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ぼくについて

 二○○四年。当時ぼくは、十才だった。



 その頃のぼくは一言で言えば、『冷めた子ども』だった。勉強は平均点、体を動かすことは不得意ではないけれど、好きではない。……何をするにしても適度に手を抜き、ただぼんやりと毎日を過ごしていた。


 たぶん、やろうと思えば――がんばろうと思えばなんだって、出来たハズなのだ。別に身体のどこが悪いというわけでもなく、病気だって風邪と虫歯以外、なんもかかることのなかった健康体だった。痩せていたわけでも太っていたわけでもなく、背が特別、高くも低くもなかった。


 しかし、とにかく『努力』だとか『一生懸命』だとか、そんな言葉達とは無縁の人生を歩んでいた。急ぐことも焦ることもなく、ただゆっくりと……。


 「得意なことは?」と聞かれると、困った。「将来の夢は?」なんて聞かれたら、もっと困った。『冷めた子ども』だったぼくは何かに挑戦することもなく、あらゆることを諦めていた。生意気なクソガキだったぼくは、何もかもわかったつもりでいたのだ。



(たとえば野球をがんばってやって、何になるっていうんだ……? プロ野球選手? なれっこないよ、そんなの……ただ疲れるだけさ。勉強? 怒られない程度に、平均点をとっておけばいいんだ。最低限でいい。だって、ぼくはどうせ……)



 漁師になるんだから。父さんの跡を継いで。



 「将来は父ちゃんみてぇな、立派な漁師になるんだろうな」。親戚の集まりがあると、必ずと言っていいほどそう言われた。どんな繋がりがあるのかもわからない、(酔った)おじさんにだ。返答に困るぼくの代わりに、父は真面目な顔で「将来を決めるのはこの子自身だ」といつも答えていたが、ぼくは子どもながらに(あぁ、ぼくは将来、漁師になるんだ)と納得していた。


 別に、嫌ではなかった。海も父も嫌いではなかったし、むしろ好きだった。でも、特別なりたいかと問われれば、そうではなかった。それでも、ぼくはそのおかげで将来に不安を持つようなことはなくなった。――期待を持つようなことも、なくなってしまったのだけれど。



 ぼくが当時好きだったことといえば、寝ること。そして、海や山、街といった景色を眺めることだった。クラスメートと一緒にいることは、好きではなかった。人間関係なんてメンドクサイ。だなんて……。それこそメンドクサイ奴だった。とにかく、一人でいることが好きだった。



 学校の裏手に山があって、その頂上には浄鐘寺じょうしょうじという寺があった。そして、その寺の駐車場近くに、公園があった。公園と言っても、何の遊具も無いただの広場だ。その公園の端、崖っぷちに二人がけのベンチがあって、街と海が見渡せるようになっていた。ぼくは、特にそこが好きだった。


 (なんでいつもここには誰もいないんだろう……。こんなにいい景色なのに!)。そう思っていた。どうせ、わからないのだろう。学校の連中には、この景色の美しさが。……今思い返すと、我ながら本当に恥ずかしい奴だ。誰かにこの達観小僧を叱ってやってほしいところだけど、まぁそんな考えを誰かに言う機会もなかったから、恥ずかしい思いをすることもなかった。


 そこから見える景色は、美しかった。一年中通して、そこに一人で行っていた。春には桜が、夏には入道雲が、秋には紅葉が。冬は流石に寒くって長居はできなかったけれど、それでも退屈な時はそこに行った。


 そこで何をして過ごすのかというと、まぁまずは景色を楽しんで、駄菓子を食べたりなんかする。そしてしばらくすると、本を読む。小説なんかも読んだが、ぼくは図鑑を眺めるのが好きだった。小説を読むより、疲れないからだ。



 小学校高学年になると、ぼくはそこで絵を描き始めた。図工の時間に写生をやって、絵を先生に褒められたからだ。ひねくれたぼくではあったが、褒められたりなんかするとまんざらでもなくって、ぼくはスケッチブックと鉛筆を持って山を登り、いつも眺めている景色を絵に描いた。


 なだらかな山の斜面が街を抱くようにして広がっていて、その向こうには小学校の校舎、校庭がある。住宅街の中に図書館、病院、役場といった中規模の建物があって、ぼくの家も見える。高い建物は、殆ど無い。その奥の港には、父の漁船が見える。海は凪に近く、穏やかに陽光を跳ね返していた。集中して絵を描いていると、あっという間に陽が暮れた。絵を描き始めると、時間があっという間に過ぎるのだと気付いた。



 こりゃいいや。と、思った。



 絵を描き始めたのが、四年生の十一月(……頃だったと思う。木々が紅葉していたから)。鉛筆描きの絵を描き終えたのが、次の年の一月だった。時間がかかったのは、寒くて長時間居られなかったのと、本当に細かく、全てを精密に書こうとしたからだ。時間潰しの為に始めた絵だったが、これがなかなか集中して取り組むことができた。


 一枚目の『街の絵』を描き終えると欲が出てきて、ぼくは色を塗りたくなった。とはいえ絵の具なんて持ってないから、幼稚園の頃に使っていた十二色の色鉛筆を押入れから引っ張り出して山へ持って行き、二枚目を描き始めた。


 寒色の強い冬の景色を描き終えたのは、三月。その頃には少しずつ桜が咲き始めていて、すぐに春の景色を――三枚目の『街の絵』を描いた。描き終えたのは、五月。桜はすでに散り切ってしまっていたが、柔らかなパステル調の絵が描けて、満足した。


 三枚目ともなると絵も安定してきて、ぼくは始めて両親に絵を見せた。父は頷き、一言「よく描けてる」と言ってくれただけだったが、母は大げさに驚き、褒めてくれた。



 やはり、まんざらでもなかった。



 梅雨が終わるのを待ち、七月。天候が安定すると、ぼくは四枚目の『街の絵』を描いた。夏の太陽を透かした濃いブルーの海と、生き生きとした木々の緑の強い、一枚になった。


 描き終えたのは、八月末。それは、ぼくの誕生日の数日前だった。絵を描き終えた日の夜、ぼくとしては珍しく、両親にプレゼントをねだった。水彩絵の具とパレット、筆のセットだ。


 それは、幼稚園の時に戦隊モノのおもちゃのロボットをねだって以来のことだった。物欲の乏しい(と思われていた)ぼくがそんなことを言うので、両親は目を丸くして驚いた。


 こうしてぼくは、誕生日当日に水彩絵の具のセットを手に入れた。紅葉が始まる前に、水彩画でもう一枚、夏の風景を描こうと思っていた。暇つぶしで始めた絵は、一年近く経っても飽きることはなく、むしろ、時間が経つにつれて熱中していった。


 それは、ぼくの人生において初めてのことだった。でも、ぼく自身はその変化には気付いてはいなかった。




 そして、そんな時。



 彼に出会った。

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