求めてこの作文を書かせたのか。
「まだ何か?」
「まぁだから、あれだ。私には夢がない、だからそれを見つけるために、大学へ行きます。とでも書き直しとけ。実際、そう書いてるやつは結構いるぞ」
先生は、要するに書き直しの要求で私を呼んだらしい。
それは仕方がないこと。実際、そのまま提出されるとは思ってなかったし。
「はい」
「ならよし。変なのに絡まれるんじゃないぞー」
「はぁ」
絡まれるわけありませんよ。その言葉は飲み込んで、私は先生の手から、新しい用紙を奪い取った。
喧噪とした中を歩きながら、駐輪場へと向かう。グラウンドからは、何を喋っているかわからない独特の言葉が、野球部なりサッカー部なりから聞こえてくる。
テニスコートからはボールを打つ音、体育館からは、ボールが跳ねる音、バッシュが鳴り響く音がそれぞれ聞こえてくる。
多分、私の同級生が、そこには何人かいる。名前も知らない人たちだけど、その人たちは、さっきの紙に何と書いたんだろう。
プロになりたい、と書いたんだろうか。でも、それはきっと書かない。だって、叶わない願いだって、みんなわかっているはずだから。
子供の時からやっていたから。好きだから。きっとそんな理由で続けているだけのこと。でもそれは、楽しいことなんだろうか。
小学校は家庭科部。何をやっていたかは、全然覚えてない。強制的に入部させられるから、入っていただけ。
中学校は帰宅部。ただ、家と学校を往復していただけ。
高校に入って、気が変わった。入ってみたら、楽しくなるんじゃないかと思ったから。話したこともない人ばかりだったけど、みんな共通の話題で盛り上がっていたから。
だから入ってみた。三日で行かなくなった。楽しくなかったから。入ったのは、写真部。全然、興味なんかなかった。
だからカメラも買わなかった。初心者だから、先輩の撮った写真を見せてもらって、色々と話をしただけだから。それは、何も楽しくなかった。こんなことをしていても、何かが得られるとは思えなかった。だから行くのをやめた。
退部届けは出してないから、幽霊部員扱いなのかもしれない。別に、どうだっていい話だけど。
「遅かったな」
要するに、夢なんかただの現実逃避だってだけの話。次はどんな夢を書こうかな。適当に、営業職って書こうかな。どの顔で、って考えたら、笑っちゃうけど。
「おーい。聞こえてますー? 愛しのお兄ちゃんでーすよー」
家に帰って、自分の部屋に行く。学校から帰るまで、寄り道は一切しない。寄るところもないし。階段を上り、その正面の部屋に入る。朝起きたままの光景が、そこには広がっていた。
ご飯まで昼寝でもしよう。そう思って、ベッドに飛び込もうとしたら、目の前を黒い何かがよぎった。蚊かなと思ったけど、この十一月に?
でも、目障りだったから、叩いて潰した。外すことなく、一発で叩き潰せた。
「困りましたね、お嬢さん」
バチッと、火花が散った。そんな気がした。実際、私の手は、何故かすごく痛かった。
「……えっ!?」
そして何より、私だけしかいないはずの、私の部屋。それなのに、聞いたこともないような、男の声が聞こえた。
「お嬢さんのその手の……何を身構えているのです?」
慌てて振り返ると、そこにいたのは、ロングコートにシルクハットを被った、大人の男性。また慌てて、距離を取った。
「……何? 何が目的なの?」
「ふむ……。どうやらこの出で立ちが問題あるようです」
私の警戒をどう感じ取ったのか、小首を傾げる姿は、大柄なその格好には似合わないものだった。
すると次の瞬間、男の姿は黒い霧に包まれ、その体を霧と同化させてしまった。
「これでどうです?」
どんな状況かは考えることができても、理解はまったくできない。ただただ困惑していると、背後から声が聞こえた。
「……どうです、とか言われても」
目の前の霧はいつの間にか消え去り、背後には、小学生か、中学生か。白いシャツに黒いズボンの、学生服のような姿をした少年が立っていた。
「僕知ってるですよ。人間は十八からだってことです」
「……」
きっと、何かを勘違いしている。でも、間違ってはいない言葉。それに私は、どう返せば正解なのか、わからなかった。
「壊されたあげくに勘違いもされるとは、面倒にもほどがあります」
「……壊された?」
「語弊があったです。壊れかけてたのを、とどめを刺されました。お嬢さんは何も悪くありません」
何を言っているのか、全然わからない。でも、一つだけわかる。
この手の痛みが、この人が話していることだってことが。
「なんかごめん」
「ごめん? 今ごめんと言ったですか?」
悪くないと言われても、皮肉のようなことを言われたら、ついつい謝ってしまった。そこを、なんか噛みつかれた。
「えっ?」
「なら許してあげるので、見せてください。お嬢さん」
「……何を」
言い終わらないうちに、目の前が白く染まった。まばたきなんかしていない。文字通り、目の前には真っ白な世界が広がっていた。
「なんです、これ」
「いや、私に聞かないでよ」
「お嬢さんほんとに人間です? 皮剥いだら、別の何か出てきます?」
「出てきません」
どうしてこの人は、私が聞きたいことを先に聞いてくるんだろう。
「眉唾です。でも、あれはなんです?」
そもそも、これは人なんだろうか。少なくとも、私はあんまり、認めたくない。
それが指さした場所。そこにあったのは、遙か昔に見た覚えがあるものだった。
「アニメの服」
私が小さかった頃やっていたアニメの、主人公の女の子が着ていた服。
フリルが付いただけの、ただの水色のワンピースなんだけど。なんであんなところにあるんだろう。
「私も昔は好きだったけど」
「なりたいです?」
「……何に?」
「魔法少女というやつらしいです。お嬢さんは、それになりたいです?」
まったく要領を得ない。私が、魔法少女に? もう、そんな年齢じゃない。それ以前に、なれるわけなんかない。
「別に」
「わかりました。特別です」
だからなりたくない。そう答えた、つもりだった。でも、私の意志に反して、私の体は光輝く。
そして高校の制服は消え去り、代わりに着ていたのは、魔法少女のワンピース。丈は調整してあった。少し短い気もするけど。
「お嬢さんのなりたかった姿です」
「……いや、なりたくなかったよ!?」
「ではいただくです」
突然の出来事に、何が正解だったのかわからないけど。私の前に広がる世界は、私の部屋に戻っていた。
「美味しくないです……」
広がる違和感は、目の前の男だけ。それは、どうやったら消えるんだろう。
「ねぇ」
「良いことを思いついたです。お嬢さん、協力してください」
「事と次第によるね」
「僕と一緒に、夢を叶えに行かないです?」
問いつめようとした矢先に、変な言葉が聞こえてきた。これは、偶然なんだろうか。それとも、必然だったんだろうか。
「何、夢を叶えに行くって」
「ちょうどいいです。お嬢さんは夢を叶える魔法少女。一石二鳥です」
「二鳥がなんなのかわかんないんだけど……」
「好意的な返答をありがとうです。ではこれからもよろしくです」
「一切してないよ!?」
話は通じなかった。でも、強く当たる気にもなれなかった。
「ねぇ」
「なんです」
私が間違ってないのなら、これは絶好の機会だから。
「さっきのって、私の夢?」
「そうです。全然美味しくなかったです。めっちゃ不味かったです」
「どうやって叶えるの?」
「お嬢さん、魔法少女なら、らしくするべきです」
将来の夢、という理不尽な作文。それは今なら、書けそうな気がしていた。
「わかった」
「ならさっそく」
「ご飯だぞー」
「ご飯にするです」
……気のせいな気も、していたけど。




