第三章-7 帰路の不安とギルド報告
採取を終えた頃、空は既に赤く染まり始めていた。
雪雲の切れ間から差す夕日が、真っ白な森を茜色に染めている。
「やば……結構時間かかったね」
夏帆が吐く息を白くして、慌てた声を上げる。
「町まで戻るには急がないと」
沙良もスキーウェアの肩にかけた小さな布袋をぎゅっと押さえた。薬草を詰めた袋がそこに収まっているのを確認すると、安心と同時にずっしりとした責任感が胸を満たす。
レオンは前に立ち、足早に雪道を進んでいた。革鎧の上に羽織った毛皮のマントが、夕日に照らされて黒々と揺れる。
「暗くなると気温が一気に下がる。それに、森の魔獣も活発になる。気を抜くな」
レオンの声はいつもより硬かった。
二人は無言で頷き、ゴーグル越しに森の影を見つめる。雪に覆われた世界は美しいが、同時に危険でもあることを、二人はこの二日で嫌というほど思い知っていた。
そのときだった。
雪をかき分ける音が、風の中に混じった。
「……来るぞ」
レオンの声に、二人は身を固くする。
木々の影から現れたのは、白い毛並みの狼――スノウウルフ。赤い目が夕日に反射し、不気味に光る。
「うわぁぁぁぁ!」
「やっぱり出たー!!」
二人は叫びながらスキーのストックを構えた。だがレオンが素早く矢をつがえ、弓を引き絞る。
ビュンッ――矢は唸りを上げて放たれ、狼の前足のすぐ横に突き刺さった。雪が散り、スノウウルフは低く唸り声をあげて後退する。
「逃げろ! 俺がやる!」
レオンは短剣を抜き、雪を蹴って前に出た。
だが狼は一匹ではなかった。木々の間から、もう二匹、三匹と姿を現す。雪原に白銀の影が広がっていく。
「え、群れ!? 聞いてないんですけど!」
沙良の声が裏返る。
「狼は群れで狩るんだよ!」
夏帆が半泣きで叫ぶ。
レオンは短剣を握り直し、低く構えた。
「……何してる!走るぞ。全員まとめて相手にするには数が多すぎる」
「え、え、逃げるの!?」
「言っただろ!当たり前だ! この距離なら町まで持つ!」
レオンが叫ぶや否や、三人は雪を蹴り、駆け出した。
森を駆け抜ける。雪を踏みしめる音がやけに大きく響く。
背後からは獣の唸り声と、雪を裂く爪の音が追ってくる。
「ひぃぃぃ! めっちゃ近いって!」
「こっち来んなーっ!」
沙良は必死にストックを振り回し、後ろへ突き出す。カーボン製の棒が雪狼の鼻先をかすめ、甲高い悲鳴が上がった。
「サラ、前見て走れ! 転んだら終わりだ!」
レオンが怒鳴る。
「わかってるーっ!」
雪道は滑りやすく、足を取られるたびに冷や汗が背を流れる。だが幸運にも、スキーウェアとブーツ、そしてゴーグルが役立っていた。多少曇ってきたが冷気で視界を奪われず、雪が靴の中に入りにくい。それがなければ、とっくに転倒していたかもしれない。
森を抜けかけたとき、レオンが振り返って弓を引いた。
追ってきた一匹に狙いを定め、矢を放つ。矢は狼の後脚を掠め、獣はバランスを崩して雪に倒れ込む。
「今だ、走れ!」
三人は最後の力を振り絞り、森を飛び出した。
眼前に広がったのは、薄闇に包まれ始めた雪原。そしてその向こうに、町の外壁が見えた。
「見えた……!」
「あと少し……!」
カホが息を切らし、サラが泣きそうな声で笑う。
背後ではまだ狼の遠吠えが響いていた。だが距離は広がっている。追撃の気配はない。
ようやく町の門が目前に迫ったとき、三人はほぼ同時に膝から崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
「マジで心臓止まるかと思った……」
二人は雪に倒れ込みながら叫ぶ。
レオンは息を荒げつつも、まだ周囲に警戒を向けていた。
「……よし。ここまで来れば安全だ」
その声を聞いた瞬間、二人は大の字に雪に倒れた。
夜の帳が落ちる頃、三人はようやくギルドに戻ってきた。
暖炉の火がぱちぱちと音を立てるロビーに入ると、全身の緊張がほどけていく。
受付嬢が顔を上げ、彼らの姿を見るなり微笑んだ。
「おかえりなさい。薬草は採れましたか?」
「……あぁ、なんとか」
レオンが袋を差し出す。
受付嬢は中身を確認し、満足そうに頷いた。
「はい、確かに十株以上あります。これで依頼達成です」
机の上に置かれたのは、小さな革袋。
サラが恐る恐る開けると、銀貨がきらりと光った。
「わぁ……! 本当にお金だ……!」
「これで冒険者っぽくなってきたね」
二人の頬は自然と緩む。疲れ切ってはいるが、心の奥から湧き上がる達成感がその表情を照らしていた。
「よくやったな。初めてで雪狼に遭遇して……普通なら帰ってこれるかどうか」
レオンが少し誇らしげに笑う。
「でもレオンさんがいなかったら、ほんとに死んでたよ……」
夏帆が真顔で呟くと、沙良も強く頷いた。
「これからも頼りにしちゃうかも」
「ハハ、まぁ、ほどほどにな」
暖炉の火が赤く揺れ、三人の影を壁に映し出す。
異世界の冒険はまだ始まったばかりだ。だが、彼女たちは確かに最初の一歩を踏み出したのだった。




