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「なんだ」
ぽろりと呟いてしまった単語に、兵士が返事をした。
声すら発せられないでいる私を見ながら、兵士が兜を外す。
「……! ……!」
人間は本当に驚くと言葉という概念を失ってしまうらしい。
兜の下から現れたのは、驚くほどの美丈夫だった。
切れ長の目元と、その奥に見える黒曜石の瞳。男性らしいしっかりとした鼻筋に、肉付きの薄い唇。
それらが綺麗に収まった小作りな顔。豊かな黒髪は頭の上の方で一つに結ばれ、さらりと揺れていた。
(あれっ……? この人、どこかで……?)
驚きで頭の中が真っ白になる。
なぜか既視感を抱いてしまうのに、混乱しているせいで頭が働かない。
私を見下ろす黒い瞳は鋭く、巨大な獣に見下ろされているような恐怖があった。
「……もしや、莫駿仁様、ですか?」
震える声で問いかければ、兵士は鷹揚に頷いた。
(嘘でしょ!?)
声にならない悲鳴が喉からこぼれる。
(私、何か余計なこと言ってないよね? 大丈夫だよね?)
嫌な汗が背中を伝い、せっかく暖まった身体の芯がキンと冷える。
「駿仁よ。お前、名乗っていなかったのか」
「名乗る暇もありませんでしたからね。そもそも、俺だと分らぬようにしていたのに、わざわざ名乗りはしません」
「ふふ。莫将軍は女官に人気ですものね。貴方目当ての女官たちははりきって着飾っていたのに、姿を見せぬようだから気落ちしているようでしたよ」
「それが煩わしくて姿を隠していたんですよ」
駿仁は心底煩わしそうに眉を寄せた。
どうやら女官たちからのアピールを避けるために、兵士の姿をして警護に回っていたらしい。
(しまった。まさかあの兵士が莫駿仁だったなんて)
関わるのはもっとあとだと思っていた。むしろ、直接は関わらない方がいいとさえ思っていたのに。
「おい、お前」
鋭い声で呼びかけられ、びくりと身体がすくむ。
「どうしてあの場所にいた。聞けばお前は厨房勤め。なぜ持ち場を離れ、麗妃様を探しに出た」
「それは……」
まさか漫画で知ってたなどは言えるわけもない。
「調べたところ、あの場には木天蓼や蛇があった。お前が桂々殿をおびき寄せ、あの枝に追い立てたのではないのか」
「そんな! 私は本当に偶然!」
「偶然にしては出来過ぎていると言っている。麗妃様の歓心を惹くために、桂々殿を自ら追いつめ助けてみせたのだろう」
明らかに疑われている。確かに、状況だけ見れば私が犯人でもおかしくないだろう。
駿仁が疑いたくなる気持ちもわからないでもない。
ちらりと視線を向ければ、雲奎は事の成り行きを見守ることに決めたのか、黙ってこちらを見ていた。
麗妃の方は駿仁の物言いに、片眉をわずかに跳ね上げている。
「……莫将軍の御懸念は理解できます」
「認めるのか」
私は緩く首を振る。
「いいえ。私はあの場所で鳴いている桂々様を見つけ、なんとしてでも助けねばと動いたまで。陛下に誓って何もしておりません」
きっぱりと言い切れば駿仁が納得いかないとばかりに眉間に皺を寄せた。
「なら……」
「莫将軍」
尚言い募ろうとした駿仁を止めたのは、麗妃だった。
「もし、彼女が本当に桂々を怖い目に遭わせた犯人なら、この子は決して近づかないわ。桂々がこんなにも懐いているんだもの。証拠もなく疑うのはやめてちょうだい」
麗妃が腕に抱いていた桂々を床に降ろした。にゃあと鳴いた桂々はするりと私の傍に近寄り、身体をすり寄せてくる。
「猫はとっても記憶力がいいのよ。自分に害をなした人間のことは決して忘れないわ」
「ぐ……」
悔しげに唸った駿仁は、私をぎろりと睨む。よほど気に食わないらしい。
しかし綺麗な男性だ。緑汐たちが騒ぐ理由がよく分る。
(でも、やっぱりどこかで……あ!)
駿仁の顔を眺めていて、私は既視感の正体にようやく気が付いた。
(この人、あの時の剣士じゃない!?)
彼こそ、都で男たちに追いかけられているときに助けを求めた剣士だということに。
まさかまさかの巡り合わせだ。幸い、駿仁の様子を見る限り私には気が付いていないようだ。あの時は髪で顔を隠していたし、服装もずいぶん違う。流石に勘づきはしないだろう。
(でも困ったな。こう疑われたんじゃ動きにくいかも)
これからの計画に重大な影響が出そうだと悩んでいると、麗妃が私の前にやってきた。
ためらいなく床に膝を付いた麗妃は、綺麗な手で私の両手をそっと握る。
「小怜。あなた、私の女官にならない?」
「はっ!?」
「なっ!」
私の間抜けな声と、駿仁の驚いた声が重なる。
そんな都合のいいとことが起きていいのだろうか。
「ちょうど、桂々の相手をしてくれる女官が一人欲しかったのよ。これも何かの縁だし、この銀朱宮にいらっしゃいな」
「いいんですか?」
「もちろん」
「いけません!」
声を張り上げたのはもちろん駿仁だ。
「素性も知れぬ女官を銀朱宮の女官。しかも桂々殿の相手役に任じるなど……」
「莫将軍。後宮の人事は妃に権限があります。いかに、あなたとはいえ軽々しく口出ししないでくださいませ」
「ぐっ……」
きっぱりとした麗妃の言葉に駿仁が悔しげに唇を噛む。
気が弱いとばかりおもっていた麗妃だったが、先ほどから言動を見るに案外肝の据わった女性なのかもしれない。
「はは。してやられたな、駿仁」
「陛下! よいのですか!?」
「構わぬ。先ほど、女官名簿を調べさせたが、この者の素性に後ろ暗いところは何もない。出身は小国、後ろ盾は織師。権力を笠に着るような実家もないから野心を抱きようもない。反対する理由はないだろう」
この短い間にそこまで調べられていたとは。流石は皇帝と言うべきところだろうか。
駿仁とのやりとりを聞いていると、本当に仲が良いのが伝わってくる。
「なにより銀朱宮に人が増えるのは賛成だ。麗妃の味方は一人でも多い方がいい」
「ありがとうございます陛下。それでは小怜、あなたは今日から私の女官よ。よろしくね」
にこりと微笑む麗妃は本当に美しい。
あまりにも早すぎる展開に思考が付いていかないが、渡りに船なのは間違いない。
「若輩者ですが、どうぞよろしくお願いいたします」
刺すような駿仁の視線を感じながら、私は深々と頭を下げたのだった。




