04
以前、私の兄にあたる庶子が、厳しいと噂される奉公先を嫌がって夜逃げをしたことがあった。
鹿角はすぐに追手をかけ兄を捕まえると、死ぬ寸前まで鞭で打ち据えて最初に予定されてた奉公先よりも更に過酷な場所に出稼ぎに出したのだ。
(鹿角は腐ってもこのあたりで一番の商人。伝手は多いし、今の私じゃ逃げられない)
せめてあと数年あとならば、もう少しまとまったお金を貯められていたし、占い師家業を通じて協力者も得られたろうに。
「……行くしかないのかなぁ」
後宮に入ってしまえば、逃げ出すのは今よりもっと難しくなるだろう。足抜けなどしたら、本当に殺されてしまう。
「いっても地獄、逃げても地獄、ってやつよね」
うーんと唸りながら、私は葛籠に手を伸ばす。
中に居あるのは麻袋に入った小銭といくつかの宝石や金粒。そして数枚の紙でできた札だ。それは高級な麻紙を使って特別に作った私の大事な商売道具である、お手製のタロットカードだ。
前世での占いで、一番評判が良かったのがこのタロットカード占いだった。
見た目にもわかりやすし、なにより有名だ。カード読むのも、占い師の手腕次第でいろいろな解釈が出来るのも大きかった。
だから、この時代で占い師家業をはじめるときにも真っ先にこのタロットカード占いをやろうと考えたのだ。しかし、当然ながらこの世界にタロットカードというものはない。だから、作った。
タロットの総数七十八枚全部を作るのは難しくても、メジャー所である大アルカナ二十二枚なら作れると踏んだ私は、厚くて頑丈な紙を買い、札の形に揃えて切り、絵師に頼んでそれっぽい絵を描いてもらった。
タロットカードという名称は理解してもらえないので、神のお告げを表現する札、という意味から「神札」と名付けて使っていた。
正直、私は占いというもの信じていない。
こんなものは、気休めにしかならないと分っている。だが、その気休めこそが必要なのだ。判断に迷ったとき、ちょっとだけ背中を押してして欲しい。そんなささやかな願いこそが、占いの根源なのかもしれない。
使い込んで少しよれた神札を眺めていると、物置小屋の扉が開く音が聞こえた。
「誰……!?」
神札と小銭を葛籠に隠し鋭い声を上げる。こんな時間に女の部屋に忍んでくるのは、大体が不届きものだ。盗み目的か、私の身体目的か。警戒しながらゆっくりと立ち上がれば、聞こえてたのは泣きそうに震えた声だった。
「怜姉さん」
「空々! どうしたの!」
そこに立っていたのは私の腹違いの弟である空々だった。
まだ八歳と鹿角の庶子の中では最も幼い。私同様に、義母にこき使われている。
前世の影響か、幼い子どもが苦労する姿を見ていられなかった私は何度か空々をこっそり助けたことがあった。そのせいか、彼は私にずいぶんと懐いてくれている。
「怜姉さんが、奉公に出るって聞いて。本当? 本当に行ってしまうの?」
情けなく眉を下げ、しがみついてくる空々の身体は震えていた。
使用人たちは義母に頭があがらないし、他の兄弟たちは自分のことに精一杯のこの屋敷で、私がいなくなれば、かばってくれる人間はいなくなるをわかっているのだろう。
「……ごめんね。父様がそう決めたんですって」
「いやだ……怜姉さんと離ればなれになるなんて。僕も行く!」
瞳に涙をためる空々の表情に胸が痛くなる。
「……よく聞いて。私は華栖国の後宮に行くの。だから、空々を連れて行くことはできないの」
「後宮? 怜姉さんは、お妃様になるの?」
「いいえ、ただの女官よ。沢山の女官に混じって掃除や洗濯をするだけ。私みたいな田舎者じゃ、お妃様になんてなれないわ」
「……怜姉さんは綺麗だよ」
「ふふ。ありがとう」
眦に溜った涙を拭ってやりながら微笑みを向ければ、空々の表情が少しだけ和らぐ。
自分を慕ってくれる小さな存在は、この暮らしで荒れかけた心をとても癒やしてくれた。
前世の記憶を活用して、計算や文字などいろいろ教えたこともあり、空々は庶子の中ではかなり優秀な部類に入る。鹿角もその才能を認めているようだし、残していってもそんなに酷い扱いはしないはずだ。だが。
(もし歴史が華栖伝の通りに進めば、空々はどうなるんだろう)
不意に頭をかすめた想像に血の気が引く。
詳しい描写なかったが、華栖に侵略された国は属国となり、重い納税義務を課せられ、餓死者も沢山出ていたという解説があった。暴君に成り果てた皇帝の欲は深く、民草を道具としてしか見なしていなかった。
物語の中で小怜も『自分の国はすでに亡く、身内も皆死んだ』と語っていたような気がする。
「怜姉さん……?」
あどけない顔で私を見上げる空々。もし、この子が死んでしまったら。
(もしかして、妃になった小怜が主人公を逃がしたのって、自分の弟に重ねたから……?)
これまでただのキャラクターとしてしか認識していなかった『小怜』が急に身近に感じられた。
きっと、いろいろな想いがあったのだろう。『華栖伝』の作者がそこまで考えていたかはわからないが、その可能性は高い気がする。
「大丈夫。空々はしっかりしているから、ちゃんとやっていけるはずよ。これまで通り沢山勉強して知恵をつけなさい。知識は宝よ。決して誰にも奪えないんだから」
「……でも」
「ほら、これをあげるわ。私がこれまで貯めたお金よ。いざとなったらこのお金を使って、ここから逃げなさい」
麻袋に入った小銭を空々の手に握らせる。
「でも、怜姉さんが貯めた大事なお金でしょう?」
「持っていったとしても華栖では使えないわ。私には宝石や金粒もあるから大丈夫。これは、空々の人生に役立ててちょうだい」
「怜姉さん……」
再び空々の瞳に涙が溜る。このままでは目が腫れてしまうだろう。
「おいで、空々。占ってあげる」
手を引いて、自分の前に座らせる。
布を広げて神札を取り出せば、沈んでいた表情がぱっと明るくなった。
「占ってくれるの? 怜姉さんの占いって高いんでしょう?」
「餞別みたいなものよ。さてさて、これからの空々の人生は、と。」
紙札を丁寧にシャッフルして一枚を抜き出す。
現れたのは死者と対面している黒服の男性。
「死神の正ね」
「死神!? それって悪いことなんじゃ……?」
「ふふ、そう思うでしょう? でも実はそうじゃないのよ」
不安そうな空々に私はにっこりと笑いながら札を持ち上げる。
死神の札は不穏な名称と絵柄ではあるが、含まれる意味はそこまで悪いものではない。物事には全て終わりがあるが、そこから新しくはじまるものがある、という解釈をすることが多い。旅立ちや人生の転機や物事の選択に迷ってるときに正位置で出るのは『後押し』の意味になる。
「人生の大きな転機を意味するわ。今の状況が大きく変わり、新しい出会いがある。今は終わってしまうけど、きっといい未来がくるはずよ」
「いい未来……」
「私はここからいなくなるけど、きっと新しい味方ができるわ。その人を頼って、立派な大人になりなさい。奥様には逆らっては駄目だけど、優先すべきは父様よ。お利口にしていれば、きっとよい奉公先を見つけてくれる」
考え込む空々の手をそっと握る。
「空々。まだ小さいあなたに言うのは酷だけど、人生はそれなりに厳しいわ。でも、絶対に諦めちゃダメよ。生き残って幸せになれる道を探しなさい。姉さんも絶対に生き延びてみせるから」
「うん!」
小さな身体を思い切り抱きしめる。痩せ細っているが、子ども特有の柔らかさと温かさがじんわりと身体に染みわたる。
前世では、ついぞ家族の愛情を知ることは無かった。最後の最後に傍に居た実の兄に命を奪われたという無情な記憶しかない。
転生したこの世界でも両親の愛は得ることができなかったが、姉と慕ってくれるこの子のために、少し頑張ってみるのも悪くはないのかもしれない。
(どう転んでも自由はない。だったら、やるしかないのかも)
さっきまでどうやって逃げるかを考えるのに必死だったのに、今は嘘みたいに気持ちが晴れている。
(妃には絶対なりたくない。だけど小怜が妃にならないまま話が進めば、華栖伝の主人公が序盤で死んでしまう可能性が出てくる)
だったら、私にできることは一つだけだ。
(これから向かう後宮で、皇帝が堕落することになった原因を取り除くしかない)
寵妃の死、将軍の死。少なくともこの二つを回避できれば、何かが変わる可能性がある。
駄目で元々。やらなければどうせ死ぬのだ。
二度目の人生、少しくらい運命に抗ってみるもの悪くはないのだろう。
小さな頭を撫でながら、私は自分のやるべき道を決めたのだった。




