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2 亡霊

 将軍以下視察につき従っていた者たちの同行を、予定外の時間の延長を理由に免除した。彼らにも分刻みの仕事があるし、私は私で、彼らを気にせずデータを見たかったのだ。

 実験棟から奥の研究棟へとシーベルに案内され、護衛だけを引き連れて向かった。いくつかのセキュリティを抜け、ようやく辿り着いた研究室には、極秘扱いのため護衛を廊下に残し、私とシーベルだけで入った。

 それでも、この私ですら入れたのはその中の管理室までで、奥のメンテナンス室は映像を介して見るにとどめられた。中は無菌無埃状態になっているために、入室にはそれ相応の仕度が必要となるからだ。

 私はおとなしく黙って、シーベルが機器を操作するのを見守った。彼の指が踊るようにパネルの上を動く。いくつものモニターが光を宿しはじめ、そこに映し出されたものに、私は息を呑んで愕然とした。

 まさか、という思いと、それを凌駕する確信が胸中に渦を巻く。その疑問をはっきりと質さねばと思うのに、囁くようにしか質問する声が出せなかった。

「誰だ、あれは?」

 そこに映っているのは、機械ではなかった。五体すべて柔らかそうな肌に包まれた、人間の体としか思えないものだった。ただ、頭部の目から上の部分だけ、金属製のもので覆われており、人相が確認できない。

「人ではありません。死亡後に献体されたものを使用しておりますが……」

「詭弁はいらん!! それは人体実験ではないか!」

「法律に従い、備品登録されています。違法性はなにもありません」

「正気で言っているのか!? 倫理的にゆるされんだろう!!」

 私は激昂して、シーベルの言を薙ぎ払うように腕を振った。

 シーベルは画面から私へと視線を上げたが、瞬きを一つして眺めただけで、何事もなかったのように視線を戻した。

「陛下が許されないというのであれば、この研究はここまでとなりますが、そうすると、あれは廃棄ということになります」

「廃棄だと?」

「開発途中の失敗作にすぎなくなりますので」

「なにを言っているんだ、おまえはっ」

 私は思わず、シーベルの襟首をつかんだ。こちらを向いて話せと、本気なのかと、信じられない思いで彼をゆすりあげた。

「おまえ、あれは、あれは……っ」

 私はすすりあげるような息をした。どうしてか、その先の言葉がとっさに出てこなかった。……いや、違う。私は怯えていた。怖かったのだ。決定的なことを知るのが。……あれが、誰なのかを。

「陛下」

 シーベルは冷静に私を見返した。

「陛下もご存知のとおり、私の研究は、人の脳をモデルにしたCPUの開発です。これはその前段階、人の脳の一部を機械に置き換えたものです。あの献体の場合、負傷したのは、眼球から前頭葉でした。生命活動を維持する部位はすべて正常に機能していましたが、前頭葉がダメージを受けては、『人間』として活動することは不可能です。脳死と判断されました」

 私は息を止めて、体を硬直させた。これまで、()の最期を、あえて知ろうとはしてこなかった。それを直視するのに耐えられなかったのだ。なのに、シーベルはその一端を明かして、つきつけてきた。

 そんな場面は見てもいないのに、()の頭が吹き飛ばされる映像が勝手に脳裏に浮かび、感情が乱されて、涙が浮かんでくる。喉が狭まり、震えた息が吐き出されて、私はそれを止めるために、きつく唇を引き締めた。

「ですが、陛下。記憶には、海馬が関与するのです。また、最も繰り返し反芻された記憶は、大脳基底核や小脳に定着し、そこから直感が生まれると考えられています。それだけではありません。おそらく、人の記憶というものは、脳だけでなく、脳幹やそれぞれの臓器にも、なんらかの形で定着していると考えられる事例が数多く報告されているのです。……私個人としては、脳死を人の死とは考えていません」

「では、死んではいないというのか。あれが」

 私はモニターに目を向けて、電気的な刺激を与えられ、びくびくと全身を震わせている姿に、顔を歪ませた。

 生きている者の動きではなかった。まさに、意思無きモノの姿だった。

「あれを、生きているというのか! ……違うだろうっ」

 世界が歪んでゆらゆらと揺れた。泣きたくはなかった。しかし、たまるばかりの水を散らしたくて瞬きしたら、その瞬間に涙となって零れ落ちてしまった。

 泣き顔を見られたくなかった私は、シーベルを突き放して背を向けた。

 背後から、静かにシーベルの声がかかる。

「……キャスリーン。絶対に言うなって言われてたけど、卑怯だってわかってて、あんたに教える。あいつ、献体希望の申請を出した時に言ったんだ。我が女王陛下のためにって。冗談めかしていたけど、俺は、あれがあいつの本音で、今となっては遺言だったと思っている。……あんたは、どうなんだ?」

 本当に、シーベルは卑怯だった。『我が女王陛下のために』。そこだけ、微妙に声音を変えた。それは、()の口調そのものだった。

 それを耳にしたかのように、()の声が耳によみがえる。三年も聞いてないはずなのに、あざやかに。照れた笑みさえ一緒に浮かび上がって。

 私はたまらずに口元を覆った。強く、強く抑えて、息を止めて、漏れ出そうになる嗚咽をこらえる。

 そんなこと、願ってくれなくてよかった。……生きていてくれさえしたら、それでよかったのに。

 私はしばらく、他の何もできずに、立ったまま肩を震わせ、声を押し殺して泣いた。

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