06
華栖国は大陸のほぼ三分の一を占める大国だ。華栖伝の終盤では、周辺諸国を侵略したこともあり、領土を三分の二ほどに広げていたと思う。
元々、小さな国の集まりだったものが統合され一つの国になったという歴史もあり、民族は多種多様。沢山の文化が入り交じっているため、都は大変な華やかである。
「小怜。今日からしばらくはここで華栖の行儀作法を学んでもらう。我が家が後見人となる以上は、最低限の振舞を身に付けてもらわねば困るからな」
そう言いながら私を見下ろすのは、織師の凡楽拓だ。年齢は鹿角とさほど変わらないが、髪には多くの白いものが混じっているし、身体もずいぶん痩せこけている。職人らしいいかめしい顔に迫力があるが、こちらへの悪意は感じない。
(仕事に熱中するあまり、自分のことはあとまわし。真面目で実直で、不真面目で怠惰な人間を嫌うタイプかしら)
「承知しました。何とぞ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくおねがいします」
素直に頭を下げれば、楽拓は静かに頷く。どうやら私の態度はお気に召したようだ。
楽拓の織物工房は都の中央に店があるが、布を仕立てる工房は郊外にあり、楽拓は普段はそこで生活しているという。私はてっきり工房で暮らしていくのかと思ったが、私は中央の店に預けられしばらく都の生活に馴染むように言いつけられた。
「後宮は女の園だ。田舎者のお前では、すぐに負け犬になるだけだ」
「負け犬」
実の籠った言葉に、私はゴクリと喉をならす。
後宮にいる女性たちのほとんどは、幼い頃から後宮という狭い世界で生きている。私のような新参者には厳しくなるのは容易に予想できる。もし何も知らぬままに放り込まれたらどうなるか。
「俺の店にはいろいろな客が来る。接客をしながらしっかり学ぶように」
「接客ですか? どなたか師をつけて頂けるのかと」
「実地に勝る学びはない。それに、店に来る顧客は皇城に出入りしているような人間が多い。顔を覚えておいて損はないからな」
(あら、意外)
もっと朴訥とした人物かと思っていたが、予想以上に頭が回るらしい。
私を見てくる表情には、先ほど感じなかった温かみが感じられる。少しでも私をよい形で送り出そうとしてくれてるのだろう。
(なんだか師匠と似てるかも)
前世で、私に占い師として生きていくためのイロハを教えてくれた恩人。決して優しい人ではなかったが、ずいぶんと助けられた。前世での心残りは、師匠にろくな恩返しもできないままに死んだことかもしれない。
「楽拓様のことはなんとお呼びすればいいですか?」
「私はここでは拓師と呼ばれている。お前もそう呼びなさい」
「わかりました」
拓師は私が思っている以上に有能な人物だった。仕事には厳しく腕も一流。そこまでくると機織り以外には無関心なのが普通だが、拓師は店の内外にもよく目が回る。
使用人や弟子は多いが、全員の動向を把握しており、その力関係もきちんと調整している。父親である鹿角よりもずっと立派な人間だ。
(織師じゃなければ、天下を取れる商人になれたかも)
都にある店には、本当に多種多様な客がやってきた。上質な織物を欲しがるのは貴族階級の人間ばかりだ。皇室御用達の織師が作った布というだけで箔が付くから。自分用であったり、贈り物であったり。
(後宮に入る前に、ここで働かせてもらって本当に良かったかも)
前世の知識のおかげである程度の接客はできたが、この世界の細かい決まりや、貴族特有の言葉遣いなどは分らず最初は戸惑うことも多かった。流行もまったくわからないこともあり、最初は浮いた田舎者だと他の使用人たちからも侮られてしまった。
「拓師がわざわざ田舎から連れてきたというから、どれほど有能かと思ったらただの田舎者じゃない」
「弟子じゃなくて愛人にでもするつもりじゃないのか」
店で働く使用人や拓師の弟子たちは、私がいずれ後宮へ上がるために行儀見習いをしているとは知らないのだろう。
拓師の目が届かなくなると私を見下し、あれこれと用事を言いつけてくるようになった。食事に呼んでもらえず食べ損ねたり、持ち物を隠されたりなどのいやがらさせをされるようになった。
しかし、一応は拓師の目に敵った者たちばかりだからか、身体を害するような物理的な嫌がらせや、泥棒に仕立て上げてくるような悪辣な悪事をしかけてくることはない。
(甘いなぁ)
鹿角の屋敷での正妻からの嫌がらせや、前世での苦しい生活に比べれば可愛いものだ。
食事に関しては拓師からもらってる給金を使って買い出しのついでに、都の流行を知るついでにいろいろな菓子やら食べ物を食べ歩くことで解決した。ものを隠されても、悪事になれていない彼らの顔色を見れば、どこにどう隠されたかなどすぐにわかる。
むしろ私があまりにひょうひょうとしているものだから、最近は不気味がってくる始末だ。
半年を過ぎた頃にはすっかり嫌がらせもなりをひそめ、むしろ距離を取られるようになった。
このままのらりくらりと交わしながら後宮入りの日を待っていればいいかと考えていた、そんなある日のことだった。
「小怜、この古い布だけど処分しておいてくれる?」
「処分?ですか?」
仕事の時間を終え、そろそろ下宿小屋に戻ろうとした私に声を掛けてきたのは、この店を取り仕切っている古参の売り子、安四だった。ふっくらとした体型ときつめの化粧が相まって、少し威圧的な雰囲気がある。
安四は拓師の前ではしおらしくふるまっているが、私を初めとした他の従業員や弟子たちの前ではいつも威張り散らかしており、私はあまり好きではない。
彼女が手に持っていたのは、少し前から棚に並んだまま売れていない生地。拓師では弟子たちが織った生地なので、手頃な価格帯で売られている布地の一つだ。売上はすべて弟子の懐に入ることもあり、収入の少ない弟子たちには貴重な場となっている。
「ええ。あの棚の商品は売れかったら下げることになっているの。棚には限りがあるからね。次の商品が来るから、これは処分しておいてちょうだい」
乱暴な仕草で放り投げられた布を受け取り確認してみれば、糸目は揃っていてとても綺麗だし、見た目以上に軽く、とても繊細な造りをしているのがわかる。今日まで売れ残っているのが不思議なくらいだ。
(ああ、色のせいね)
この時期の売れ筋は柔らかな春色だ。緑や明るい暖色などがよく売れる。
にもかかわらず、この生地は夏らしい天水碧色。購入したところで、使い道がないと目に止まらないのかも無理はない。
あと半月ほど棚に置いてやれば、夏服を仕立てる客が目に留めるかもしれないのにもったいないことだ。
「もう少し並べておいてあげてもよいのでは? 小さく畳めば場所も取りませんよ」
「何? あなた私に逆らう気なの?」
私の言葉に安四は目を釣り上げ、睨み付けてきた。人差し指を突き出すと、肩の辺りを強く突いてくる。長く伸ばした爪が肌に刺さって鈍い痛みを感じた。
「いっ……」
「拓師のお気に入りだからって偉そうに。この店の采配は私に任されてるの。もうすぐ、新しい生地が工房から沢山届くんだから、そんな新人の布なんて捨てておしまい」
その言葉に、私は安四が何をしたいのかようやく理解した。
布に添えられている紙に書かれていた織師の名前は、まだ弟子入りして間も無い新人の名前だ。
一度だけ挨拶したが、ほんわかとした優しい人物だったと思う。他の弟子たちのように、店の売り子をしている女性たちに媚びをうれないこともあり、あまりよい位置に布を並べてもらえないところがある。
『どんくさくて役ただずな俺だけど、拓師だけは才能を認めてくれたんだ。早く一人前になって家族に楽をさせてやりたくて』
だから頑張るのだと語っていた記憶が蘇る。指先を赤く腫らしながら作業をする姿は、とても真剣だった。
まじまじと渡された布を見て見れば、やはりその仕上がりは他の弟子の作品よりも上なのがわかる。
(自分に媚びを売らない弟子と気に食わない私を一気に痛い目に遭わせたいって魂胆ね)
本来、売れなかった布は弟子に返され好きに扱ってよいことになっていると教えられている。せっかく作った布を捨てろだなんて酷すぎる話だ。
もし、勝手に布を処分したことがわかれば、私だって何らかの処罰を受けるだろう。
安四はきっと私が勝手にやったことだとしらを切るはずだ。命令してくる態度に怯えや迷いはない。これが初犯ではないのだろう。
(まったく。どこの世界にも嫌な奴はいるのね)
「承知しました。ですが、本日はこれから拓師に頼まれた仕事がありまして。持ち帰るのは明日でも大丈夫でしょうか」
「仕方が無いわね。明日には絶対に引き上げるのよ」
ふん、と満足げに鼻を鳴らした安四はさっさと自分の持ち場に戻ってしまった。
取り残された私は、やれやれと肩をすくめながら、布を元の位置に丁寧に畳んで陳列する。
捨ててしまうのは簡単だ。責められたところで切り抜けるのもそこまで苦労はしないだろう。
「さて、どうしてやりましょうかね」
気に食わないという理由だけで虐げられるのには慣れている。
だが、それを甘んじて受け入れるほどには心は広くない。
後宮に入るまでは大人しくしておこうと持ったが、少しくらいはいいだろう。
私は、さてと小さく手を揉みながら帰り仕度をはじめたのだった。
昨日間違えてました。
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