雲
相変わらず彼とは学校ではあまり話さなかったけれど、放課後は公園で、ほぼ毎日一緒に過ごした。
彼は話が上手で、今まで見てきた街の話なんかはおもしろくって、話に集中してしまって手が止まり、絵はなかなか進展しなかった。
各地の方言の話に感心し、必ず街に一人はいる変人の話で笑った。ずっと話を聞いていたい、とすら思った。だんだん早くなる日没時間を、疎ましく思ったほどだ。数ヶ月前までのぼくなら考えられないことで、家族の食卓で彼の話をすると母は喜んだ。やっと息子に仲のいい友達ができた、と思っていたのだろう。
他人と話をすることが、こんなに楽しいことだったとは思わなかった。ぼくは、彼を初めての友達だと思った。彼もぼくのことを友達だと思ってくれていたなら、いいな、と思った。
「なぁなぁ。あの“つばさ雲”、絵に描いてくれよ」
彼が言った。
十月の半ば。いよいよ長かった下書きが終わり、色塗りに移ろうかという頃のことだった。
「つばさ雲?」
見ると、高く澄んだ青い空に、雲が浮かんでいる。
「あぁ、“うろこ雲”のこと?」
正式名称は“巻積雲”。よく秋の空に見られる雲で、小さな雲の欠片が群れを成し、魚の“うろこ”に似ていることからそう呼ばれている。
ぼくはそれを、いつだったか読んだ「雲辞典」なる本を読んで、知っていたのだ。
「へぇ、あれ、“うろこ雲”っていうのか」
彼は感心したようにそう言うと、すぐにまたあの抹茶を飲んだみたいな苦い顔をして、
「……なんか“うろこ”って、気持ち悪くねェ?」
と言った。
ぼくは笑って、
「あの雲、“つばさ雲”とも言うの?」
と聞いた。
彼はううん、と首を振ると、
「おれが考えた」
至極真面目な顔で、そう言った。
「だって、“つばさ”にも見えるだろう? ホラ、鳥のつばさの、羽根の一枚一枚にさぁ」
見ると、確かにそう見えなくもない。
“うろこ”と言われている物が羽根で、全体として“つばさ”に見える、と言っているのだ。
「……でも、“うろこ雲”だよ……?」
ぼくが恐る恐る言うと、彼は力強く言った。
「いいんだよ! おれが“つばさ雲”だと思うんだから、“つばさ雲”で!」
めちゃくちゃなことを言い出した。と、ぼくは思った。
「だって、“うろこ雲”だって元々は誰かが勝手に考えて、みんながマネしたことによって、“うろこ雲”って名前になったんだろ?」
ぼくに訴えかけるように、身振り手振りを加えながら言った。
「おれはあれの名前は、“つばさ雲”の方がいいと思うんだよ! だから、“つばさ雲”なんだよ! おれの中では!」
おまえはどっちがいいと思う? “うろこ雲”と、“つばさ雲”。
……そんなことを言われたって、ぼくは困ってしまう。
でも、なんだかぼくは彼が必死なのがおもしろくって、笑ってしまった。
「“つばさ雲”のがいいよ。うん」
「だろぉ⁉︎」
「おまえもあれを、“つばさ雲”って呼んでいいぞ。おれが認める」。彼が芝居がかったような偉そうな調子で、胸を反らせながら言ったので、ぼくはまた笑った。
ぼくは絵の中の空に、“つばさ雲”を浮かべることを決めた。そして夏の風景でなく、秋の風景を描くことにした。
秋の雲――“つばさ雲”を浮かべるからでもあるが、彼と過ごした季節を描きたい、と思ったからだ。
紅葉に彩られた山と、街。青い、海と空。そして、”つばさ雲”。
そしてその絵を――また近い将来転校してしまう彼に、餞別としてあげようと、その夜。決めた。