第三章‐15 隣町ヴァルデン到着
雪に覆われた街道を抜け、南へ――
二日間の道のりの果て、白い霧が薄らいだとき、遠くに塔のような影が現れた。
氷の結晶が層をなす巨大な壁。淡い光を放ちながら、まるで冬そのものが形を取ったかのようにそびえている。
「……あれが、ヴァルデン?」
助手席の夏帆がフロントガラス越しに目を細めた。
沙良は頷き、ハンドルを握る手に少し力を込めた。
「たぶんね。……やっと着いた」
エブリイのエンジンは低く唸り、雪を踏みしめながら進む。
滑りやすい坂道を登りきると、目の前に巨大な門が現れた。氷で造られた装飾が輝き、その表面には淡い魔法陣が浮かんでいる。
門の両脇には槍を構えた兵士たち。彼らの鎧もまた、氷の粒が光るように冷たく美しかった。
「止まれ! ――馬がいない?」
一人の兵士が驚きの声を上げ、仲間と顔を見合わせる。
エブリイの前に立ち、ゆっくりとその金属の車体を眺めまわした。
「ええ、“魔導馬車”みたいなものです」
沙良は笑顔で窓を少し開け、説明する。
兵士たちは顔を見合わせ、やがて一人が頷いた。
「なるほど……お前たちが“銀色の魔導馬車”の旅人か」
「うわさになってるの?」夏帆が小声で呟く。
「数日前から話が届いている。北の方角に、光る馬車のようなものが走っていたと」
兵士はにやりと笑い、「陛下も興味を持たれているとかいないとか」と冗談めかして言った。
「へぇ……」沙良は曖昧に笑って頷く。
「この門の中には、町の管理局の詰所がある。もし滞在するなら、そこに立ち寄ってくれ」
「ありがとうございます。ここに車を置いても大丈夫ですか?」
「門の内側は狭い。魔導馬車は門の外の雪地に停めておくといい。警備の者が見張りをしておこう」
「助かります」
沙良は礼を述べ、エンジンを止めた。
二人は荷物をまとめて車外へ出る。エブリイの金属が冷気で軋む音を立てた。
門番に軽く会釈をして、徒歩で門をくぐる。
途端に、空気の質が変わった。外の冷たい風と違い、町の中は薄い魔力の膜に覆われているようで、寒さが和らいでいる。
「……不思議な感じ」
「たぶん、魔法障壁みたいなやつかな」
二人は顔を見合わせ、白い息を吐いて笑った。
通りの先には、氷の結晶で造られた建物が並び、光を反射して町全体が淡く輝いている。
行き交う人々の衣服もどこかきらびやかで、魔力を編み込んだような装飾がちらちらと光る。
「ようこそ、ヴァルデンへ」
声をかけてきたのは、濃紺のマントを羽織った青年だった。背は高く、白銀の髪が淡い光を反射している。
彼は穏やかな笑みを浮かべながら二人に歩み寄った。
「私はユルゲン。町の案内を任されている者です」
「えっと……沙良です。こっちは夏帆」
「どうも。旅の途中で、ちょっと寄らせてもらいました」
夏帆が軽く頭を下げると、ユルゲンは頷いた。
「君たちの“魔導馬車”の噂は、すでにここまで届いている。正直、見てみたくてたまらなかったんだ」
「見た目ほどすごくないですよ。動くだけです」沙良が苦笑する。
「動くだけ、ね……」ユルゲンは意味深に微笑んだ。
「ぜひ町を見ていってください。案内をさせてもらってもいいですか?」
二人は顔を見合わせ、そして頷いた。
ユルゲンの案内で、沙良と夏帆は氷の街の中心へ向かった。
通りを歩くたび、足元が淡く光を返す。氷の石畳には魔力を封じ込める術式が刻まれており、歩く者の体温で反応するらしい。
冬の冷たさに慣れた二人ですら、どこか息を呑むほど幻想的だった。
「……まるで、街全体が一つの魔法みたいだね」
夏帆がつぶやく。
「ほんと。雪なのに、寒くないって変な感じ」
「町の外とは別世界だろう?」ユルゲンが振り返る。「ヴァルデンの外壁には氷結障壁が施されていて、魔力の流れを利用して温度を保っているんだ」
「魔法で“暖房”してるのか」
夏帆が感心して目を丸くする。
「厳密には魔力の循環だ。冬は熱を、夏は冷気を通す。……もっとも、君たちの“銀の馬車”も十分不思議だけどね」
「まぁ、私たちの世界ではこれが普通なんです」沙良が笑う。
そんな軽口を交わしているうちに、視界がひらけた。
氷の柱が立ち並ぶ広場――中心には巨大な結晶塔がそびえ、その根元には噴水のように魔力の光が揺れている。
「ここが中央広場だ」ユルゲンが言う。
昼下がりの淡い光の中、十数人ほどの人々が集まっていた。市場帰りの商人、荷を運ぶ青年、そして鎧をまとった騎士風の男。
彼らの視線が一斉に、門の方から歩いてくる三人――いや、“二人と一台”に向けられた。
「おお、噂の……!」
誰かの声が上がる。
沙良は少し緊張しながらも、そっと振り返る。
町の遠く、雪にかすむ通りの向こう――門のそばに停めた銀色のエブリイが、わずかに陽光を反射していた。
まるで自分たちを見守るように、静かにそこに佇んでいる。
「……見られてるね」
「まあ、そりゃそうでしょ。こんなの、こっちの世界じゃありえないもん」
夏帆は肩をすくめ、苦笑した。
そこへ、一人の老人が人混みをかき分けて進み出た。
白い髭に雪が絡まり、氷結石の杖を手にしている。
ユルゲンが軽く頭を下げる。
「この方はアルト師匠。この町の魔術師であり、氷結研究所の長です」
「……ほう、噂の銀の馬車とはこれか」
アルトは目を細め、沙良と夏帆をじっと見た。
「そして、この馬車を操る娘たち……。なるほど、確かに予言にあったとおりだ」
「予言……?」
二人が同時に首を傾げる。
老人は杖を雪に突き立て、低く唸るように言葉を続けた。
「『銀の光、北より降りて、凍てつく門を越えしとき、失われし風が再び吹く』――」
「それ、何かの詩ですか?」
沙良が恐る恐る尋ねると、アルトはわずかに笑った。
「我らの国に伝わる古き予言だよ。銀の馬車が再び現れる時、氷の国に変化が訪れると」
「つまり……その“銀の馬車”が、うちのエブリイ?」
「そうとしか思えん」
ユルゲンが静かに頷く。
「そして、あなたたちがこの町に来たのも、偶然ではないのかもしれない」
広場の人々がざわめいた。
「銀の旅人たち……」「凍てつく国を救う者たち……」――そんな言葉が、口々に漏れる。
沙良は困ったように笑って、頭をかいた。
「いやいや、私たちそんな大層な者じゃないです。ほんと、ただの通りすがりです」
「そ、そうそう。予言とか救世主とか、ちょっと荷が重いんで」夏帆も苦笑いする。
だが、アルトは首を振った。
「通りすがりであろうとも、何かが“導いた”のだ。……お前たちがこの地に着くより前に、氷壁の魔力が一時的に震えた。まるで、外からの何かに反応したように」
「え……?」
ユルゲンが頷く。
「実際、昨日の夜、氷壁の紋章が一瞬だけ光を失った。あれはただの偶然とは思えない」
沈黙が降りた。
氷の風が、塔の先端を吹き抜ける音だけが響く。
やがて、夏帆が小さく息を吐いた。
「……つまり、私たちが来たことで何かが動いた、ってこと?」
「そういうことだろうね」沙良が答え、わずかに笑った。
「また面倒くさいことになりそう」
「ほんとに」
だが、二人の笑顔には、不思議な強さが宿っていた。
この異世界での旅に、また新しい目的ができたのかもしれない。
――銀の光を待っていた者たち。
――そして、それを運ぶ“馬車なき馬車”。
ヴァルデンの空は相変わらず白く、静かに雪が舞っている。
けれどその雪は、どこか温かかった。




