5 正体不明
議長派と軍需産業の癒着を示す証拠をようやくつかみ、メディアを使って大々的に流した。それは、軍の高官の天下りも暴くことになり、今、国中が蜂の巣を突付いたような騒ぎになっている。
私は、司法に事の究明を命じた。あれらはどれも私の敵だ。この機会にいっきに蹴落とし、踏み潰さねばならない。
ただし、メディアに露出する時は、私は慈悲深く清廉潔白な女王を演じた。この状況の中で人心をつかむのは、議長と正反対の人物像であると分析したからだ。
「みなさん、落ち着いてください。今回のことが明らかになった今、これ以上、悲しみと憎しみをつくりだす戦争を続ける意味はあるのでしょうか。そのために、夫を、父を、兄弟を、恋人を、また死地へと送り出すのですか。何も知らない子供たちを、同じように戦争へと駆りたてるのですか。それが、私たち大人が、若い世代へと引きぐべき未来ですか。私たちは、よりよい未来を考えねばならない時に来ているのです。私は議会制立憲君主国ミュスカデールの国王として、みなさんが賢明な判断をしてくださることを望みます」
私は憲法で国主と定められているが、法に則って統治し、議会を通して民意を政治に反映させる義務がある。議会の決定を無視することは、すなわち自ら暴君だと示しているようなものなのだ。
だから、あくまでも国民の総意として、戦争の終結を目指さなければならない。
もちろん、議長派も企業側も槍玉に上がった軍の一部も、黙ってはいなかった。これまでの私の無能さをあおりだし、議長が行ってきた数々の業績を吹聴している。……表では。
そして、裏では。
出先の放送室で国民向けの放送を終え、王宮に戻り、車を降りたところで、パン、パン、パン、パン、と乾いた音がした。すぐ傍の車の外装が一箇所はじける。他は、私の前に立ったファントムや護衛たちのパワードスーツにはじき返されたようだ。
なんと短絡的なことか。なりふりかまっていられないということでもあるのだろうが、私が死ねばどうにかなると思うところが浅知恵だ。
私は国際機関に戦争の調停を打診したし、もしも死んでも、遺言で他国に居る遠い血筋の親族を次の王へと推してある。私が存命中におかしな野心を抱かれても困るから、一市民でサラリーマンをしているとかいう彼に話は通してないが、私の死後に彼を口説き落とすための腕のいい交渉人は用意してあるし、私を支えている側近たちなら、その真面目だと評判な彼のことも国王へとまつりあげることができるだろう。
……側近たちも無事だといいのだが。護衛をつけて警戒はさせているが、それが一番心配なところだ。
銃撃が激しくなってきた。どうやら暗殺するだけでなく、王宮を制圧するつもりらしい。人の心配をしている場合ではなくなってきたようだった。
とりあえず、私室近くのシェルターを目指す。あそこなら指揮系統も完備されているし、核を落とされても耐えうるように設計されている。とにかく、今をしのがなければならなかった。
思わず、近付いてきた衝撃波に耳を押さえて身をすくめる。迫撃砲だ、と思ったのも束の間、そう離れていない場所で轟音が鳴り響き、私はファントムに抱えられて地に伏していた。
舞い落ちる粉塵。見える範囲は瓦礫がごろごろしている。直撃していたら死んでいた。ぞっとして呼吸が浅くなる。何度も想定してきたはずなのに、混乱して、次にどう動けばいいのかわからなかった。
が、その体を、ぐいと抱えあげられる。
「つかまれ」
え? と思うが、ファントムが走りだして、体が大きく振られ、私は慌てて機体の首に抱きついた。
ファントムが口を利いた。彼の声だった。彼の記憶がよみがえった。とっさにそう思ったが、私の科学者である部分が、違う、と断じる。
シーベルも言っていたではないか。言語機能は失われていない、と。今はまだ機械部分とうまく連動せず、簡単な命令を解することしかできないが、いずれは幼児程度の言葉のやり取りはできるようになるだろう、と。
今のこれは、その反応にすぎない。
それでも、彼の声だった。あれほど聞きたいと思っていた、彼の声だった。
生きるか死ぬかの状況だというのに、私は幸福を感じていた。彼の声を聞けた。彼に抱きしめられている。たとえパワードスーツごしであったとしても。
小銃の連射の音と、爆発音が絶え間なく続く。でも、何も怖くなかった。彼の腕の中でならば、何が起こってもかまわなかった。それよりも、離れ離れになることの方が怖かった。
彼が止まり、床へと足を降ろされた。肩を押され、壁面へと向かされる。そこには、セキュリティーロックがあった。シェルターに着いたのだ。
急いで生体認証を受ける。扉を開くと、後ろから止められて、まず彼が入っていった。その後をついていく。
中はからっぽだった。あたりまえだ。ここはもともと王の私的空間に設けられた設備だ。他の者が勝手に入ることはできない。
それでも彼は一通りのチェックをし、安全の確認をしてから、私の腕を引っ張ってコンソールの前に立たせ、状況の確認をしろと身振りでうながした。身振りといっても、手をパネルの上に下ろされただけの、直接的で単純なものだったが。
昔の彼だったら、横柄に顎をしゃくっていただろう。それに、ぽんぽんと命令調の言葉も出たはずだ。
やはり、ファントムは、まだ言葉がうまく出せないようだった。けれど、言語機能が回復過程にあることはわかった。……どのくらい彼は、脳の機能を取り戻せるのだろう。時間をかければ、いつか人間らしいものも、再びあの体の中に芽生えることがあるのだろうか。
現状の科学技術では、機械に創造性や感情を与えることはできていない。人間並みの予測能力も判断力も無理だ。どう考えても、おしゃべり人形、……いや、幼児程度の会話しか期待できない。
なのに、心は勝手に期待してしまう。彼が感情を取り戻せば、たとえ記憶は取り戻せなくても、兵器や備品ではなく、人間として扱わざるを得なくなる。彼が人間に戻ったら……。
いや。そんな未来はない。
私は夢想をやめ、回線を開き、王宮内の状況確認と側近たちとの連絡を試みた。王宮は私的空間は壊滅状態、側近たちも何名か死亡したようだと知れた。ほとんどクーデターのようなものだったが、軍内部での反乱は、国王派によって鎮圧されたと報が来た。これから王宮に救援に向かう、と。
共に画面を見ていたファントムは、急に踵を返した。
「どこに行くの」
肘の辺りを慌ててつかむと、振り返って一歩戻り、画面の戦闘場面を指で突いた。そこが広がり、大きく映しだされる。王宮の警備兵と議長派の軍が銃撃戦を行っているところだった。たしかに援軍が今すぐにでも必要だった。
「そこには別の者を向かわせる。あなたはここで私の警護を」
彼の腕をつかんだまま、左手でパネルを操作する。けれど、近くに動けそうな味方はなく。
手首をとられ、つかんでいた手をはずされた。私はとっさに、その体にすがった。
「行っては駄目!」
国王として、為政者として、私はやってはいけないことをしている。それはわかっていた。アンドロイドにすがっている場合ではない。私はここで、できうるかぎりの人命を救うべく、指揮を執らなければならない。この大きな戦力を、ここに引き止めておいてはならない。
なのに、手を離せなかった。彼を危険な場所に行かせたくなかった。彼と離れたくなかった。……二度と、彼を失いたくなかった……。
ここにいて、という本音は言えなかった。それだけは言ってはいけないとわかっていた。でも、手を離せもしない。私は卑怯な愚王だった。
そんな愚王のために、何人もの人間が死んでいる。今も死んでいこうとしている。彼と同じ運命をたどろうとしている。彼らを見捨てることは、彼を見捨てることにほかならない……。
私の手がゆるんだ。涙がこみあげてくる。
彼の死を、無駄にしてはいけない。彼は、彼のやり方で、最後までこの国を、私の治める国を、私を、守ってくれようとした。私はそれに応えなければいけない。立派な国王にならなければならない。
本当に、彼を愛していると言いたいのなら。
「キャ……ス」
私は、はっとして顔を上げた。ゆるんだ腕の中で、ファントムが振り返る。
「キャ、ス」
私の愛称だった。
「ジェラール?」
まさか、と思う。まさか、そんなわけがない。
「キャス」
だけど、聞き間違いようもなく、生体型アンドロイドは私の名を呼んで。
パネルを指差す。私の手を取り、パネルの上へと置き、鋭い声で。
「キャス! キャス! キャス! キャス!」
やるべきことをやれと、使命を果たせと、満足に言葉を操れもしない状態で、叱咤する。
「……わかってる。わかってるわ! わかってるわよ!!」
私は叫んだ。自分の未練を、愚かしさを、捨てて己を鼓舞するために。
「行って! 彼らを救って! でも、絶対に死なないで。二度と死なないで。ちゃんと私を迎えに来て。あなたが私を迎えに来るのよ。でなければ、私はここから出ないから!」
ファントムの体を押すと、機体はそのまま出入り口へと向かっていく。
この状態が、どこまで彼の脳の仕業なのか、それとも、単に何かの偶発的な作用なのかわからなかった。
それでも、その背に声を掛ける。別れてからも、死んでしまってからも、ずっと、彼に本当に伝えたかったことを。
「愛してるわ、ジェラール」
ファントムは、扉を開ける前に、一度だけこちらへ振り向いた。
私は笑って見せた。涙は止めようもなく出ていたけれど、気持ちはあたたかく晴れ晴れとしていた。
彼の姿が扉の向こうに消える。私は涙をぬぐって、指揮に戻った。
私たちは、皆でここから生還するのだ。
死んだ者たちと、これから生きる者たちの、未来のために。
***
半年後、ミュスカデールとエクステスの和平交渉が始まり、暫定的に停戦条約が結ばれた。
そして三年の話し合いの末に、主戦場だったタイゼルは緩衝地帯として共同統治の特区となった。ここには歴史学を主とした学府が建てられ、両国から研究者が集められて、歴史の見解の統一が試みられた。
これ以降、両国の利害は、まずはこのタイゼルで研究、解決されるようになり、全面的な衝突はなくなっていった。
この政策を推し進め、ミュスカデールの中興の祖と称えられるキャスリーン女王は、生涯独身を通したが、男児を一人産んだ。
女王は相手の名前をけっして明かそうとせず、次の王位を継いだ王子でさえ、父の名を知らないという。
ただ、後年、新聞記者のインタビューに、女王は『それはファントムだ』と答えている。女王の冗談だったとも、死んだ恋人をそう表現したのだとも言われているが、多くの者に慕われた彼女が、最も愛した男がいったい誰だったのか。
それは、彼女一人の胸に秘められたまま、今も永遠に解けない謎となっている。