第三章‐14 街道と、ちょっとしたトラブル
昼下がりの陽射しが雪の残る街道を照らしていた。
門を出たエブリイは、低いエンジン音を響かせながらゆっくりと進む。
「……なんか、久しぶりに“遠出”って感じするね」
「うん。ここ数日は実験とか、宿とギルドの往復だったもんね」
沙良はハンドルを軽く握り、前方を見つめた。
エブリイの前には、雪解けの水が細い川のように流れ、舗装のない道を反射させている。
「これ……道、だよね?」
「道だよ。うん、たぶん」
「“たぶん”て!」
二人の笑い声が車内に響いた。
後部ベッドの上では、荷物がコンパクトにまとめられている。乾燥パン、飲料水、毛布、携帯ランプ、そしてマリアがこっそり入れてくれた“焼きラビットまんじゅう”の包み。
「……うわ、これ、まだ温かい」
夏帆が包みを開けると、ほわっと肉と香草の香りが広がった。
「マリアちゃん、ほんといい子だなぁ」
「うん。もうちょっとで“帰りたくなくなる指数”が限界突破するね」
「それは困るでしょ!」
ふたりは笑いながら、焼きまんじゅうを半分こにした。
街道の左右には針葉樹の森が続いていた。
冬の間に積もった雪はまだ完全には溶けず、木々の影が淡い青を落としている。
遠くから鳥の声が聞こえ、時折、木の枝から雪の塊が落ちて“ぼふっ”と音を立てた。
「ねぇ、沙良」
「うん?」
「なんかさ、こうやって見ると、この世界って……ちゃんと“季節”あるよね」
「そうだね。春が近いの、わかる」
「このまま帰れなくても、ここで暮らせるかもって思っちゃう」
沙良はハンドルを軽く叩いた。
「でもさ、私たち、元の世界では学生だったんだよ」
「うん。就活も始まる頃だった」
「それが……いきなり異世界。しかも車付き」
「キャンパスライフからキャンプライフだね」
二人は笑い、前を見据えた。
午後を過ぎる頃、空が少し曇り始めた。
山の影が長く伸び、冷たい風が車体を揺らす。
「……ちょっと風出てきたね」
「うん。天気、怪しいかも」
沙良はディスプレイオーディオの時計を確認し、エブリイを停めた。
「今日はここで野営にしよっか。暗くなる前に」
「賛成。さすがに夜の森は危ないし」
道の脇には、木々に囲まれた少し開けた空間があった。
二人は車をバックさせ、木立の陰に停める。
夏帆が後部の荷物を整理しながら、
「なんか、キャンプ思い出すね」
「うん。サークルで行った時の。あの、焚き火の煙で髪が大惨事だった夜」
「あははっ、あったねぇ!」
懐かしさに笑いながら、二人はランプを灯し、小さな鍋にスープを温めた。
香ばしい湯気とともに、夜の気配が少しずつ近づいてくる。
森の中は静かだった。
火のはぜる音と、時折聞こえるフクロウの声。
エブリイのヘッドライトを消すと、星々が驚くほど近く見えた。
「……すごいね」
「地球より星が近い気がする」
「気のせいだよ」
「いや、気のせいじゃない……たぶん」
夏帆は寝袋を広げ、後部ベッドに潜り込む。
沙良もランプを調整して、その隣に腰をおろした。
「ねぇ、沙良」
「なに?」
「帰ったら、どうする?」
「帰れたら、ってこと?」
「うん」
「……まずコンビニ行く」
「そこ!?」
「だって、あのホットスナック食べたいんだもん」
「……わかる」
二人の笑いがまた小さく響いた。
だが――
夜半。
小さな異音が静寂を破った。
「……ん?」
沙良が寝袋の中で耳を澄ます。
“カサ……カサ……”と、雪の上を歩くような音。
「夏帆、起きて」
「……んぁ? もう朝?」
「なんか、外で音する」
二人は顔を見合わせ、ランプを手に取る。
車の外、木立の向こうで何かが動いた。
月明かりの中、白い毛のようなものがちらりと光る。
「ホーンラビット……?」
「たぶん」
昼間見かけたものより一回り大きい。
雪に紛れてこちらをうかがっている。
「……どうする?」
「エブリイの中にいれば大丈夫だよ」
そう言いかけた瞬間、
“ドンッ!”
車体が小さく揺れた。
どうやらラビットが突進してきたらしい。
「ちょっ!? やめてぇぇぇ!! 傷つく!!」
「沙良! ライトつけて!」
ヘッドライトがぱっと点く。
光に驚いたホーンラビットは目をしばたたかせ、その場でピタリと止まった。
「……こ、これって」
「うん。魔法防御の効果……かな?」
車体を包む淡い光の膜。
以前の魔法実験で付与した防御魔法が、しっかり発動している。
ホーンラビットはしばらく光を見つめたあと、ふらりと後ずさりし、森の奥へ逃げていった。
二人は顔を見合わせ、ため息をつく。
「……無傷」
「エブリイ、よくやった」
「ほんと、“安全ヨシ”だね」
沙良が指をピッとさす。
「安全運転ヨシ!」
夏帆も指さし確認のポーズで応じた。
二人の笑い声が、静かな森にこだました。
翌朝。
冷たい空気の中、木々の間から金色の光が差し込む。
鳥のさえずりに混じって、雪解け水の音が流れる。
「おはよ……寒っ」
「おはよー。スープ、温め直したよ」
鍋から立つ湯気を吸い込みながら、二人は外の空気を見た。
遠く、南の方角。
薄い霧の向こうに、小さな塔のような影が見える。
「……あれ」
「町じゃない?」
二人は同時に顔を見合わせ、笑った。
「行ってみよっか」
「うん」
荷物を片づけ、エブリイに乗り込む。
エンジンが再び静かに唸りをあげた。
車体の横には、昨夜ぶつかった跡などまるでない。
むしろどこか、光沢が増しているようにも見える。
「……もしかして、防御だけじゃなくて、自己修復?」
「うわ、新車になっちゃうじゃん(笑)」
「エブリイ……君はどこへ行くんだ」
二人の笑いが車内に響いた。
雪道を踏みしめながら、銀色のエブリイはゆっくりと隣町へ向かう。
その瞳――いや、ヘッドライトの奥には、
確かに“冒険の光”が宿っていた。




