16
私が銀朱宮の女官になって早いもので一ヶ月が過ぎた。厚着をしなければ歯の根が合わないことも増えてきた。本格的な冬はもうすぐそこまできている。
「小怜、この食材を運ぶをの手伝ってちょうだい」
「わかった。すぐに行くから待っていて緑汐」
妃付女官に引き上げという破格の待遇だけでは飽き足らず、麗妃が「他にも何か欲しいものはないか」となんども言ってくるものだから、私は気心の知れた緑汐も一緒に引き上げて欲しいとお願いしたのだ。
突然姿を消した私に、緑汐は心配したのよとずいぶん怒っていたが、麗妃付きの女官になれると聞いて飛び上がって喜んでくれた。
麗妃も緑汐の人柄と働きぶりに感心して、いまではすっかりと重用している。
「今夜の食事は私が作るわ。あとで麗妃様になにが食べたいか聞いてきて」
「わかったわ」
緑汐と会話をしていると、いつの間にやってきたのか足元で桂々がにゃあと甘えるように鳴いた。
どうやら眠たくなったから抱けと主張しているらしい。
「はいはい、承知しました」
両手を差し出せば、桂々慣れた動きでひょいと腕の中に収まってくる。
「すっかり小怜に懐いているわね」
クスクスと笑いながら緑汐が桂々の頭を撫でた。心地よさそうに喉をならす仕草は本当に愛らしい。
「贅沢な猫様よねぇ」
私は麗妃の言葉通り、本当に桂々の世話係に任命されていた。桂々の食事などなどの一切の相手に加え、このように抱いて運んだりと昼間はべったり一緒に過ごしている。
幸いなのは、夜になれば必ず麗妃の寝所に戻っていくことだ。主は麗妃だとわきまえているのだろう。
とはいえ、雲奎が渡りに来ている日は共寝を許して貰えず、すごすごと私の布団に潜り込んでくるすがたは、愛らしい。
「ちょっと散歩に行ってくるわ」
「わかったわ」
笑居ながら見送ってくれる緑汐と別れ、私は銀朱宮の庭園を桂々を抱えながらのんびりと歩く。
抱きかかえられた桂々はくわっと大きなあくびをしながら、大人しく抱かれていた。
「寒い日はお前がいるとあたたかいからね。ああ、今日も陛下がきてくださらないかしら」
そんなことを呟きながら歩いていると、ふとじっとりとした視線を感じた。
(またか)
うんざりした気持ちになりながら、私は足を止め、ちりらりと庭へと目を向ける。
「莫将軍。そのようなところで何をしておいでなのですか」
庭の茂みに隠れるようにして立っていたのは、駿仁だ。
私がこの銀朱宮で働くと決まって以後、こうして頻繁に様子を見に来ていた。しかも、一人でこっそりやってきてじっとりと睨み付けてくるのだ。
最初は私のことをまだ疑っているのかと思ったが、どうやらそうではないことに最近ようやく気が付いた。
「お前が桂々殿に不埒な行いをしていないか観察に来たのだ」
どうやら駿仁は、桂々のことがかなり好きらしい。だが、桂々の方はどうやらそうではないらしく、駿仁の姿を見ると身体を硬くして耳をそばだててしまう。
「そんなことしませんよ。桂々様は私の大事な主なので」
めんどくさいな、と思いながら返事をすれば駿仁が悔しそうに拳を握ったのが見える。
(困ったなぁ)
駿仁はいまだ私のことを疑っているらしい。麗妃に近づくために桂々を利用したと思っているのだ。
結局、あの件の犯人は捕まっていない。嫌がらせにしては悪質で、木天蓼や蛇まで持ち込んで居ることから考えて計画的犯行だ。皇帝が麗妃に授けた猫に危害を加えたのだ。犯人が見つかればただではすまないだろう。
「調査をしていらっしゃるのでしょう? 私への疑いは晴れたと思うのですが」
「いいやまだだ。お前が関わったという証拠はないが、関わっていないという証明もできていない」
「そんな無茶苦茶な」
正直、このままでは大変困る。
いずれは駿仁の死亡フラグも回避しなければならないのだ。仲良くなりたいとは思わないが、少しは信頼関係を築いておきたい。
「あの、ちょっとお聞きしたいのですが」
「……なんだ」
「桂々様に何故嫌われているのですか」
「俺は嫌われてなどいない」
まさかの即答である。そんなばかな、と咄嗟にツッコミを入れなかったことを誰か褒めて欲しい。
茂みから立ち上がった駿仁が、服に付いた汚れを払いながら近づいてくる。すると、腕の中にいた桂々がウーと短いうなり声を上げた。
「……これで嫌われていないと思うのがどうかしていると思うのですが」
「桂々殿は俺を誤解している」
猫相手に何言ってるんだろう、この人。思わず目を細めれば、駿仁が何かを誤魔化すように咳払いをした。
だんだんと大人しい女官を取り繕うのが無駄に思えてきた。すでに好感度が低いのに、媚びを売ってもたぶん無駄だろう。
(むしろこのタイプは腹を割って話した方がいい気がする)
何度となく様子を見に来る駿仁を観察していて感じたことは、裏表のない真っ直ぐな人物であるということだ。軍人というだけあって勘がよく、雰囲気に流されにくく、自分の目で見たことしか信じないタイプだ。
不思議なことに疑われているのにもかかわらず、あまり不愉快ではない。
(たぶん、彼の行動原理がわかりやすいからなのよね。陛下と麗妃に心からの忠誠を誓ってる)
もし出世を狙っていたり、私を脅して良からぬことを考えているような人間ならばもっと不快感を抱く筈だ。人は、下心を隠すのが下手だから。
しかし目の前の主人からはそういったものは感じない。
「で、何したんですか」




