03
(急に改名したってことは、そろそろ私の奉公先か嫁入り先が決まったということね。嫌だなぁ)
十六歳となり幼名を改めれば、大人の仲間入り。奉公に出されるなり、嫁入りするなりするのが庶子の役目だ。もし年の離れた好色爺の後妻や妾にされたらどうしよう。そんな不安に囚われていると、鹿角がにたりと口の端を吊り上げた。
「小怜よ。お前には華栖国にいってもらう」
「華栖国ですか? 山向こうの?」
山を一つ越えたところある華栖国は、この大陸一番の大国だ。歴史もあり、文化もかなり華やか場所だ。軍事にも優れ、喧嘩を売った国は全部属国にされてしまうのだとか。
どうしてそんな大国に? と首を捻っていると、鹿角はえらそうに咳払いをした。
「ああ。お前は頭もいいし見た目も悪くない。伝手を使って後宮の下働きの口を見つけてきたんだ」
「後宮って……華栖国のですか?」
「ああそうだ。うまくすれば陛下の目にとまるかもしれんぞ。そうなれば、後宮妃だ!」
(何を言っているのかこの親父は。こんな田舎商人の娘ごときが妃になれるわけなんてない……ん?)
そこまで考えて、私の中に奇妙な既視感が芽生えた。
(豪商の娘? 小怜? 華栖国? どこかで聞いたことがあるよう? ん…………!)
「嘘でしょ!!」
悲鳴を上げて立ち上がった私に、鹿角がぎょっと目を見開く。
「な、なにごとだ!?」
「父様。今の陛下のお名前は?」
「と、突然なんだ。陛下のお名前は栖 雲奎様だ。三年目即位したばかりでまだお若いが、大変立派な皇帝陛下だと名高い。華栖はこれからどんどん大きくなるだろう。後宮には数名の妃がおるが、まだ正妃はきまっておらん。うまくすればお前にだって……おい、聞いているのか小怜!」
返事をしなくなった私に焦れて、鹿角がなにやら叫んでいるが頭には入ってこない。
(そんな。どうしていままで気が付かなかったの……!? ここ、華栖伝の世界じゃない!!)
華栖伝。それは前世の私が楽しみにしていた漫画だ。
舞台は華栖と呼ばれる架空の国家。主人公は熱意あふれる義賊の青年。彼は自分が先代の皇帝が妓女に産ませた庶子という自分の運命を知り、腐敗した国家を倒て新しい時代を気づくために戦いにその身を投じていくという展開で、バトルありロマンありの大変熱い物語だった。残念ながら、前世の私はその最終回を見ていない。最終回の更新を待たずに死んでしまうからだ。
皇帝雲奎はあるきっかけにより酒と女に溺れる愚帝に成り果て、国は乱れ、人々は圧政に苦しむのだ。周辺諸国のほとんどは雲奎の気まぐれで侵略されてしまっており、物語に出てくる地図には苔古なんて国も既に存在していなかった。
(私の知っている雲奎はすでに即位して十年以上の男性だったはず。つまり今は、あの華栖伝より前の時代ってコト?)
全身から血の気が引いていく。つまり、ここが本当に華栖伝の世界ならば、あと数年のうちにこの苔古は侵略されて地図から消えてしまうということだ。
それだけならまだいい。問題はこの私、南小怜が歩む未来だ。
「父様……私は、後宮の女官になるのですよね」
「だからそうだと言っている」
「どなたの口利きですか? 後宮に入るには、それなりの身分が必要だと聞きましたが」
「得意先に後宮に生地を治めている織物工房があってな。そこの主が、後見人になってくれるそうだ」
「嗚呼……」
間違いない、と私は頭を抱えてその場にうずくまった。
南小怜は華栖伝の中では皇帝の側妃として登場するキャラクターだ。小国の出身である小怜は、織師の養女となり後宮に女官勤めを果たしている最中、酒に酔った皇帝を介抱したことからお手つきになり側妃に召し上げられてしまう。だが、皇帝は一度も小怜の部屋を訪ねることはなかった。気まぐれに手を出した女に興味は無かったのだろう。
何故そんな端役を覚えているかというと、小怜は後宮に忍び込んできた賊である主人公を追手の兵士から匿い、こっそり逃がしてやるという案外重要な役目があるから。きっと、自分を蔑ろにする皇帝に逆らいたかったのだろう。
そんな小怜は物語の終盤、主人公が起こしたクーデターの最中、皇城になだれ込んで来た群衆に追われ井戸に落ちて死んでしまう。主人公は恩人である小怜を探すが、ついぞ見つけることはできないままだった、というようなあまりにも不遇な最期をさかざるのだ。
(不憫の塊みたいなキャラクターじゃない! なんでよりにもよって!)
「出発は明日の朝だ。くれぐれも、へんな気を起こすなよ」
鹿角はそう言うとさっさと去って行ってしまう。
「どうしよう……」
その場に一人残された私は、途方に暮れるしかなった。
寝床にしている物置小屋に戻ってきた私は、これからについて考えを巡らせた。
これまで生きてきた記憶と覚えている限りの華栖伝の情報を突き合わせた結果、やはり今現在は華栖伝の物語が始まる前でまちがいない。
現時点で、物語の主人公でまだ少年。今は華栖国の下町で妓女の母親と静かに暮らしているはずだ。
(でも、もうすぐその生活は一変するのよね)
これから数年のうち、この大陸は長雨に悩まされることになる。作物は腐り、水が原因による土砂崩れが各地で起きるのだ。そのため、大陸の国々は疲弊することになる。長雨による湿気が原因の病が流行、主人公の母も身体を壊してしまう。
ようやく雨が止んだところに、華栖国は海向こうの大国から戦を挑まれる。弱ったところを狙われたのだ。辛くも戦には勝利する者の、その戦で華栖は国政に深く携わっていた有能な若き将軍を失ってしまう。彼は皇帝の乳兄弟で良き相談相手だった。将軍の死は皇帝が戦果を急いたせいでの失策によるもの。
右腕を亡くした皇帝は、甘い汁を吸おうとする周囲の策略によりどんどん堕落していく。
(一番愛していた寵妃が病死していたことも大きい理由だったはず。寵妃によく似た毒婦が後宮に入ってから、状況はどんどん悪化して国は腐敗していって、国が乱れてしまうのよね)
腐敗した政治により都は荒れ、庶民はどんどん疲弊していく。主人公の母親は、金がないからと町医者から治療して貰えず命を落すことになるのだ。そして義賊の頭領に拾われるという数奇な運命を辿ることになる。
(いっそ、逃げちゃう……?)
ちらりと目を向けたのは、これまで貯めた小銭が詰まったちいさな葛籠だ。
この世界でも私はこっそり占い師家業を続けていたのだ。仕事の合間にこっそりと家を抜け出し、町の片隅で辻占いをしていたのだ。子ども一人では怪しまれるし侮られるので、金で雇った大人に代理人役をやってもらっていた。この時代特有の緩さもあって「お告げを継げる巫女」というのはそこまで珍しくなかったのも運が良かった。おかげで巫女の「怜」としてそれなりに有名になっている。
(今ならこの家を出ても占い一本で生活していけるかもしれない。でも……)
法治国家だった前世の日本ならまだしも、子どもや女がひとりで生活していくのはかなり厳しい。なにより、このまま逃げたとしても数年のうちにこの大陸は華栖国の廃退により荒れに荒れる戦乱の時代がやってくるのだ。根無し草でいたら、荒波に揉まれてすぐに死んでしまうだろう。
「それに、あの鹿角が黙って逃がしてくれるとは思えないのよね」




