表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/56

第三章-23 雪原を駆けるエブリイと、記憶の名

氷塔のあるヴァルデンを離れ、白銀の世界をエブリイが進む。

 雪道を踏みしめるようなタイヤの音が、広大な静寂に溶け込んでいった。


 塔を後にしてから、しばらく二人は言葉を交わさなかった。

 車内には暖房の柔らかな風が流れ、かすかにエンジン音が響くのみ。


 沙良は運転席でハンドルを握りながら、フロントガラス越しに広がる真っ白な世界を見つめていた。

 夏帆は助手席で膝の上にブランケットを掛け、手元のスマホを弄っては伏せ、弄っては伏せ、何度目かの溜息をついた。


 「ねえ」


 静寂を破ったのは、沙良の声だった。


 「ユルゲンさんたちが言っていた“エルダン”っていう人だけど」


 夏帆は顔を上げ、沙良の横顔を見た。

 「うん、あたしも気になってた。塔のことを中心で研究してたのに、急に姿を消したって言ってたよね」


 沙良は小さく頷いた。

 「うん。でもね……なんか、どこかで聞いたことある気がするの。あの名前」


 雪の反射光がガラスを淡く照らし、二人の顔を白く染めている。

 夏帆は少し首をかしげ、「もしかして――」と口にしかけて、はっとした。


 「ねえ沙良。あたしたちがこの世界に来て、最初に会った人って……なんて名前だったっけ?」


 沙良の目が一瞬、驚きに見開かれる。

 ブレーキを踏む沙良。少し横滑りしながら停止するエブリイ。

 そして、ゆっくりとハンドルを握り直した。


 「……まさか、エルダン?」


 夏帆が勢いよく身を乗り出す。

 「そう! その人! エルダンって言ってた!」


 二人の声が車内で重なり、暖かな空気に揺れた。


 「やっぱり……」沙良が息を吐く。「なんか引っかかってたんだよね。最初に出会ったあの人。旅の途中で助けてくれたでしょ?」


 「うん、そうそう。雪原であたしたちが道に迷ってた時に現れて、町まで案内してくれた」

 夏帆は記憶を辿るように、指先を頬に当てる。

 「それで、一緒に町の門を通って――確か、商業ギルドの建物に入っていったのよね」


 沙良がうなずく。「ああ、そうだった。あのとき“ちょっと用があるから”って言って、それっきり姿を見てない」


 「ってことは……」夏帆は目を見開く。「商業ギルドに行けば、エルダンさんのことがわかるかもしれない!」


 沙良の目が輝いた。

 「オッケー、それ決まり!」


 彼女はクラッチを踏み込み、シフトを切り替える。

 「行くぜ――エブリイ!」


 雪煙が舞い上がり、エンジン音が高く響いた。

 白い世界の中、エブリイはまるで滑るように加速していく。


 「うわ、速っ!」夏帆がシートベルトを掴む。「ちょっと、雪道なんだから気をつけてよ!」


 「大丈夫大丈夫、チェーン巻いてるし!」

 沙良が笑いながら言う。その笑顔は塔で見せた慎重な顔つきとは違い、どこか生き生きとしている。


 「にしても、あの人……なんで博士たちと連絡取らなくなったんだろうね」

 夏帆が外を見つめる。吹雪の向こうに見えるのは、遠くの雪原に点々と並ぶ氷の尖塔群。


 「理由があるんだと思う」沙良が小さく言う。「博士の話では、資料も全部消えてたって。きっと何かを隠してる」


 「塔の研究をやめた理由が、異界に関係してたりしてね」

 「……ありえる」沙良は唇を噛む。


 エブリイのライトが前方を照らし、吹き溜まりを越えるたびに雪が舞い上がる。

 そのたび、二人の記憶の断片が蘇る――初めてこの世界に来た日、冷たい空気、そしてエルダンの笑顔。


 「ねえ沙良」夏帆がぽつりと言った。「もし、あの人が今もどこかで異界のことを研究してるとしたら……」


 「――また、会えるかもしれないね」沙良が微笑んだ。


 車内の空気が一瞬やわらぎ、暖房の音が静かに流れる。


 しばらく走ると、雪原の向こうに淡い光が見えた。

 氷の城の町へと続く灯り。街道の標識が雪の下から顔を出している。


 「あと少しだね」

 「うん、もう少ししたらマリアちゃんたちのいる宿に着く」


 夏帆はふと笑う。「あの子、絶対お茶とお菓子用意して待ってるよ」

 「だろうね」沙良も笑った。「“おかえり”って顔、想像できるもん」


 二人はそんな他愛もない会話をしながらも、心の奥には一つの確信が芽生えていた。

 ――エルダンは偶然出会った旅人ではない。

 彼こそが、塔と異界、そしてこの世界のすべてを繋ぐ“鍵”なのかもしれない。


 「ねえ、沙良」

 「ん?」

 「今度こそ、ちゃんと聞こうよ。あの人が何をしてたのか」


 沙良は笑みを浮かべ、アクセルを軽く踏み込んだ。

 「もちろん。今度は逃がさないよ」


 雪煙が舞い、車体が揺れる。

 エブリイのフロントガラスに雪が叩きつけられ、ワイパーが規則正しく動く音が響いた。


 吹雪の中を駆け抜けながら、二人の思考は未来へと向かっていた。

 エルダンがどこにいるのか。なぜ姿を消したのか。

 そして、塔と異界の“記録”が意味するものは何か。


 ――すべての答えは、エルダンが知っているはずだ。


 やがて雪原を抜け、遠くに光の輪が浮かぶ。

 氷の城の町。暖かな灯が二人を迎え入れるかのように瞬いていた。


 「見えた!」夏帆が指差す。

 「ただいま、氷の町!」沙良が笑い、クラッチを踏み込みギアを落とす。


 エンジンが唸りを上げ、雪煙が再び舞い上がる。

 ――エブリイはまるで、ふたりの記憶を乗せたまま雪原を翔ける生き物のようだった。


 その先に待つのは、再会か、それとも新たな謎か。


 いずれにせよ、彼女たちの旅はまだ終わらない。

 氷の城の光が車体を照らし、雪原の夜に道筋を描いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ