第2章‐23 「幼女と朝食と、少しの現実」
朝の宿屋“ミスターブラウン”は、パンの焼ける香りとスープの湯気で包まれていた。
カウンターでは宿の主人がぶつぶつと在庫を数え、ホールでは小さな足音がぴょこぴょこと走り回る。
――マリアだ。
今日も看板娘は、ちょこちょこと愛らしい動きで客たちの間を縫っていた。水差しを抱えては「はい、どうぞ!」と声を弾ませ、パン籠を抱えては「追加ね!」と笑顔を振りまく。
「ふふふ……」
沙良は頬を緩めながら、焼きたてパンをかじった。
「……なに笑ってんのよ」夏帆が怪訝そうに眉を上げる。
「えー? だって、朝から幼女に給仕されてパンが食べられるとか、幸せすぎじゃん」
「……あんた、食事と幼女と、どっちから栄養補給してんのよ」
「んーと、両方?」
沙良が涼しい顔で答えると、夏帆は呆れたようにスープを啜った。
「まったく……幼女成分で満腹になれるなら、食費浮いて助かるけどね」
そんな調子で、二人は今日も笑いながら朝食を済ませていった。
宿屋の名前を「ミスターブラウン」と勝手に呼んで、沙良はつい「えー、違ったっけ?」と口にしかけ、夏帆がすかさず「おい、いい加減覚えなさいよ!」と突っ込む一幕もあった。
◆マリアの問い
食べ終わる頃、マリアが二人のテーブルへ駆け寄ってきた。
栗色の髪を二つ結びにした幼い笑顔。大きな瞳をきらきらさせながら、無邪気な質問を投げかける。
「ねぇねぇ、おねーちゃんたちは、どこから来たの?」
「え、えーっと……」
沙良はスプーンを持ったまま、言葉に詰まる。
「……と、遠いところ?」
「じゃあぁ、旅人さん?」
「う、うん……まぁ、そんな感じ?」
マリアはさらに首を傾げた。
「旅人さんなら、そのうち何処かへ行っちゃうの?」
その言葉に、沙良と夏帆は同時に目を合わせる。
笑顔は消え、沈黙が落ちた。
――確かにそうだ。
この世界に来てから、彼女たちはエブリイと共に実験三昧の日々を送っていた。魔道ギルドと面白おかしく研究を繰り返し、コーヒーが増えるとかポータブル電源が勝手に充電されるとか、不思議現象を楽しんできた。
だが――。
自分たちが「なぜここにいるのか」、そして「帰れるのか」について、本気で考えたことはほとんどなかった。
「……だよねぇぇ」沙良がぽつりと漏らす。
「うーん。実験ばっかしてないで、もっと状況を調べて把握しなきゃ、だねぇ」夏帆も肩を落とす。
マリアはきょとんとしながら、パン屑をテーブルから払った。
「でも、おねーちゃんたちがいなくなったら、さみしいなぁ」
「……ありがとう、マリアちゃん」
沙良は頭を撫でてやりながら、柔らかく笑った。
◆町を出る決意
宿を出た二人は、石畳の路地を歩きながら話し込んだ。
「……やっぱさ、町の外に出てみない?」沙良が言う。
「うん、私も同じこと考えてた。ここに来てから、ずっと城とギルドと宿屋の往復だけだったし」
「そうそう! なんか冒険者みたいにダンジョン行けとか言わないけどさ、まずはこの世界の“地理”とか“常識”を知っとかないと」
「……あんた、珍しくまともなこと言うじゃない」
「失礼な! 私はいつでもまともだよ!」
そうして二人はエブリイに乗り込み、町の門へと向かった。
久しぶりの外壁の門兵たちなのに笑顔で見送ってくれる。完全に「顔パス」状態である。
「……もうすっかり常連だね、私たち」
「旅人なのか居候なのかよくわかんないけどね」
門を抜けると、眼前に広がるのは緩やかな丘陵地帯。朝の光を受けて草原が雪できらめき、小道は遠くまで続いている。
「よし、今日は町の外をドライブだ!」
沙良が宣言するようにハンドルを握り、エブリイはごろごろとした石道を進み始めた。
◆道すがらの会話
「ねぇ、もし本当に帰れなかったら……どうする?」
ハンドルを握りながら、沙良がぽつりとつぶやく。
「……うーん。正直考えたくないけど」
夏帆は窓の外に広がる雪原を見つめる。
「でも私は、この世界にずっと住むってのも……ありかもしれない」沙良
「えぇぇ? 私、スマホもない世界とか耐えられる気しないんだけど、寒いし(笑)」夏帆
「でも、エブリイあるし」沙良
「車一台で人生決められないよ!」夏帆
二人は笑いながら、しかし心の奥底には不安が渦巻いていた。
この世界が何なのか。なぜ呼ばれたのか。そして――どうすれば元の世界へ帰れるのか。
◆未知への一歩
やがて町を離れ、道は森へと続いていった。
鳥の声、木漏れ日、草の香り~はしない、凍っている――。
「なんかさ、ゲームのチュートリアル終わって、ようやく“フィールド”に出たって感じだね」
「わかる! ここからオープンワールド始まる的な!」
そんな軽口を叩きながらも、二人の胸は少し高鳴っていた。
異世界の空気を肌で感じながら、エブリイはゆっくりと森の中へ進んでいく。
――今日から、彼女たちはようやく「自分の足で異世界を知ろう」と動き出したのだった。




