第三章-11 強化エブリイ試運転
氷の城の広い中庭に、銀色の小さな車――エブリイが待機していた。
つい先ほど魔法ギルドによる強化実験を終え、輝きを増したその車体は、どこか誇らしげに雪の光を反射している。
「よし、準備はできたね」
運転席に乗り込んだ沙良が、シートベルトをしめながら小さく息を吐いた。
助手席には夏帆が座ろうとした――そのとき。
「待てぇぇい!!」
高らかな声が城門前に響いた。衛兵たちが一斉に姿勢を正す。
雪煙を蹴散らしながら現れたのは、この氷の城を統べる女王――レイアナ・フロスト陛下であった。
「わらわも乗せるのじゃ!」
いつもの威厳ある王冠と、青氷のローブを翻して、彼女はずいっと車に歩み寄る。
「えぇぇっ! またぁ女王陛下が!?」
沙良と夏帆は同時に目を丸くした。
陛下は車体をじろじろ眺め、まるで新しい玩具を前にした子供のように目を輝かせている。
「この前は城下町をひとっ走りしてくれたであろう。あの爽快感、忘れられん! 今日も試運転とか申しておったな? ならばわらわも同行するぞ!」
そう、女王陛下はかつてエブリイで大暴走を繰り広げ、城下町の人々を肝を冷やさせた前科があるのだ。沙良と夏帆にとっては忘れられない悪夢である。
沙良は深いため息をついた。
「……仕方がないですねぇ。でも、本当にいいんですか? 許可とか取ってないですけど」
「わらわが許可じゃ!」
女王は胸を張り、高らかに宣言する。
「あぁぁ~そーだよねぇェェ」
二人は同時に脱力し、頭を抱えた。
「えっと……ですが陛下……」
沙良が言い淀むと、夏帆が先に声をあげた。
「あたし、後ろへ回るよ」
助手席から降り、後部へ移動しようとする夏帆。しかし後部はシートをたたんでベッド仕様にしてあるため、シートベルトなどは存在しない。
「後ろは座席もないし、ベルトもしめられないから……スピードは出さないでね? 安全運転でね」
夏帆は後部ベッドに腰を下ろし、ぴしっと背筋を伸ばして右手を上げて指をさす。
「安全運転――ヨシ!!」
猫の作業員が安全確認するかのような調子で、きっぱりと宣言する。
「……はいはい、安全第一で」
沙良は苦笑しながら頷く。
一方で陛下は助手席におさまり、膝の上で手を組んでいる。
「心得た! 心得たとも! わらわは大人しく座っておる……(うずうず)」
そう言いながらも、体は小刻みに揺れ、今にも「もっと速く!」と言い出しそうな雰囲気だった。
そして雪原へ
衛兵たちの敬礼を受けながら、エブリイは城門をくぐり抜け、真っ白な雪原へと滑り出した。
エンジンは以前よりも安定し、魔法陣で強化されたせいか走行音が軽やかだ。雪道でもタイヤが沈みにくく、車体がふらつかない。
「おぉ……! 馬車とは違うのぉ、なんと滑らかな……!」
助手席で陛下が感嘆の声をあげる。
「揺れも少ないね。これなら長距離でも疲れにくそう」
沙良も手応えを感じていた。
後部では夏帆が、両手を腰に当ててどっしりと座り、まるで現場監督のように言い放つ。
「安全運転ヨシ! 揺れヨシ! 後方確認ヨシ!!」
「誰に確認してるのよ……」
沙良が肩をすくめる。
「自分……?」夏帆
護衛の兵士たちは馬や徒歩でついてくる。今日はスピードを抑えているため、置いていかれる心配もない。
ただ、彼らの目は不安げだ。「陛下がまた……」という表情を隠しきれていない。
やがて林の手前に差しかかったとき――。
「キュゥゥッ!」
雪の中から、角の生えた兎――ホーンラビットが飛び出した。群れだ。
「出たか!」
女王陛下が嬉々として身を乗り出す。
「ちょ、陛下! 動かないで!」
沙良はハンドルを切り、群れを避けつつ慎重に進む。
数匹のホーンラビットが跳ねて車体に飛びかかる――だが。
バチィッ!!
透明な光の膜が瞬き、衝撃を弾き返した。
魔法ギルドが付与した防御魔法が作動したのだ。
「すごい……本当に効いてる!」
沙良は目を見張る。
弾き飛ばされたホーンラビットは雪に転がり、目を回して気絶した。
ほかの個体は驚き、警戒するように後ずさり――やがて森の奥へと逃げていった。
「ふははは! 見たか、沙良よ! わらわのエブリイ、無敵ではないか!」
「……陛下のじゃないです!」
「ちがうのかぇぇー?」
助手席と運転席の言い合いを、後部から夏帆が「ホーンラビット、ヨシ!!」と一言で流す。
護衛の兵士たちは安全が確認されると近づき、雪に倒れたホーンラビットを捕獲した。
「陛下、こちらの個体はすでに気絶しております。討伐し、持ち帰ります!」
「うむ、よき働きじゃ!」
気絶した魔獣はすべて兵士が仕留め、荷にくくりつけて運ぶ。
沙良と夏帆は胸をなで下ろした。
「……すごいね、本当に守ってくれるんだ」
「これなら襲われても大丈夫そうだね」
試運転を終え、エブリイは再び氷の城へ帰還した。
衛兵たちは「暴走がなくてよかった……」と胸を撫で下ろす。
「ふむ……やはり全力疾走の爽快さが無かったのは残念じゃが、安全運転もまた悪くないものじゃな」
女王陛下は満足げに微笑んだ。
夏帆は後部ベッドから顔を出し、猫のように手を上げる。
「安全運転ヨシ! 試運転ヨシ! 結果もヨシ!!」
「……うん、まあ、良しとしようか」
沙良は苦笑いしながらエンジンを止めた。
このあとギルドに報告すると、魔法使いたちは大盛り上がり。
「実験成功!!」と拍手喝采で迎えられた。
しかし沙良と夏帆の胸には、ほんの少しの不安も残っていた。
――もし、もっと大きな魔獣が現れたら?
――もし、この魔法が破られることがあったら?
――もし、この土地から離れたら?
そんな懸念を抱えつつも、とりあえず今回の試運転は無事終了したのだった。




