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孤軍奮闘記~summeR~

作者: 雨宮

――困ったことになった、


私は息を殺して辺りを窺った。

誰も、いない。

それは私が他者を拒み続けてきた結果であり、ここに一人孤独を感じながら佇んでいることも半ば自業自得に近いものである。


私は意を決して扉を開いた。

重い扉は錆びついた音を響かせ私の掌にその圧力を伝えながらゆっくりと開いた。

途端に、ごう、と苦しいまで威圧が扉から吹き込んでくる。

ただただ、苦しい。むしろ、暑い。

風の一つも運んでこない空気は何パーセントか分からない湿度だけを醸し出していた。

むわりとした空気が呼吸を阻害している気すらしてくる。



先程から変わらない風景。

静寂に包まれた景色の中で、私が呼吸する音だけが細くすうすうと鼓膜に響いている。

首から滲んだ汗が首筋を伝い、鎖骨を滑って胸の膨らみの間をすり抜けそのまま円い輪郭をぬるりとなぞった。妙な擽ったさが不快感に代わり、汗を服の上から擦る。



”落ち着いて状況を整理しろ”


私は自身に言い聞かせた。いくら考えても状況は変わらない。

一歩踏み出すだけだというのに、私の足はこの光景を目の当たりにしてひとつも動いてはくれなかったのだった。

一体どれだけこうしていただろう。


『一人取り残された気分はどうだ?』

『あの時、お前は全てを拒絶したのだ』

『全てはお前が招いた結果だ』


頭の中で悪魔が嗤う。

良心が云々、頭の中の天使と悪魔が云々かんぬん。昔そんな話を祖母から聞いたことがあったが、天使や良心はとっくに悪魔に喰われてしまって、今は私を責める悪魔しか棲み着いていない。


手に握った剣の柄はじっとりと汗で湿り気を帯びている。

いつまでこうしているつもりだ?自身に問いかけた。


そう。


もう答えは出ているじゃないか。

踏み出さなければ始まりすらしないこの物語。

さあ、一歩を踏み出すのだ!



さあ!


















――ピッ



さあああああ

と涼やかな音がして、冷気がふわっと項を撫でた。


「ふぁ~!生き返るぅ……」


私は左手に持っていたクーラーのリモコンをベッドに放り投げ、ずっと握りっぱなしだった箒を手持ち無沙汰に振った。

憂鬱だ。実に憂鬱である。


憂鬱に任せて、開いていた窓は閉めてしまうことにした。

からからから。

開くときは重く感じた窓も、閉じようとすれば軽く感じるのだから不思議なものである。

掃除を始めたら埃が舞うだろうと考えて開いてはいたものの、この初夏真っ只中にアパートの四階で窓を開けっ放しにしておこうという方が無謀だった。しかも午後二時なんていう陽が高い時間に、だ。

私はそう自分を慰めてクーラーの前に腰を下ろした。


掃除を放棄してしまったことに少しばかりの罪悪感はあったが、少し休憩しているだけなのだからとまた自分を慰めた。



そもそも、片付けなんぞ一体どこから始めたらいいのか分からない。

”サルでもできる!片付けのマジック!” ”ネコとやろう かんたん片付け”

そんなタイトルのハードカバー本がベッドの下からちらりと覗いている。なんだか馬鹿にされているような気がして、私はそいつを裏表紙にひっくり返してやった。


「私はサル以下か!そもそもネコを飼っているご家庭なんてのはもともと綺麗なものなんだよ!」


完全なる八つ当たりなのだが、正常な思考ができないのは熱さのせいにすることとした。

クーラーの音が大きくなる。

旧型のそれが今ようやく辺りの熱さを察知したようだった。


”強”になった風圧を受けてテーブルの上のチラシが二三枚舞って床に落ちる。

既に衣類やらダンボールやらが散乱していた室内は、更に汚さを増したようには感じられなかった。

それでも一応、汚部屋の主人である自覚はあるので、気は滅入る。


「あ~あ…、ちーちゃんに手伝ってもらうんだったなあ…」


片付けが苦手な私の素性を知っている唯一の友人の顔を思い浮かべると自然と溜め息が零れた。

手伝うから!という彼女の好意を自身の矮小なプライドのためにお断りしてしまったことを本心から悔やんだ。


足を伸ばすと、机の下の雑誌類が土踏まずに蹴られてドサバサと床に広がった。

また溜め息が漏れる。



閉じた窓の外から楽しげな子供の声が聞こえてきた。

次、お前な!ええ、おれが勝ったのに!い、い、か、ら!

おや、今日は帰りが早いな。そんなことを思いながらカレンダーを見てすぐに納得。今日からちびっ子達は軒並み夏休みに入っているようだった。


籠もった子供の笑い声を聞いている内に、なんとなく陰鬱な気持ちも晴れていくような気がした。

右手に握ったままの箒の柄はクーラーのお陰ですっかり乾いている。

私は両手を天井に突き出し背筋を伸ばした。どこぞの関節が小気味のいい音を立てて笑った。


「さーて。汚部屋、だっきゃーく!」


勢いを付けて腰を上げる――…と、机の角に思い切り足をぶつけた。

ぎゃ、




初夏、二十歳。

私の夏はまだ始まったばかりだ。


床にごろりと寝転がれる日が来るのを待つばかりである。




【了】

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