第三章-4 情報収集?
翌朝。
ミスターブラウンの宿屋の食堂は、焼きたてのパンと香ばしいスープの匂いで満ちていた。
昨夜の大騒ぎの余韻を残しつつも、いつもの朝の営みが始まっている。常連らしい商人たちは既に地図や帳簿を広げ、農夫は大きな背負い籠を横に置いて温かいスープを啜っている。
窓際の席で、沙良と夏帆も湯気の立つスープ皿と焼きたての黒パンを前に座っていた。だが、二人の表情はなんとなく浮かない。
「……私たち、さ」
パンをちぎりながら沙良がぼそりと口を開いた。
「うん?」夏帆が顔を上げる。
「私たち、この世界のこと知らなさすぎる!」
食堂に響くほどの大声。周囲の客が思わず振り向く。
「な、なんだ?」という視線を向けられ、夏帆は慌てて手を振った。
「こ、声でかいって! ほら、みんな見てる!」
「だってぇぇ!」沙良はパンを握りつぶしながら、吠えるように続ける。
「だってさ! この町の名前すらまともに覚えてない! 地図も知らない! 昨日だってホーンラビットに襲われるし! 何この情報不足!」
夏帆は吹き出しそうになりながらも、肩をすくめて冷静に返す。
「まあねぇ。正直、ここの周辺どころか、隣町があるのかどうかも分からないし。お金の価値も感覚でしか掴めてないし」
「でしょ!? 私たち、異世界初心者すぎる!」沙良は力説する。
「……いやまあ、転移してきたばっかだし仕方なくない?」夏帆が苦笑すると、沙良はテーブルを叩いてさらに吠える。
「冒険者ギルドはどうした!? ほら、異世界あるあるだと必ずあるじゃん! 商人ギルドがあるのに、冒険者ギルドが見当たらないのおかしいじゃん!」
周囲の客がクスクスと笑い、誰かが「嬢ちゃんたち、朝から元気だな」と呟く。
夏帆は顔を赤くして小声で言った。
「どうしたっていうか、そもそも聞いてないし、調べてもないでしょ……」
「うっ……そ、それはそうだけど!」
そこで沙良は、ふと給仕をしている小さな姿を見つけた。
「……あっ! マリアちゃぁぁぁん!」
両手を大きく振る沙良。
宿屋の娘マリアは、銀のトレイを持ったまま、くるりと振り向いた。まだ幼い声で、けれどしっかりとした口調で返す。
「はぁい! なぁに、沙良おねーちゃん!」
トレイを器用に抱えて近寄るマリア。その姿はまだ小学校低学年くらいにしか見えないが、この宿の看板娘として立派に働いている。
「ねぇねぇ、マリアちゃん! この町のこと、ギルドのこと、周りにどんな場所があるのか教えてほしいんだ!」沙良が身を乗り出す。
「え? えっとぉ……質問がいっぱいだぁ」マリアはきょとんと目を瞬かせる。
夏帆が横から補足する。
「ごめんね、マリアちゃん。あたしたち、この町に来たばっかりで、全然分からないの。だから、町のこと、教えてほしいな」
「うん! わたしで分かることなら!」マリアは胸を張った。
「えっとね、この町は《リューゲン》っていうの。冬の間も交易の馬車が通るから、宿場町なんだよ」
「リューゲン……そういえば看板に書いてあったかも」沙良が小声でつぶやく。
「ギルドはね、商人ギルドがいちばん大きいの。あとは職人ギルドと、狩人ギルド!」
「狩人ギルド?」夏帆が首をかしげる。
「そう! 冒険者ギルドっていうのは聞いたことないけど、狩人ギルドがそれっぽいんじゃないかな。森で獲物をとる人や、魔獣を退治する人が入ってるんだよ」
沙良は手を打って立ち上がりそうになる。
「やっぱりあるじゃん! そういうやつ! 異世界あるあるで言うところの冒険者ギルド!」
周囲の客がまた笑う。夏帆は「声!」と注意しつつ、興味津々にマリアを見た。
「ねぇ、マリアちゃん。この町以外に、近くに町ってある?」
「あるよ! 南に三日の街道を行くと《ヴァルデン》っていう大きな町があるの。商人さんはだいたいそこを目指すんだって。あと、北に行くと山道で……えっと、鉱山の村があるよ」
「ほぉ……鉱山村!」沙良の目が光る。
「なんかもう、イベントフラグ立ちまくりじゃない?」
「……ゲーム脳すぎる」夏帆が呆れた。
「ちなみにさ、昨日のホーンラビットみたいなのって、森にいっぱい出るの?」
マリアは頷く。
「うん。森の奥に行くと、ほかにもオオカミとか、時々もっと怖いのが出るんだって。でも、狩人ギルドの人たちが見回ってるから、町にはあんまり来ないよ」
「なるほど……」夏帆は真剣に聞きながら、手帳に書き留めるフリをする。
沙良は拳を握りしめた。
「よし! 今日は狩人ギルドに行って情報収集だ!」
「ねぇマリアちゃん。教えてくれてありがとう!」
「ううん! また聞いていいよ!」
マリアはトレイを抱えて駆けていく。その後ろ姿を見ながら、二人はパンをちぎって口に運ぶ。
「……なんか、昨日までより世界が広がった気がするね」夏帆が呟いた。
「うん! まずは情報だよ! 何事も知識が武器になる!」沙良は胸を張る。
その言葉には、周囲の客たちも思わず頷いていた。




