転校生、転校
終業式が終わった後の彼の見送りには、ぼく以外、誰も来なかった。
「まぁみんなが思うとおり、誰かと仲良くなったってすぐお別れだからさぁ。おれは自分からはあまり話しかけないようにしてんだ。学校の連中には」
いつもの公園のベンチ。青い空は雲一つなくって、太陽は真上に登っていた。公園の入り口には白い軽トラが一台止っていて、その傍らでは彼の父親が煙草を吸っていた。
「……じゃあ、ぼくは?」
「おまえはさぁ……なんか絵ェ描いてたし……。なんかどうしても気になっちゃったからさぁ」
「おれ、絵とか景色とか、好きだし」。そう言って、頭を掻き、空を見た。
つられて、ぼくも空を仰ぐ。視界が、青一色に染まる。
「……また、会えるかなぁ」
沈黙に耐えきれなかったのもあったが、これだけは聞いておきたかった。
嘘でもいいから、彼の口から「いつかまた会おう」と、言って欲しかった。
初めてできた、ほんとうの友達との別れが、さみしくてたまらなかったのだ。
でも、彼の答えは予想だにしなかったものだった。
「いや、もう一生会えないだろうな」
キザな風に両手を半ズボンのポケットに入れたまま、空を見上げながら言った。
「言ったろ。おれは世界中を旅するんだ。世界は広いんだ。地球って、でかいんだ。だから、一生かけて、見るんだ。だから、一回見たとこに戻ってくる余裕は、ないんだ」
彼があの崖っぷちで、景色をじっと見つめていた場面が、思い返される。
二度と戻って来ないから、目に焼き付けていたのだ。
「人間の一生なんて、あっという間なんだぜぇ〜」と、ふざけた調子で彼が言う。
『だって、人はいつか、必ず死ぬから』。彼が言った言葉だ。
ぼくは、公園の出口を見やった。彼の父親が、一人で煙草を吸っている。
彼が以前、転校を繰り返す理由について話をした時。『じいちゃんの実家にはばあちゃんが住んでるから、そこに残ることだってできた』と、言った。
そこには、母という言葉は存在しなかった。彼の口から『母』という言葉が出たのは、『母ちゃんが昔言ってたんだ。「何事も、気の持ちようなのよ」、って』と話した時の、一度っきりで、それ以降彼の話に母の存在が出てくることはなかった。
もしかしたら、両親が幼い頃に離婚をしたのかもしれない。その可能性だって、あった。でも、ぼくは子どもながらに、確信めいたものを感じていた。
夕方になるといつも彼の横顔に翳った、物悲しさ。そして、『だって、人はいつか、必ず死ぬから』という言葉。それらから導き出されることは、一つだった。
聞くことは結局なかったけど、ぼくは知っていた。
そしてそれが、彼の持つ“つよさ”の由縁なのだろうと、思った。
「でもまぁ、さみしがったりなんかすんなよ。死ぬわけじゃあなし」
彼の口から出た「死」というワードに、ドキリとした。
「おれがどこに行ったって、“同じ空の下”ってやつさ」
彼はニヤリと笑い、空を指差した。
――別れの時が、近づいていた。
「これ……」
ぼくは持っていた、丸めた紙を一枚、渡した。
彼はそれを受け取ると、黙って広げた。
そして、
「うわぁ……」
そう言って、うれしそうにほほえんだ。
それは、ぼくの描いた『街の絵』だった。ぼくが好きで、リョウヘイも好きだと言ってくれた、どれだけ見てたって飽きない、美しい風景。
ぼくと一緒に、忘れて欲しくなくって。必死に、懸命に、思いを込めて描いた絵だ。
一緒に過ごした秋を表す、鮮やかな紅葉。少しの間だけど、一緒に過ごした学校。街に、海。そして、空には――
「“つばさ雲”」
リョウヘイは絵の中のそれを指差して、言った。
「“つばさ雲”」
ぼくも、頷いて、言う。
秘密を共有した相手に見せるような、イタズラっぽい笑みを交わした。
「ぼくね、“絵描き”になりたい」
思いきって、言った。
彼は驚きもせず、黙って聞いた。
「一生、絵を描いて生きていきたい。それでリョウヘイみたいに絵が好きな人に見てもらって、うれしい気持ちになってもらいたい。今はまだ、下手だけど……」
心臓が、ドキドキした。
「ムリかな……」
すると彼は、今度はぼくの言って欲しかったことを、言ってくれた。
「そんなことない‼︎」
しっかりぼくの目を見て、言った。
「今のままずっと描いて、がんばって描いて描いて、ずっと描いてれば、うまくなるし、ゼッタイなれる」
ぼくは、こらえた。
「おれも、ゼッタイやりたいことをやるんだ。だから、マコトもやれ」
声を出したらもうどうしようもなくなってしまう気がして、うん、うんと、頷いた。
「続けるんだ。ゼッタイやめちゃいけないんだ。やめたら、『夢なんか叶わない』なんて言う、つまらないヤツになっちゃうんだからな。一度やるって決めたら、きっとやり抜くんだ」
うん、うん。小さく、頷いた。
零れて、しまいそうだったから。
「……そしたら、おれたちいつかまた、会えるかもしんない」
イヒヒ、と笑う彼の目が、キラリと光った。
彼は車に向かって歩き、ぼくもそれを追った。
必死に、こらえていた。この時は、恥ずかしいと思っていたのだ。
「じゃあな」。「うん」。最後に交わした挨拶は、そんなカンタンなものだった。
あっという間に、彼を乗せた白い車は、山を下っていった。
そして、すぐに視界から消え失せた。
――その後のことは、言うまでもない。