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第三章-20 塔の最上階へ

 ――塔の奥で、鈍い音が響いた。


 床を這う氷の文様が淡く青く光り、まるで塔そのものが脈を打つように波打っている。

 壁の亀裂からは白い粉塵がこぼれ、上層へ続く螺旋階段の影がゆらゆらと揺れた。


「……これ、崩れそうなんじゃない?」

 夏帆が震える声を出す。


「わかんない。でも、止まったら逆に飲み込まれそう。行こう」

 沙良は息を吸い、スマホのライトを掲げて一段目を踏み出した。


 階段は氷でできているが、奇妙に滑らない。靴底に魔力のような抵抗を感じる。

 塔は――彼女たちを“歩かせようとしている”。


 上へ行け、と促すように。


 いくつかの階を上ったところで、沙良は足を止めた。

 氷壁に、微かな文様が見える。

 線が脈打つように浮かび上がり、見慣れた形を取っていく。


「……これ、エブリイのパネルの波形だ」


 そう、数時間前に見たデータと酷似している。波形、振幅、リズム――すべてが塔の魔力の“呼吸”と重なっていた。


 夏帆が横から覗き込み、スマホを握る手を強くする。

「ねぇ……この揺れ方、私たちの世界の“信号”に似てる。もしかして――」


「うん。塔がこっちの形式に“合わせて”きてる。異界のデータを、読もうとしてるんだ」


 沙良は眉を寄せ、画面を素早く操作する。塔の内部でスマホが通信を拾うはずはない。

 それでも、手探りでディスプレイの波形を動かしてみる。音は出ない。ただ、光が脈打つ。


 試しに、周波数スライダーをひとつ動かす。


 ――塔が応えた。


 氷壁の文様が同調し、脈が揃ったように波が走る。


「……やっぱり」

 沙良は小さく息を吐く。

「エブリイとの接続が、ここでも生きてる。リンクは切れてない。向こうの世界の“鍵”を、塔が使おうとしてる」


「じゃあ、こっちから“返す”こともできる?」


「理屈では、たぶんね。やるしかない」


 塔が再び震えた。

 氷の欠片が天井からぱらぱらと落ち、青い光の中を雪のように舞い散る。


「うわ、スノードーム状態じゃん!」夏帆が叫ぶ。

「文句言ってる暇ない!」沙良はスマホを持つ手を支えながら答える。


 彼女は画面上に簡易パルス出力の項目を見つけ、設定を開く。

 そこには「周期」「位相」「振幅」のバーがあり、今にも“音楽アプリ”のように波形が並んでいる。


 手探りで動かす。何も起きない。

 もう一度、今度は逆方向に。


 低い音――いや、塔の奥から鳴るような重い共鳴が響いた。


「いまの……成功?」夏帆が息を詰める。


 沙良は目を細め、再びスライダーを操作した。

 パルスを重ね、位相をずらす。二拍目に軽いフェーズシフトをかける。


 塔が――応えた。


 氷の文様が波打ち、光が二人を包む。塔全体の震動が収まり、青い波が静かに広がっていく。


「すごい……落ち着いてきてる」夏帆がつぶやく。


「たぶん、これが“刻む”ってことなんだ。塔に“基準”を与えて、私たちの世界のリズムを刻みつける」


「異界の心……って、これのこと?」


 沙良は頷く。「塔が望んでるのは、破壊じゃない。接続。異なる世界の“心”を、共鳴させて書き換えること」


 その瞬間、塔全体が淡い光を放った。

 階段が次第に狭くなり、光の柱が上へと続く。


「行こう。上に“答え”がある」


 二人は慎重に階段をのぼり、最上階にたどり着いた。


 そこは広い空間だった。

 中央に、氷の結晶でできた巨大な球体が浮かび、まるで心臓の鼓動のように明滅を繰り返している。

 塔の“心”――そして、異界の記憶の核。


 沙良が一歩前に出ると、球体の内部に光の文様が現れた。

 複雑な紋が組み合わされ、まるで音楽のスコアのように流れていく。


 声が、響いた。


 ――『……塔の記憶を解く者よ。異界の心を、氷に刻みなさい。』


 二人の背筋に、静かな緊張が走る。


「……やっぱり。塔は私たちの世界の“心”を取り込んで、完全に共鳴させようとしてる」


「でも、それって……何を意味するの?」


 沙良は唇を噛む。「おそらく、ここの記憶が壊れかけてる。だから異界のデータを“補助記憶”として欲してるんだ。私たちの世界の情報で、空白を埋める気なんだよ」


 夏帆は思わず顔をしかめた。

「つまり……塔が“私たちを取り込もうとしてる”ってこと?」


「――違う。“選んでる”んだよ。異界の心、つまり他世界の意志を塔の構造に刻むことで、この世界をつなぎ止めるための試練。きっと、これは――接続実験の最終段階」


 塔の光が強くなった。氷の床に映る影が溶け、空気が振動する。

 球体の内部に、エブリイの形が一瞬だけ映った。


「……嘘、車の……映像?」


 次の瞬間、スマホが震える。

 画面に、見覚えのあるテキストが浮かんだ。


 《リンク信号受信:共鳴完了》

 《エブリイユニット:リモート応答待機》


「やっぱり……繋がってたんだ」沙良が息をのむ。

「こっちが送ったパターン、塔を経由して“向こう”に届いた。私たちの世界の信号が、ここを通って……」


 夏帆が画面を覗き込む。「え、じゃあ、塔そのものが……ゲート?」


 その瞬間、氷の床が一斉に光った。

 文様が浮かび、冷たい風が吹き抜ける。

 塔が、彼女たちの言葉に“答える”。


 ――『異界の心は、共に在る。刻まれし声は、記録となる。』


 風がやみ、塔の光が静かに落ち着いた。


 中央の球体が透明になり、氷の中に封じられていた“記憶”が解放されていく。

 それは、古代の風景。塔の建設者たちが笑い、祈り、そして空を見上げていた映像。


「……記録、だ……」夏帆が呟く。

「この塔、もともとは“記録装置”だったんだ。世界の出来事を、氷に封じて残すための」


「でも、時の流れで壊れてしまった。だから、異界――私たちに助けを求めたんだよ」


 沙良はゆっくりと画面を閉じ、塔の心臓部に向かって手を伸ばした。

 球体は柔らかく光り、彼女の手を拒まない。


「……もう、大丈夫。私たちは来た。あなたの声、ちゃんと届いたから」


 塔の光が最後に一度だけ強く瞬き――そして、静かに消えた。


 外では、夜明けの光が塔の外壁を照らしていた。

 崩壊の兆候はなく、氷の表面は穏やかに輝いている。


 遠く離れた門のそばで、アルト博士とユルゲンはまだ空を見上げていた。

 通信はない。だが、塔の光が和らいだのを見て、二人は無言で頷き合った。


「……やりましたね。光が、静かになった」

「ええ。彼女たちが“刻んだ”んですよ。異界の心を」


 博士の声は低く、どこか安堵を含んでいた。


 そして塔の頂では、

 沙良と夏帆が、静かに見つめ合っていた。


「終わった、のかな」

「うん……でも、たぶん、ここからが本当の始まり」


 風が静かに流れ、氷の塔の中で二人の影がゆっくりと溶けていく。

 光の中で、彼女たちのスマホが淡く瞬き、最後のメッセージを表示した。


 《記録完了:異界の心、受信》

 《塔との共鳴、安定》


 そして――音もなく、画面が暗転した。

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