3 錯覚
私はファントムを護衛として承認した。出来が良ければ、もともとそうする気だったのだ。当然のことだった。
実験直後は、機体を酷使したために長時間のメンテナンスが必要だったが、通常の護衛業務程度なら、一回一時間、八時間に一度の栄養補給と休憩で、作動し続けることができるという。
睡眠が必要ないのは、もっとも睡眠を必要とする部位を機械に置き換えてあるからだ。また、その機械の部位が、血中に注入されているナノマシンを使い、常に身体状態を監視しており、栄養補給を兼ねた休憩時に最適化するように働きかけているという。
そうであっても、ファントムは、身体的にはあくまで人間でしかない。彼の能力を引き継いで、人類でも最高レベルの運動能力を持つが、人間の枠をはみ出るものではないのだ。
ならばなぜ、あれほどの動きができたかといえば、ファントムには、人が無意識にかけているリミッターがないからなのだ。そして、痛みも感じない。つまり、機体能力を百パーセント発揮することができるようになっている。加えて、目の代わりをするカメラと、脳の機械部位の演算能力は、人のそれを上回っており、それが行動速度を底上げしている。
そして、ファントムのまとうパワードスーツの性能も合わせて上げてあるために、あのような動きが実現可能となったのだ。
ただし、ともすれば限界を超える機体の使用は、機体の損傷も意味する。筋肉や腱の断裂、骨折がある程度を超えれば、動くことができなくなる。
シーベルの目下の研究は、ナノマシンに機体修復機能を持たせることだという。そうすれば、戦闘途中でも機体を修復し、戦闘を続行できるようになるのだ。
生体と機械の割合を考えれば、サイボーグ化と言うべきなのかもしれないが、意志を失った者を人間とは呼べないだろう。やはりこれは、生体組織を使ったアンドロイドと呼ぶにふさわしいのだと、私は納得するに到った。
だから私は、護衛中の映像および音声記録を閲覧禁止にし、ファントムをおもに私的な行動時間に使うことにした。
あれは、男どころか人ですらない。おかげで、寝室はおろか、バスルームにも連れていける。
事前の室内チェックは護衛にしてもらっているが、人のすることだ、いつかどこかで見落としが発生するだろう。そうなれば、悪ければ死、良くても大怪我をするのは間違いない。だからといって、常に誰かが傍にいては、気が休まらない。その二律背反の狭間で、私は時に、眠れぬほどの不安を覚えていた。それが、ファントムを使うことによって、だいぶ軽減されたのだった。
もちろん軍部が裏切れば、入力された命令で動くアンドロイドは、護衛ではなく暗殺者に簡単に早変わりするわけだが、今のところ軍部との関係は良好である。今後悪化するとしても、どこの誰ともわからない者を相手にするよりは、まだ行動の予測がつくぶん、対応のしようもあるという目論見だった。
私は今日もファントムを傍で待たせ、脱衣所で次々と服を脱いだ。バスルームに連れて入り、シャワーを浴びる。
頭の天辺から足の爪先まで洗うところも、あれはじっと見ている。……いや、ファントムは見ていない。私以外の空間に異常がないか、常に警戒しているだけだ。
戯れに、裸のままその前に立ち、手を伸ばして触れてみても、何の反応も示したりはしなかった。私になど興味はないのだ。
なのに。タイルに足を滑らせた瞬間、腕を取られ、抱き寄せられた。突然のことのせいか、それとも、押し付けられた体が硬く冷たかったせいか、身がすくんで、よけいに足元がおぼつかなくなった。それを、細心の注意をはらって危なげなく立たされ、怪我の有無を確認される。
目の前に跪いたアンドロイドが、パワードスーツに包まれた硬い指で、素足に触れていく。繊細に。大切なもののように。そっと、そっと、そっと……。
彼の仕草で。
心のないまま、行う。
私は泣き笑いの表情に自分の顔が歪むのを感じた。
彼は、ここにある。確かに、ある。
でも、いるわけではない……。
私は、アンドロイドに離れるように命じて、シャワーを止めた。そして、この世にたった二人きりかと錯覚しそうに外界から隔絶されたバスルームから、足早に抜け出した。