第三章‐13 隣町へ行ってみよぉぉ!!
朝の光が宿屋の二階の窓から差し込む。
鳥の声と、下の厨房から聞こえるスープの煮える音。香ばしいパンの香りに、夏帆がもぞもぞと布団の中で寝返りをうった。
「……さっむ。毛布もう一枚……」
「はいはい、寝坊助さん。そろそろ起きなさい」
カーテンを開けた沙良が、あきれ顔で笑う。
窓の外には、雪解けの始まった街並みが広がっていた。
「ねぇ、今日さ」
「うん?」
「ちょっとギルド行ってみない?」
「えぇぇ、魔法ギルドは、おなかいっぱぃぃぃ」
「そっちじゃなくってぇ(笑)」
「ん……狩人ギルド?」
夏帆が上体を起こして、ぼさぼさの髪をかき上げた。
昨夜のラビットのフルコース――ラビットシチュー、ロースト、パイ――を食べすぎたせいで少し胃が重いらしい。
「昨日の話、もうちょっと詳しく聞きたいの。外の世界のこと」
「なるほどね。確かに、隣町くらいの距離とか、地形とか全然わかんないし」
「そうそう。地図はよくわかんないし、なんとなく走って行って“道が消えた”とか洒落にならないから」
二人は顔を見合わせ、頷きあった。
昼前。
狩人ギルドは相変わらず賑やかだった。
壁に貼られた依頼書は新しい紙に貼り替えられ、受付前では新人らしき若者が大声で相談している。
「わ、やっぱり活気あるね」
「まぁ、狩人っていってもみんな生活かかってるしね」
沙良と夏帆は入口をくぐり、ふとカウンターの端を見て声をそろえた。
「あっ!」
「レオンさん!」
以前、ホーンラビット退治の時に世話になった青年――レオン。
短く刈った金髪に、皮のコートを羽織っている。あいかわらず人懐っこい笑みで手を上げた。
「おお、久しぶりじゃないか! 二人とも元気そうだな」
「はい、おかげさまで。あの時は助かりました」
「こっちこそ。あの銀の……えっと、エブリイ? あれにはびっくりしたよ」
笑いながら近づいてきたレオンに、沙良が切り出した。
「実は、ちょっと聞きたいことがあって」
「なんでも聞いてくれ」
ギルドの奥のテーブルで、温かいハーブティーを飲みながら三人は腰をおろした。
「この町の外って、どんな感じなんですか?」
沙良の問いに、レオンは少し顎に手をあてて考え込む。
「そうだな……北は山道を超えれば鉱山の村がある、西と東は森がずっと続いてる。おれも森狩りの仕事で何度か入ったが、あの奥はまだ誰も地図にできちゃいない。森を抜けると丘陵があって、さらに向こうが雪山だ」
「雪山かぁ……」
「南に向かえば、五日くらい馬車で走ったところに町があるよ。交易も少しやってる。ここほど大きくはないけど、宿屋もあるし、鍛冶屋もいる」
「あれ?《ヴァルデン》て、前マリアちゃんが三日くらいって……。」
「あぁぁ、普段ならそれくらいで行けるだろうが、この時期は天候が荒れるかもしれないから、五日は見たほうが良い」
「へぇー! 五日って、馬車でですよね?」
「そう。だからお前たちの“銀の魔導馬車”なら、もう少し早いんじゃないかな」
「……魔導馬車、ですか」
「みんなそう呼んでるよ。燃料の炎も煙もなく走るってんで、王都の噂にもなってる」
沙良と夏帆は顔を見合わせた。どうやら、陛下が爆走した件は、すっかり伝説になっているらしい。
「じゃあ、その隣町からさらに行くと……?」
「うん。そこから南へ抜けると、国境の街道に出る。隣国は山越えになるが、越えれば別の王国だ。ただ、そこまで行ったことのある奴はほとんどいないな」
レオンは肩をすくめた。
「危険ってこと?」
「まぁな。途中の森は魔獣が多い。だが道さえ間違えなければ、隣町まではそう危なくない」
「なるほど……」
沙良は地図もどきの紙にメモを取りながらうなずいた。
「ありがとう、レオンさん。助かりました」
「なんの。……お前たち、もしかして行く気なのか?」
「まぁ、ちょっとだけ偵察に」
「気をつけろよ。あの辺りはここよりましだが、まだ冷える。防寒具と食料は忘れるな」
そう言ってレオンは笑い、ポケットから乾燥肉を二人に渡してくれた。
「お守り代わりだ。いざという時にかじれ」
「ありがとうございます!」
ギルドを出るころには昼を過ぎていた。
通りの屋台では焼き立てのパンの香り。冬空の下、町の人々が笑いながら買い物している。
「ねぇ、沙良」
「うん?」
「行けると思う?」
「うーん……馬車で五日ってことは、エブリイなら……日帰りは無理だけど、二日くらい?」
「だよね。だったら、泊まりの準備はそろってるし、行けそう」
「そうね。どのみち、帰るための情報を探すなら、外に出ないと見つからない」
二人の視線は自然と南の街道へ向いた。
宿屋「ミスターブラウン亭」”二人の中では” に戻ると、厨房の奥から大将が顔を出した。
「おう、嬢ちゃんたち。昼か? それともおやつか?」
「お昼お願いしまーす!」
「マリアー! 二人分だ!」
看板幼女マリアが元気に「はーいっ!」と返事をして、皿を抱えて走ってくる。
今日のランチは、野菜のスープとハーブチキン、それに焼きたてのパン。
「うまっ……」
「ねぇ、ここのスープ、絶妙だよね。塩加減とか」
「この世界の料理、結構レベル高いよね」
「うん、コンビニ飯に戻れる気がしない……」
二人は笑い合いながら食事を終えると、マリアが「デザートにラビットパイありますよぉ」と嬉しそうに差し出した。
「ねぇ、沙良」
「ん?」
「隣町、行けるんじゃね?」
「……やっぱり、そう思う?」
「うん。今のエブリイなら、全然いけると思う」
「私も。じゃあ、いつ行く?」
「え? 今でしょ!」
夏帆が笑顔で親指を立てる。
沙良は吹き出した。
「出た、令和ネタ……」
「いいじゃん、定番!」
二人のやり取りを聞いていた大将が、スプーンを置いて目を丸くする。
「おいおい、どこ行くって?」
「ちょっと、隣町まで出かけてきます!」沙良。
「しばらく留守にしますー」夏帆。
大将は腕を組んでしばらく考え、それからニッと笑った。
「まぁ……あの銀の馬なしがあれば、なんとかなるだろ。気をつけて行ってこい」
「ありがとうございます!」
マリアは小さな手をぶんぶん振って、
「行ってらっしゃぁい!」
二人も笑顔で手を振り返した。
宿屋の裏の駐車スペース。
そこには、相変わらずピカピカに磨かれたエブリイが待っていた。
昨日の試運転でついた雪や泥は、すでに沙良が拭き取ってある。
「さて……」
「出発しますか!」
エンジンが静かに唸りをあげる。
兵士が門を見張っていた。見慣れた顔に、二人は窓を開けて挨拶する。
「お出かけか?」
「はい、ちょっと隣町まで」
「おお、気をつけてな。魔物の巣の近くは通るなよ」
「はーい!」
門が開く。
冷たい風が吹き抜け、雪解けの泥道が続く。
「じゃ、行ってみますかぁ!」沙良。
「いってみよぉぉ!!」夏帆。
エブリイがゆっくりと走り出した。
白い道を踏みしめながら、ふたりの心は高鳴っていた。
未知の隣町。
もしかしたら――
“帰る手がかり”が、そこにあるかもしれない。
車内には、いつもの音楽代わりに風の音と笑い声。
エブリイはゆっくりと、しかし確実に南の街道を進んでいった。




